第25章 断 憩 園 珠 瓜 蟹

25―1 【断】


 【断】、左の部は織機で糸を断ち切ってる形であり、右の斤はその糸を切った「斤」(おの)だとか。


 「断機の戒め」という言葉がある。

 孟子が学問半ばで家に帰ってきた。その時、母は織っていた糸を断ち切って、途中で投げ出せば織物は出来ないと戒めた。


 日本にもこのような「断機の戒め」がある。

 京都の川島織物という会社。

 第一次世界大戦中、明治宮殿に納める壁掛け「春郊鷹狩」を織っていた。

 原画は澤部清五郎の逸品。


 しかし時代背景もあり、染料の品質が悪かった。出来映えは素人が気付くことはないが、微妙に色合いが違う。

 このような壁掛けを納入すべきか、三代目川島甚兵衛の妻、絹子は悩んだ。そして苦渋の思いの中で腹を決めた。

 その織物を裁断してしまったのだ。


 翌日、宮内庁に出向き、不良染料を使ったことを謝った。それから初心に戻り、良い染料を調達し、織機も新しい機械にして、2年後に素晴らしい壁掛けを納入した。

 絹子によって裁断された織物、それは「ものづくり」の原点、良い物を作るためには決して妥協を許すな、こんな思いを後進に伝えている。

 つまり「断機の戒め」として、今も会社に残されているのだ。


 話題は変わるが、【断】という漢字に「油断大敵」という言葉がある。

 最澄は比叡山に天台宗を開いた。

 そしてそこに1200年以上灯り続けている「不滅の法灯」がある。

 最澄はこの灯りに、「あきらけく のちの仏の 御世みよまでも 光りつたへよ 法のともしび」と願いを込めた。


 この灯火は菜種油であり、それ以降僧侶たちは1日たりとも油を断つことなく現在まで注ぎ続けてきた。

 これが四字熟語で言われる「油断大敵」なのだ。


 【断】という漢字、ことほど左様に、いろいろと戒めてくれている。



25―2 【憩】


 【憩】、「舌」と「息」と「心」が組み合わさっている。

 だが「舌」はべろではなく、「活」。「息」は「休息」の意だとか。そこから休息して活力を回復させる意味となる。


 かって「いこい」という煙草があった。

 昭和31年(1956年)に、茶色のパッケージに五線譜と四分休符、こんなデザインで販売開始された。

 20本入りで、40円、後日は60円に。タールは13ミリグラムだ。


 「今日も元気だたばこがうまい!」

 これがキャッチフレーズだった。

 そう言えば、大人たちは美味そうに吸っていたのを思い出す。まさに【憩】のようだった。

 この「いこい」は当初「しんせい」とともに、すでにあった「ゴールデンバット」や「光」より人気商品となった。


 しかし、昭和35年(1960年)、フィルター付きの「ハイライト」が登場する。これで人気は下降線に。

 結果、昭和49年(1974年)に生産を終了する。それ以降、街角で【憩】ってる大人の姿は見られなくなった。


 それにしても「ゴルデンバット」、明治39年(1906年)に発売開始され、1世紀の時が流れた。そしてそれにも関わらず、現在も売られている。

 驚きだ!

 要は「金のコウモリ」が【憩】に勝ったということなのだろうか?


