第2章 縁 穴 丼 波 麝 梅

2―1 【縁】


 【縁】は(えん)と読む。また(えにし)とも読む。

 元々の意味は織物の「へり飾り」だとか。


 それにしても不思議なものだ。歳を1年1年重ねるごとに、人の一生はこの【縁】に支配されているのではないかと思われてくる。

 若い頃、年寄りが「それは縁だね」と物知り顔で話していた。

 それを聞いて、「何が?」と思ったりもした。

 それが今では、人とのつながりはすべて【縁】のように思われるのだから……。


一樹いちじゅかげ 一河いちがの流れも 多生の縁』

 同じ木陰で雨宿りするのも、同じ川の水を汲むのも、すべては前世からの因縁。

 まったくその通りだ。


 そして、桑田佳祐氏・作詞/作曲のこんな歌がかって流行った。

  人は誰も愛求めて、闇に彷徨さまよ運命さだめ

  そして風まかせ Oh, my destiny


 この「destiny」、それは「さだめ」だ。

 そして、強いて訳せば【縁】だろう。

 確かに、【縁】は風まかせ。風が向こうから運んできてくれるものなのかも知れない。


 だが教育学者の森信三は言う。

 人生、出会うべき人には必ず出会う。しかも、一瞬遅からず、早からず。

 しかし、内に求める心なくば、眼前にその人ありといえども【縁】は生じず。


 【縁】は風まかせ、それとも求めるもの?

 どちらも真実のような気がする。

 だから、より一層、「縁は異なものおつなもの」になり得るのだろう、多分。



2―2 【穴】


 【穴】、中国の黄土地帯では、人は地下の家に住んだ。その土の部屋への入口の形だとか。


 不思議の国のアリス。

 それは1865年に、イギリスで出版された児童文学。作家は数学者だと言う。

 アリスは白うさぎを追い掛け、【穴】に落ちる。そして、身体を大きくしたり小さくしたりして、言葉を話す動物たちの世界を冒険する。不思議な話しだ。

 ワンダーランドへと通じるこんな【穴】。なぜか歳を重ねても忘れられない。


 だが、世間には好まない【穴】もある。

 その一つが「空っ穴」(からっけつ)。財布の中が空っぽなのだから、堪らない。

 そして、【穴】の中には、だいたい何かがいたり、何かあったりするものだ。

 「虎穴に入らずんば虎児を得ず」

 危険はあるが、勇気を持って飛び込めと……、そう急かされてみても、やっぱりビビッてしまう。


 それに比べ、一生に一度は味わってみたい【穴】がある。

 それは『大穴』だ。

 しかし、普段の生活、巣穴にじっと引き籠もるような穴子状態では、そんな【穴】には絶体に巡り逢えない。


 ならば勇気を持って……。 

 否、とにかく【穴】に近付かない方が良いのかも知れない。

 【穴】はいつでも――落とし【穴】に変わってしまうから。



2―3 【丼】


 【丼】は不思議な字だ。

 井戸の中に水が落ち、跳ねる様子の「ゝ」が「井」の中にある。

 そして、その音が――「どぼん」。

 それが高じて、(どんぶり)と読むようになったと言う。

 おちょくるな! と叫びたくなるが、かなりホントの話しなのだ。


 そんな御高説以外に、江戸時代のこと。

 鉢に盛り切りだけの飯屋のことを、ケチで無愛想と言う意味で、慳貪屋(けんどんや)と呼んでいた。

 店員は無愛想で、実に慳貪な振る舞いばかり。だから、そこで出される飯が、慳貪振り(けんどんぶり)と呼ばれるようになった。

 そして最終的に――「どんぶり」に短縮されたとか。


 どちらも眉唾ものだが、それにしても【丼】は、頭にありとあらゆる字を付けて、「OX丼」とどんどんと増殖してきた。

 きっとこれからも、好き放題に増え続けて行くだろう。

 その途中にある今でさえ、「OX丼」のメニューは無限にある。


 天丼に鰻丼、そしてカツ丼。

 これくらいまではまだまだ情緒もあって、我々庶民も暮らし易かった。

 しかしだ。今はカレー丼までもが……。

 そんなの、ただのカレーライスじゃないか?

