第5章 片 暁 鳳 裏 粉 桜

5―1 【片】


 【片】、これは二つ揃ったものの一方の意味を表す。

 「片棒」、「片親」、そして「片田舎」。これほどまでに暗いイメージを与える漢字はない。

 そして、その中でも、どこまでも切ないものが――「片思い」。


 この「片思い」は、万葉の時代には『片恋』と言われていたようだ。

 その『片恋』を、時は今から1300年前、天武天皇の皇子・舎人親王(とねりしんのう)は己の心情を詠んだ。

 『ますらをや 片恋せむと 嘆けども しこの ますらを なほ恋ひにけり』


 ここで言う「ますらを」は、今で言うイケメンのこと。

 そんな男が、簡単に言えば、自分はイケメンだけど、『片恋』をしてしまったと。

 それで、みっともないことだが、やっぱり恋しく思ってしまうんだよなあと嘆いているのだ。


 若干自信過剰なところはあるが、さすがイケメン。これには返事がちゃんと返ってくる。

 相手は舎人娘子(とねりのをとめ)、乳母の娘で幼なじみ。

 『嘆きつつ ますらをの この恋ふれこそ 我が結ふ髪の ちてぬれけれ』

 イケメンのあなたが恋してくださるからこそ、私の結った髪が濡れてほどけてしまったのですよね、って。


 人をオチョクるんっじゃないよ!

 こんなの『片恋』じゃないじゃないか! と、ついついひがんでしまう。


 そして、非常に口惜しいことだが、気付かされる。イケメン男には『片恋』はないのだと。

 そこにあるのは、「ますらを」だけへの……女たちからの恋の【片】寄りだけだ、と認めざるを得ないのだ。



5―2 【暁】


 【暁】、太陽を表す「日」の横に「尭」(ぎょう)。

 この「尭」は、土器を焼く時に 棚に土器を積み上げた形で、そこから高いという意味を持つらしい。

 よって、【暁】(あかつき)は日が高く昇り始める意味となる。


 春の時期、なかなか布団から抜け出せない。とにかく眠い。

 昔、孟浩然もうこうねんは「春暁しゅんぎょう」で詠った。

  春眠 暁を覚えず 

  処処しょしょ 啼鳥ていちょうを聞く

  夜来 風雨の声

  花落つること知る 多少

 春の暁はまことに眠り心地がいい。朝がきたことにも気付かず、ついつい寝過ごしてしまう、と。


 さて、この【暁】とは一体朝の何時頃のことだろうか?

 それは太陽が昇る前で、夜半から夜明けまでの時間帯のこと。午前4時頃のことのようだ。


 その後、東の空が明るくなってくる頃を「東雲」(しののめ)と言う。 

 そして、ほのぼのと夜が明け始める時間帯を「曙」(あけぼの)と呼ぶ。

 さらに、その「曙」より微妙に明るくなってきた頃、それが「朝ぼらけ」なのだ。


 「暁」 → 「東雲」 → 「曙」 → 「朝ぼらけ」

 この順番、憶えるには少しややこしい。

 だが便利なもので、要は一括して、「夜明け」と言う言葉でまとめられる。


 とならば、眠いのはなにも【暁】だけではないため、「春眠 暁を覚えず」、そうではなく、――春眠 「夜明け」を覚えず――の方が、きっと現実に近いということなのだろう。



5―3 【鳳】


 【鳳】は、大きな鳥が風に乗り、羽ばたきをする様を表す漢字だとか。

 そして、『鳳凰』(ほうおう)と言う熟語を作る。

 この鳳凰は、雄が【鳳】で、雌が「凰」の鳥。梧桐ごとう、つまりアオギリに宿り、竹の実を食べ、甘い味のする醴泉れいせんを飲んでいると言う。


 また、立派な指導者が世に出てくる兆し、それがある時に、その祝いの時に現れ出てくる鳥だとか。


 さらに、この鳳凰、たとえそれが成鳥でなく、ひなでさえ、「伏龍鳳雛」(ふくりゅうほうすう)と言って重宝がられている。

 この四字熟語の意味、寝ている龍と鳳凰の雛のように、まだ世に出ていないが素晴らしい力を持つ人物のことらしい。


 そして、最近の日本の不景気を思えば……、どこかに鳳凰は飛んでいないだろうか?

 それともアオギリの上の巣の中に、雛でもいないものなのだろうか?

