第四十三夜 嫉妬
【Ⅰ】
『例えば、あなたに兄弟が居たと仮定しよう。
年が離れていても、近くても構わない。
あなたが一人しかいないなら、もしかしたら今から私が言う問い掛けに理解を示すことが出来ないかもしれないが。
あなたが良くできた子供だと思って想像して欲しい。
少なくとも、この仮定条件では兄弟の中で最も優れているのがあなただ。
どう優れていても良いだろう。勉強が出来る、家事が出来る、…まぁ、自分が一番美しい、といったことでも問題ない。
ここで着眼してほしいのは親の観点だ。
兄弟からみたあなたではなく、兄弟の中にいるあなたが両親からどう見えるのかということが重要だ。
きっと、そんな素晴らしいあなたは両親に愛されている事だろう。
将来への期待、我が子としての誇り。
様々な想いによってあなたは愛されている。
今回の議題は、
“親の愛が作用する効果”
の一例を上げる。
さて、その愛とはとても尊いが、時にそれらの想いが全て好転するとは限らない。
それは何故か?
愛というのは、親子という間柄において“期待”という要素を最も含みやすいからである。そして、その期待と言うものが実はとても厄介なものであると気がつくことができない。
期待というものは、期待する対象の虚像だ。
すでに期待が実像となっていれば、それは期待と呼べないことは言うまでもない。
虚像はここでは理想と言うこともできる。
理想はあくまでも理想であり、必ずしも実像として反映されない可能性があることは認識していなくてはならず、その認識が過度な期待によって薄れたとき、期待の対象ー則ち、あなたの人生は後に親の描く虚像と近似していくことを私は危惧したい。
近似してくる、というのは具体的に言うとあなたの選択という場面での選択肢が他人や兄弟より少なくなってしまうことだ。自由を失う、という言い方は意味合いが広い上にかつ断定的な表現なので控えるが、まぁ似たようなものかもしれない。
選択肢が少なくなるどころか選択する場面すらすくなることもある。
何かをしたくても、できなくなるのだ。
期待という名の虚像を提唱され、抗う子供がいたとしても、抗いきれない理由があることはご存知だろうか?
親が子へ向ける期待が、“子供のため”ということを、子供自身が信じて疑わないからである。
だから、子供は抗えない。
例え抗ったとしても、残念ながら“反抗期”という言葉のせいで矯正されるのが今の世間だ。
つまり、愛が全て好転するとは言い難い。
愛は素晴らしい。
しかしながら、今回の一例で愛が実に難しいかものであると考えて頂けたことだろう』
【Ⅱ】
「偉そうに…」
矢島は自宅のテレビを消した。
起床したのは昼過ぎ。出来ればすぐにでもこんな碌でも無い家を出たかったが、喉が乾いていたためキッチンと一体化しているリビングルームに向かうことにしたのだ。
リビングルームに入って直ぐに耳障りだったのがつきっぱなしのテレビの音。
誰かが先程まで見ていてそのまま離席したのが判る。
消さなかったということは再びこの空間に戻ってくる可能性は高い。
面倒だ、誰にも会いたくない。
矢島はさっさと用を済ませて出ていこうとしたのだが、耳に入ってきた音が情報として認識された途端、何故だか自分の脚が止まってしまったのだ。
「…」
“何故だか”だなんて、只の言い訳。
分かっている。
自分は、テレビで親の愛を語るオヤジで言うところの“子供”だったのだと。
父親は“反抗期”で片付けているし、
母親は“虚像”が“実像”になると信じて疑わない。
そして、弟は見向きもされず、ただ俺を優位にさせるための“兄弟”として両親の視界にチラついてるだけ。
愚かな弟は、それでも両親に認識されたくて足掻いている。
行く末などたかが知れているというのに。
だが、もっと愚かなのは両親だ。
現状の俺に対してお互いの解釈が異なったとしても、その本質は結果的に彼等の理想に俺が近似されることを信じて疑っていない。
自分の将来の担保を失うことを恐れなければ何でもできる。
先のことを考えずに、今が良ければ構わない。今いる世界はそんな所だ。
そこでの快楽に身を投じることにも、何だか随分と慣れてしまった。
しかし、そんな世界に足一本沈めている山霧には自分と違って間違いの無い先がある。
あのブレザーのエンブレム。未来が用意された証。
なのに自分と同じ世界に突然現れた。
知らない世界を知りたいなどという興味本位で。
「そうか……」
水を入れたグラスから、わざわざ唇を離して呟いた。
彼に興味を持つ理由。
単純に奴の技量だけでは無く、優等生様のクセして平気な顔で好き勝手していることが好ましくないと思っている。
いや、“好ましくない”なんてモノではない。
本音は……
「……ハハ、成程。クソみてぇだなーー」
ガシャン、と激しい音をたててグラスが弾ける。
水を飲んだグラスを矢島はフローリングに叩き付けていた。
下らない、下らなさすぎて自分でも言語化出来ていなかったとは。
矢島は、ただ“今”と“先”の両方を持っている山霧に嫉妬していただけだったのだ。
その嫉妬という二文字だけの理由で、矢島は山霧からその両方を潰してしまいたかった。
自覚をして、全身に血が通う。
笑える。そして腸が煮えくり返る。
そんな下らないことでこの俺が?
こんな馬鹿馬鹿しいこと、誰にも言えない。
麻尾になんて以ての外。
しかし、麻尾は山霧のこの世界での存在を自分の娯楽として認めてしまっている。
勝手に行動すれば、麻尾との乱闘は避けられないだろう。そうなってしまっては、いくら東で二番を張っていても、人どころか生物としてマトモに生きることすら危ぶまれる。
今の楽しみに執着する猟奇的な部分は、西の槙と大差ない。そんな何時でもリミッターが弾け飛ぶ化け物に勝るとも思わない。
俺が劣って耐え難いのは、化け物ではなく、社会で生きられる人間か…。
矢島は目を伏せる。
奴を葬り去るにはどうすれば良い?
矢島はやや興奮した状態の身体が疼き、いても立っても居られなくなった。
割れたグラスを踏んで足の裏から出血しても玄関への歩みを止めることはしない。
「お兄ちゃん?…何か落としたの…?」
何かが砕け散った派手な音に不安を感じた弟の瀬羅は、二階から音の聞こえた一階に繋がる階段の途中で問い掛けた。
だが、返事はなく、階段を降りきった瀬羅が見たものは、閉まりかけた玄関の扉と、廊下の点々と続く血痕だった。
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