 その上に、驚きの【丼】がある。それは――目玉焼き丼。

 せめて出汁巻丼にして欲しい。


 日本の食文化は、もう地に落ちてしまったのか。

 近々に、スウィーツ・宇治抹茶丼とか、鮭茶漬け丼とかが登場するかも。

 そして究極のどんぶり、それはどんぶり三段重ねの『丼々丼』(どんどんどん)が出現。そんな予感までしてくる。


 そして、それが現実になった時、大和民族が滅びる時なのかも知れない。

                   丼々

               追記: ↑は、草々の代わり丼



2―4 【波】


 【波】、それは空間や物体に加えられた状態の変化が、次々に周囲にある速さをもって伝わっていく現象を言うとか。


 砂浜に立つと水平線の彼方より途切れることなく、【波】が押し寄せてくる。

 さざ波のような小さな波もあるが、津波のような大きな波もある。

 しかし、世の中には目には見えない【波】もある。音波、電磁波、光波の類で、人の生活に活用されている。


 そんな様々ある波の中で、一番やっかいでなんともならない【波】がある。

 それは――『年波としなみ』。


 音も立てずにひたひたと、しかし確実に。 

 人は感じずに、この波を被り続けて行き、不幸にも……、ある日ふと気付くのだ。

 新聞の活字がはっきりと読めな~い!

 オシッコのキレが悪くなったー!

 そして、吐く言葉は一言……「なんでだろ?」

 日常会話、それはいつの間にか、アレ/コレ/ソレの三大指示代名詞だけで、事を済ませてしまう。ほとんど何が言いたいのかわからない。


 だが心配ご無用、ツレアイだけはわかってくれるから、と自虐的に、互いに慰め合う。

 そして人たちは、この状態を自覚した時に、必ず呟くのだ。

「やっぱり、寄る『年波』には勝てないなあ」と。


 まことに、こんな『年波』を上手く乗りこなして行けるサーフボード、どこかに売ってないものだろうか?



2―5 【麝】


 【麝】(じゃ)、漢字の「鹿」を下から「射」で支えている。

 麝香鹿(じゃこうじか)の【麝】で、難しい字だ。


 そのジャコウジカは、体長1メートル程度の鹿より原始的な動物。南アジアの山岳地帯に生息しているらしい。

 そして、そのジャコウジカの分泌物を乾燥した香料のことを麝香じゃこうと言う。それは甘い香りで、六神丸や救心などにも入っているとか。


 戦国時代、織田信長と同年生まれの細川幽斎ゆうさいと言う武将がいた。文武両道に優れ、歌人でもあり、立派な人だった。

 幽斎は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、これらの個性の強い三人の上司に仕え、76歳の人生を全うする。


 現代社会を生きる満身創痍でヨレヨレのサラリーマンたち。幽斎に「上司と上手く付き合って行く方法」を伝授してもらいたいことだろう。

 そこで、本エッセイでは……特別に教えましょう。


 なぜ細川幽斎は個性豊かな三人の上司に仕えることができたのでしょうか?

 そこには秘密があった。それは幽斎の奥さまだ。  


 30歳の時にめとった20歳のレディ、彼女は麝香姫(じゃこうひめ)と呼ばれていた。

 幽斎は、妻が甘く放つ香しい麝香の香りで、まるで魔法を懸けられたかのように……。

 生涯側室を設けず、浮気もせず、勝手気ままな上司が三人次から次へと変わろうとも、麝香姫の麝香の香りにあやつられ、ただただ仕事に励んだ。

 その結果、戦国の世を生き抜くことができたのだ。


 現代でも一緒かな?

 嫌な上司にうまく合わせ、出世できるかどうかは、要はツレアイの――『香りの問題』なのかも知れない。



2―6 【梅】


 【梅】(うめ)、この漢字は小学4年生で習うらしい。

 元々平安時代に、熱冷ましや下痢止めの漢方薬として中国から入ってきた若い梅の薫製。

 それはのように真っ黒な色をしていて、烏梅(うばい)と呼ばれていた。


 烏梅は、中国語の発音ピンインでは、「wu mei」となる。これがどうも日本語発音の(ウメ)になったようだ。

 学名では「Prunus mume」と名付けられ、バラ科サクラ属の落葉高木だとか。

 「wu mei」がウメで、正式学名が「mume」。

 そして、バラとサクラの花の女王様たちと従姉妹だということらしい。


 まことに複雑な話しだが、現実に咲く梅、花は香もあり美しい。

 「梅一輪一輪ほどの暖かさ」

 万葉の時代から、雪解けとともに、毎年春を感じさせてくれるのだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る