第17章 結 梟 糸 嘆 雛 則
17―1 【結】
【結】、右部は「吉」で、力を閉じ込める意味がある。
昔、草などを結び合わせて魂を結び込める呪術があり、【結】は生命の安全を祈る気持ちだったとか。
また紐を「むすぶ」ことが、男女間で愛を誓い合う意味もあった。
そんな【結】、「一結杳然」(いっけつようぜん)という四字熟語がある。
その「一結」は文章を締め括ることであり、「杳然」は深くかすかな状態のこと。
これにより「一結杳然」の意味は、『文章を締めくくった後に、匂うように余韻が残るさま』のことだとか。
うーん、と唸ってしまう。
この漢字一文字の旅、みなさまに読んでいただき、一結杳然となってもらっているだろうか?
香しく匂うような余韻……、そこまでは難しいが、堅く【結】ばれて、皆さまと御一緒に旅を続けたいものだ。
17―2 【梟】
【梟】、これは鳥の「ふくろう」だ。
その【梟】、かって木の上に「ふくろう」の死骸を晒(さら)して、小鳥を脅す習慣があったからだとか。
だから、「木」の上に「鳥」をおいて――【梟】となったようだ。
それって冗談? と言いたくなるが、日本全国の山林にすむ。
大きさは50~60センチ、色は灰褐色。目は大きくて夜行性、昼間はほとんど気楽に眠ってる。また、頭の形は頬かむりしているような姿。
だが、同種に木菟(みみずく)がいる。そやつはミミズを食うから「みみずく」かとオヤジギャグで解釈したが、これが違った。
【梟】にはない耳が突き出ているので、「木」の耳のある「兎」(ウサギ)。「木菟」となったそうだ。
そんな従兄弟を持つ【梟】(ふくろう)、冬の季語となっている。なぜなら【梟】、特に冬の夜に「ホーホー」、その鳴き声は哀愁があり、心に沁みる。
それでなのだろうか、えらくネガティブに──「ぼろ着て奉公」
鳴き声をそう聴く人たちが多かったとか。
そんな【梟】だが、今は『不苦労』に『福郎』、そんな置物やアクセサリーとなり、各家庭に多く棲みつくようになった。
そして、今夜も鳴いてくれるだろう───宝宝(ほうほう)と。
17―3 【糸】
【糸】、絹の「いと」をより合わせた束であり、元は「絲」、糸を二つ並べた字「シ」であった。それが簡略され、【糸】になったとか。
こんな【糸】、生糸、木綿糸、毛糸、凧糸など種類が多い。その中でも面白い糸が『蜘蛛の糸』だ。
芥川龍之介は書いた。
お釈迦さまが極楽の
それに免じて、極楽に導いてやろうと一本の蜘蛛の糸を垂らされる。
カンダタはもちろんそれを掴み、極楽に行こうと昇るが、下を見ると他の罪人たちが続いてくる。このままじゃ蜘蛛の糸は切れると思い、下りろ! とわめいた。
するとカンダタのところからぷつりと糸は切れ、再び地獄へと落ちて行った。
こんな粗筋だが、果たして蜘蛛の糸の太さは一体どれくらいのものだったのだろうか?
通常網を張ってる蜘蛛の糸の径は、5マイクロメートル、つまり1000分の5ミリメートルだ。
人の髪の毛が0.05五ミリメートルで、その10分の1の細さ。
そりゃあ切れて当然となるが、しかし、同じ太さで換算すれば、蜘蛛の糸は鋼の5倍も強い。
もし蜘蛛の糸を束ねて1ミリメートルにすれば、人一人は吊り下げられると言われている。
お釈迦様も人が悪い。極楽から垂らした蜘蛛の糸、せめて2、3ミリメートルの太さのものにしてやれば良かったのに。
ならば、この現代で最も強い糸ではどうだろうか。それは炭素から作られるナノチューブ。1ミリメートルの太さで、1トンの重さに耐えられると言われている。
もしお釈迦さまが蜘蛛の糸ではなく、ナノチューブの糸を垂らしていれば、決して切れることもなく、10人くらいの罪人は極楽へと昇れたのかも知れない。
きっとこんな発想から思い至ったのだろう。ある建設会社が発表した。
2050年までに、天上9万6000キロメーターまで昇れる宇宙エレベーターを供用開始すると。そして、それはナノチューブで作られる。
蜘蛛の糸の結末は、自分だけ地獄から抜け出そうとしたカンダタ、その浅ましさから糸は切れ、地獄に落ちるのは当然だとお釈迦様は思いを改められた。
さてさて宇宙エレベーター、天上の極楽におられるお釈迦様、どんなコメントをされるのかな?
