第三十八夜 事実
【Ⅰ】
角谷宅に訪れていた桂はふざけた問答をさっさと切り上げたかった。
「様子を伺おうと思ったのですが、....まぁあちらの手に渡ってしまったのなら仕方無いですね」
桂は角谷宅に来た理由を呟く。
元橋の話題よりも山霧の話題の方が角谷にとっても興味深いことに違いはなかった。
「手に渡った、というより....“渡してやった”んだ」
桂の眉が片方だけ跳ねた。以外だ、と言うように。
「というと?」
「今日だけで面が割れたのは結構いるし、何より奴の居場所が明確だ。だから、会おうと思えばあたりはつくし、内城を知ることだってできる」
桂は、視線を少し下げた。
ふー、と息を吐く音が微かに聞こえる。
「...“再び会えれば”ですけどね」
「会える」
角谷は断言した。
「浅尾が許すでしょうか?」
「浅尾がどうとかではなくて、槙が逃がしはしないだろ?」
タイマンの後の槙を桂は思い出す。
あれは、とても満足した顔ではなかった。
歓喜し、恍惚として、
その事実に呆然としていたようだった。
見つけたのだ。槙は。
そして、浅尾の存在は追い求めるその手を阻む理由にはなり得ない。
「確かに....そうですね」
「だろ?槙は決して欲求に抗わない。そんなのわかりきっているのに。だから、今回奴があっちにいったのは現状ベストなハズなんだよ」
....けど、と角谷は続ける
「俺個人としては正直つまんねぇんだよなぁ」
「....」
「知ってるか?まぁ、聞くまでもないだろうけどねぇ。
奴の吸収力はハンパネェぞ」
そう言う角谷を桂は、無意識に──睨んでいた。
槙も、角谷も....。
あの突然現れた青年にある種心を動かされつつある。
理由はわかる。角谷の言うとおりだ。
山霧という青年は学習能力がとにかく凄い。現状を比較してもそれはその一時の評価でしかなく、1日寝かせただけでも変わるだろう。
考える時間を与える、それだけで山霧は成長する。
次に会うときはまた別の姿が写るのだ。
彼等にとって面白くないわけがない。
桂は席を立った。
それをみて、角谷は手のひらを差し出す。
「....なんですかその手は」
「お勘定」
「ご心配なく。お兄様に直接お渡ししますから」
「腹立つねぇ」
くあっと欠伸をする角谷を横目にその場を去る。
去り際に見た角谷の目は、何かもどかしげに燻っていた。
レジのあるところまで行き、呼び鈴を押すと八馬がエプロンで濡れた手を拭いながら厨房からやって来た。
「....あ、もう帰るの?」
「はい。用事は済みましたので」
「用事なくても来てよ。ここ店だし」
きっかり角谷と自分の食べた分を計算して代金を渡す。
再度八馬に会釈をして店を出ると、背後に気配を感じて反射的に飛び退いた。
「....?」
誰だ。
そう思ったが、直ぐに誰かの判別は出来た。
「ねぇ、もう帰るところ?」
角谷の妹、七日だ。
「....まぁ。そうですが」
この妹と話すのはこれが始めてだ。
何せ、そもそも店内ですれ違うことはあれど基本この妹は二番目の兄...つまり、九一をゴミ虫を見る様に嫌悪している。
従って、角谷と関係性のある自分を嫌悪する対象であることは態度と相まって聞くまでもない事だった。
こちらも用があったことなど一度もない。
つまり話す必要など全くないハズなのだ。
....が。
「ちょっとだけ、時間くれる?」
七日は何かを投げつけてきた。
“微糖”という文字が見える。
カフェオレの缶だった。
【Ⅱ】
普通なら、メリットもなく第三者の言うことなど聞きはしない。目上のものであるかは別として。
だが、相手は関係性の構築は愚か有無を言わさず事を進めようとしている。
流石は角谷の妹だと言わざるを得ない。
相手のペースに断るタイミングを見失った。
「ねぇ、単刀直入に訊くけど卓弥君に何してんの?」
七日は文字通り、刀を突きつけるように訊いてきた。
桂は二度ほど瞬きをする。
「誰ですって?」
「山霧卓弥....って、知ってるでしょ?さっき家に居たけど、アイツとただ事じゃなかったし」
ただ事じゃない?