 とにかく、その霊長の姿は……、見たことのある人の言によれば、次のようなものだとか。

  羽は五色

  前はりん、後ろは鹿

  くびは蛇、尾は魚

  背は亀で、あごはつばめ

  そして、くちばしは鶏、だとか。


 大層奇抜な姿だから、すぐに見付かりそうなものだが……。



5―4 【裏】


 【裏】、元の意味は衣の「うら」のことらしい。

 そんな【裏】、いろいろと格言がある。

 人生には良いことも悪いこともあるという意味で、「一の裏は六」。だが実際にはその目がなかなか出てこない。

 また株式相場では、「人の行く裏に道あり花の山」と言われ、逆張りのお薦めだ。そう言われてみても、現実はそう簡単に儲かるものではない。


 しかし、誰も見たことがない【裏】がある。

 それは太陽の【裏】。つまり太陽に隠れた後方の世界。

 古代ギリシャの人は、そこにまったく同じ地球があると唱えた。なぜなら地球がバランス良く公転するためには、てんびんのようにカウンター・ウェイトが必要。

 それがいわゆる反地球(カウンター・アース)。 


 そしてそこには同じ社会があり、同じ自分がいると言う。

 だが、いつも太陽に邪魔されて見えない。

 まさに、「一の裏は六」。どちらが表で、どちらが裏なのかわからないが……。


 ところで、あちらの地球では、あちらの自分が……、やっぱり売れない小説書いて、それでもくじけず、頑張ってるかな?



5―5 【粉】


 【粉】、左の「分」は刀で二つに分ける意味があるそうな。そして、穀物を分けたものが【粉】だとか。


 この【粉】を使った食べ物が、いわゆる「粉もん」。

 かまぼこ/はんぺん系の「練りもん」からは、ちょっと距離を置いている。

 「粉もん」は、たこ焼き/お好み焼き/うどん/そば等々で、パスタも入るようだ。庶民から愛されている。


 だが、同じ粉でも、これは遠慮したい。

 それは「花の粉」。

 杉にヒノキにブタクサ……、もう堪らない。


 外は春うらら、気候が良い。これに誘われて、うろついてみようものなら、粉悶嵐(こなもんあらし)。

 恐怖のクシャミの七連発。その上に、悲しくもないのに目がウルウルウルと。

 西洋では、これをローズ・フィーバーと呼んでいるらしい。

 いわゆる薔薇熱だと。これも馬鹿にした話しだ。


 ローズ?

 そんな美しい「花の粉」ではない。ブタクサ・フィーバーと名付けろよ! と言いたくなってしまう。

 そんな【粉】、「粉もん」は実に愛されているが、花が前に付いて、「花粉」になれば、とんでもなく嫌なヤツになってしまうのだ。



5―6 【桜】


 【桜】、元は【櫻】で、「木」と「嬰」(えい)の組み合わせ。

 この「嬰」、その由来は貝二つを女が首飾りにしたところからだとか。


 しかし、これではわかりにくい。

  【櫻】は、二階(貝)の女が気(木)にかかる。

  【桜】は、ツののはえた女が気(木)にかかる。

 こんな解釈もあり、こちらの方が納得し易い。


 そんな【桜】を愛でて楽しむのが、花見。

 時は今から約400年前のこと。

 豊臣秀吉・62歳は伏見城から出て、その亡くなる年に、盛大に「醍醐の花見」を執り行った。

 その時の女性たちの順位は、もちろん本妻の北の政所、ねね(51歳)が1番。その後に側室が続く。


 しかし、これがまた歳が近いためか、実にややこしい。だが、秀吉は悩み抜いて、次のように決めた。

  2番目が、織田信長の姪っ子の茶々、淀殿29歳、なぜなら秀頼を生んだから。

  3番目が、武田元明の正室だった松の丸殿、京極龍子。

  4番目が、織田信長の六女で、三の丸殿。

  5番目が、前田利家とまつの三女の摩阿姫の加賀殿26歳。


 だが、秀吉の危惧した通り文句が噴出した。

 秀吉の杯をまず受けたのが北の政所。ここまでは全員納得、それで良かった。

 しかし、次は誰かと。

 秀吉は自信なかったが、淀殿に杯を渡した。

 そこで、たちまち……「ちょっと、待った!」と。


 松の丸殿、龍子が睨んできて、「なぜ、私が2番じゃないの」と、えらい剣幕。

 当時の常識から行けば、淀殿は秀頼を生んではいたが、格式は京極家の松の丸の方が上。

 秀吉は、こんな女の争いにただただオロオロするだけ。

 それを……「ちょっとあなたたち、今日は花見よ。楽しくやりなさいよ」と。こう取りなしてくれたのが、利家の妻、まつだったとか。


 これで秀吉は、ホッ!

 こんな女の大喧嘩、しかし、淀殿と龍子の二人はしっかり詠っている。

 しれっと、適当に……秀吉に胡麻擦って。

 淀殿

  『花もまた 君のためにと咲き出でて 世にならびなき 春にあふらし』

 松の丸殿、龍子

  『打群れて みる人からの山櫻 よろづ代までと 色にみえつつ』


 しかし、こんなお姉様たちの様子を見ていた一番年下の、26歳の摩阿姫。その後、続けて詠った。

  『あかず見む 幾春ごとに咲きそふる 深雪の山の 花のさかりを』


 この歌の裏の意味は、「もうやってられないわ、私帰りたいわ。また違う誰かと醍醐の花見に来るわよ」ということらしい。

 その証拠に、この花見の後に、摩阿姫はすぐに側室を辞意しているのだ。


 とにかく、いつの世も女は恐ろしいものなのだ。

 天下を取った秀吉さえコントロールできなかった。


 ツののはえた女が気(木)にかかる。

 【桜】という漢字が、そう教えてくれている。


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