17―4 【嘆】
【嘆】、音読みで(タン)、訓読みでは(なげく)。意味は、現在の状況、事態を無念に思い、それを口に出して言うこと。
こんな【嘆】、元々の意味は……飢饉の時に雨乞いで、神に仕える人を火で焼き殺し、
まことに恐ろしい話しが根元にある。
しかし、こんなことも知らず、今を生きる現代人、まったく嘆き放題の日々のようだ。
そしてそれは、手慣れた祝詞ののようにも聞こえてくるから不思議なものだ。
こんなおぞましく、かつ慣れ親しんでいる【嘆】、実は1000年前のかぐや姫まで【嘆】いていた。
おのが身はこの国の人にもあらず。
月の都の人なり。
それを昔の契りありけるによりてなむ、この世界にはまうで来たりける。
いまは帰るべきになりにければ、この月の15日に、かのもとの国より、迎へに人々まうで
さらずまかりぬべければ、
これを意訳すれば……。
あたいは月の都の者なんえ。前世からの宿命やけど、この世に来てしもうたわ。
そやけど、もう月に帰らなあかんねん。
8月15日になったら迎えが来てくれはるんよ。
翁はんがそれを悲しまはるとおもぉと悲しゅうて、この春からたんと……嘆いてたんどすエ。
時は1000年前、その頃の【嘆】、それはそれは京風で──、ちょっとSFチックどしたがな。
17―5 【雛】
【雛】、それは「雛鳥」(ひなどり)のことで、鳥の子。一人前までにはまだほぼ遠いが、未来への可能性を充分秘めている。
音読みでは「すう」と読み、
意味は、寝ている龍と、鳳凰の【雛】、これらのようにまだ世には出ていない。だが将来きっと大きな力や才能を発揮するであろう、そういう者のことらしい。
そして、人間の【雛】を祝うのが雛祭り。
芥川龍之介は、約90年前の大正12年に短編小説「雛」を発表した。
お転婆の15のお鶴の家では、生活に困りお雛さんをアメリカ人に売り渡すことになった。お鶴はさほど愛着はなかったが、されど売られる前に飾っておきたい。
飾りたいと言うと、父母兄がひどく怒る。もう手付けが打たれていて、それはすでに他人の物だとか。
しかし、売り渡されて行く前夜、ふとお鶴が目を醒ますと、父がそれを飾っていた。
あれは夢だったのかと、老いてしまったお鶴が振り返る。
【雛】、それはいつも……、どことなく郷愁をそそる物語がそこにあるのだ。
17―6 【則】
【則】、かって重要な契約事項を祭器に刻み保存した。それを守るべき【則】(のり、おきて)としたとか。
そして現代で言えば、社会的な「規則」だ。
法律から始まり、実にいろいろな【則】がある。
また、それが地方によって微妙に異なってくるから、やっかいだ。
最も代表的な規則、つまり暗黙のルールが──エスカレーターの乗り方。
東京地区は、急がない人たちは見事に左側に並んで昇っていく。その統制取れた形はまことに美しい。
だが、もしそのルールを知らずに右に立っていれば、お前はそれでも人間かと睨まれる。
しかし、これが大阪に行けば、みんな右に立つ。東京と丸っきり反対なのだ。そして、時々……、それを知っての内で、ちょっと恐そうなお兄さんが通路をふさぐ。
いずれもまことに厄介なことだ。
で、ここで一つクエスチョンを。
エスカレーターの乗り方、京都の場合は一体どういう【則】(ルール)となってるのでしょうか?
東京の左? それとも大阪の右? どちら?
答は、実に簡潔明瞭。
とにかくルールは──『前の人に従う』だ。
前の人がエスカレーターの左にいたら、左に。右にいたら右に並ぶ。すべては前の人次第が常識となっている。
これが割に気楽で、すべては出たとこ勝負。
ここは東京、だから左に、あるいはここは大阪、だから右にと心構える必要なし。すべては前の人次第。
ならば、自分が先頭に立ってエスカレーターに乗った時、どちらに立つべきなのだろうか?
ええおとこはんが、そないなことに、きばらんと、好きにしやはったら、よろしおすえ……と、なだめられるのがオチかも。
とにかく【則】、地方によって様々のようだ。
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