 いずれにしても、【憩】という漢字、こんなことを思いながら、充分に【憩】わせてくれるのだ。



25―3 【園】


 【園】の「口」中にある字は、死後の世界へと旅立つ死者を送る意味があるとか。

 そこから【園】は、植え込みのある墓地だそうな。


 これではちょっと暗過ぎる。

 そのためか、今では田園に果樹園、菜園に庭園、動物園に公園と、もうなんでもありなのか。


 その中でも、一度覗いてみたいのがエデンの【園】。

 そこには生命の樹と知恵の樹が植えられていたと言う。そしてそこの管理を任されたのがアダムとイブ。


 最初神は男性だけを作った。だがそれでは寂しいだろうと、男性の肋骨から女性を作った。

 これでアダムとイブが揃った。


 ある日、イブは蛇の誘いにのり、知恵の木の実(禁断の果実)、林檎を食べてしまった。

 これに神は怒り、二人を天国から地上(失楽園)へと落としてしまう。そして罪を犯した女性には「子供を授かる」痛みを負わせることにしたのだ。


 【園】という漢字、元々は墓地だから、どうも楽しいことばかりじゃないようだ。



25―4 【珠】


 【珠】は(シュ)と読み、「朱」には丸いもの、朱色の意味がある。いわゆる輝く珠玉だ。

 そんな【珠】の女性、明智珠あけちたまがいた。


 珠は永禄六年(1563年)、明智光秀の三女として生まれる。そして戦国時代を強く、しかし辛く生きる。

 15歳の時に、主君・織田信長のすすめにより細川忠興ただおきに嫁ぐ。珠は美人であり、忠興とは仲のよい夫婦となる。


 しかし、父の明智光秀は本能寺の変、つまり謀反を起こした。これで光秀は秀吉に追われ、京都山科の小栗栖おぐるすの地で竹槍で討ち取られる。

 これで珠は逆臣の娘となってしまう。


 忠興は珠の身を案じ、丹後半島の味土野みどのの山中にかくまう。いわゆる幽閉させたのだ。

 珠はここで1年半ほど暮らす。だが世は動き、覇権を握った羽柴秀吉は珠を呼び戻す。


 そんなある日、珠は忠興からカトリックの話しを聞く。

 これに心が惹かれた珠は救いを求め、教会に通いを始める。そして信仰を深め、やっとのことで自宅で洗礼を受ける。

 この洗礼名がガラシャ。ラテン語で神の恵みの意味がある。


 時は慶長五年(1600年)、関ヶ原の戦いが勃発する直前のことだった。

 忠興は徳川方となり、上杉討伐のため不在。そんな隙を狙って、西軍の石田三成はガラシャを人質に取ろうとする。しかし、ガラシャはこれを拒んだ。

 これに三成は屋敷を兵で囲み、実力行使に及んだ。


 ガラシャは覚悟を決めた。カトリックでは自害は禁止されているため、部屋の外から家老に槍で胸を貫かせた。

 珠はこんな壮絶な死を選んだのだ。


 「ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

 細川ガラシャは死を前にして、このように詠んだ。


 こんな【珠】は、今も重く輝き続けているのだ。



25―5 【瓜】


 【瓜】、つるにぶら下がったウリの象形文字だとか。

 そう言われれば、そう見えてしまうから不思議だ。


 こんな【瓜】、貝塚遺跡から種が発見されている。どうも古くから日本にあったようだ。

 だが可笑しな話しが多い。

 大きさが80センチもある冬瓜とうがん、冬の瓜と書くが、夏の野菜だ。

 スイカは西瓜、西の瓜って、なぜ?

 どうも音からの当て字だとか。


 南瓜はなんきん、かぼちゃのことだ。

 このかぼちゃ、原産地は南の国のカンボジヤだとか。だからカンボジヤを3回唱えれば、「かぼちゃ」になってしまうからだ……そうな。

カンボジヤ、カンボちゃ、かぼちゃ――うん、確かに。


 こんな【瓜】、笑える話しばかりかと思いきや、まじめな諺もある。

 『瓜田に履を納れず』(かでんにくつをいれず)

 瓜畑で靴を履きなおそうと屈むと、まるで瓜を盗んでいるように見える。そんな疑いがかけられるような行為は慎もう。

 こんな教えだ。


 とにかく【瓜】という漢字、このように多品種な話題を味わさせてくれる。



25―6 【蟹】


 【蟹】の字体、見るからにカニだ。

 だが分解してみると、「解」に「虫」に分かれる。

 「解」は(ほどく)で、脱皮。

 「虫」のように脱皮する生き物、それが【蟹】だとか。なにか狐につままれたような話しだが、まじめな解釈だそうな。


 さてさて日本の民話に「猿蟹合戦」がある。誰しも幼い頃、一度は耳にしたことがあるだろう。

 だが成人となり、忘れてしまっているところもある。ここで少し復習をしてみよう。


 おにぎりを持って蟹が歩いている。そこへ猿が柿の種と交換しようと言い寄ってきた。蟹は嫌だったが、育てば柿がたくさん採れると説得され、おにぎりと柿の種を交換してしまう。


 「早く芽をだせ柿の種、出さなきゃ鋏でちょん切るぞ」

 蟹は柿の種を植え、毎日水をやった。そのお陰か、柿はスクスクと育ち、実をたくさん着けた。


 しかし蟹は柿が採れない。そこへ猿がやって来た。そして柿を採ってやろうと言う。

 早速木に登った猿、自分は食べるだけ食べて、蟹にやらない。挙げ句の果てに、木の下にいた蟹に青くて硬い柿を投げ付けた。

 これが蟹に当たり、蟹はその後子供を生んで死んでしまう。


 その子供たちが育った。

 親の敵を討とうと、栗と臼と蜂と牛糞を仲間に誘う。そして猿を呼びつける。

 栗は囲炉裏いろり、蜂は水桶、牛糞は土間、臼は屋根、このようにそれぞれの場所に隠れた。


 やって来た猿、まず囲炉裏で身体を暖める。その時栗は弾け、猿に火傷を負わせる。猿は慌てて水で冷やそうとすると、水桶に隠れていた蜂が刺す。

 猿はこれにもびっくりし、家から飛び出そうとする。そこで土間にあった牛糞に滑ってしまう。


 その上に、屋根から臼がドスンと落ちくる。これで猿は圧死、潰れて死んでしまう。

 蟹の子供たちはこうして見事に親の敵を討ったのだった。


 これでめでたしめでたしとなるところだが、この「猿蟹合戦」、これだけでは終わってはいなかったのだ。

 大正12年2月、文豪・芥川龍之介は「その後」を書いた。


『蟹の握り飯を奪った猿はとうとう蟹に仇を取られた。蟹は臼、蜂、卵と共に、怨敵の猿を殺したのである。

 ――その話はいまさらしないでも好い。ただ猿を仕止めた後、蟹を始め同志のものはどう云う運命に逢着したか、それを話すことは必要である。

 なぜと云えばお伽噺は全然このことは話していない。』


 こんな書き出しの「猿蟹合戦」の「その後」、これが実に面白い。

 結果、主犯の蟹は死刑、共犯の蜂たちは無期懲役の刑が宣告されているのだ。


 「解」と「虫」からなる【蟹】、まるで物語が横歩きしてるようだ。


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