ここの家に来てから一悶着あったのか?それは聞いていない。
しかしながらこちらが質問させてもらえる雰囲気では無さそうだ。
「で?何しようとしてるのよ」
何度も言わせるなと云わんばかりである。
七日の質問意味を考えた。言語的意味は理解できるものの質問の意図がわからない。
そして、本質的な意味も曖昧であった。
「“何をしてる”とは?」
「あんた達....つまり、あの男は卓也君をどうするつもり?」
あの男というのは聞き返すまでもなく九一のことだろう。
というより、彼女は何故山霧のことに深く関わろうとしているのだろうか。
「さぁ....どうするつもりなのかは判りかねます」
「何言ってるの?アイツとつるんでて判らないわけないでしょ」
「正直に言えば好き好んでつるんでいる訳では無いんですが」
寧ろ関わりたくない。
角谷といるのは、たまたま属するエリアが同じだから。それ以外に理由はなかった。
手の中に収まる缶は冷たく、結露が手を濡らす。飲み頃であるハズだが、残念ながらカフェオレの甘さは桂の好みではない。
角谷の存在はこの缶飲料と同じレベルか、あの独特の
「あなたが好き好んでいるとかそうじゃないとかはどうでもいいの。事実一緒に居るだけで私には同じ事だし」
その言葉を聞いた桂は鼻で笑う。
「それは私にとっても同じですが。あなたがどう彼のことが気になってもこちらはどうでも良いことです。質問に答える義理はありませんね」
七日は口をきゅっと結ぶ。
桂の言うとおりだ。
だが、そこで直ぐに引き下がらない。
それほど彼女は山霧のことが気になるらしい。
「じゃあ、そのカフェオレ分だけ聞かせてよ」
「内容によりますが」
押し付けてきたに等しいものを掲げて何を言うのか。
そんなところも角谷にそっくりだが、言えば火を見ることは目に見えたので黙っておく。
「どうして卓弥君は...アイツと知り合いなの?」
知り合い....という立ち位置になったのだとすれば間違いなく今日送らせた自分の影響と言える。
そもそも彼女はどこまで我等のことを知っているのだろうか。
そんな興味が生まれたので、会話を続けることにする。
「あなたは槙という男をご存じで?」
「....知ってる。たまに店に来るおっきな変な人でしょ」
「角谷と山霧の接点は槙によって起こったものです」
槙と山霧が体を張り合うあの場で起きた。
七日は不愉快そうに眉を寄せた。
「なにそれ、ていうかじゃあそもそもなんであんた達と卓弥君が知り合いなのよ。どうしてその男と....卓弥君、なにか騙されてるんじゃ....」
七日はスカートの裾を握り締めた。
成る程、と桂は内心で理解した。
「そもそも何故槙と山霧が知り合いか....ですか。それは是非ともあなたが何故山霧を知っているのかを話して頂かないとフェアではないですね」
先んずる疑問の答への興味が瞬時に勝ったのか、七日は渋らずに言った。
「卓弥君と私は同じ学校で....友達だもの」
【Ⅲ】
これはなかなか面白い。
「....“友達”」
「そうよ、卓弥君は頭も良いし、あんた達みたいな人種と付き合うような人じゃない。それがどうしてあんなクソ野郎と一緒なのよおかしいでしょ?!」
七日は本音をぶちまけた。
桂はわざとらしく小首を傾げる。
「....あなたの主張は理解しました。が、完全に私達を悪者にしたいんですかね」
「悪者もなにも社会のゴミくずが何言ってんのよ」
「言いたい放題ですか」
「間違ってないわ。お兄ちゃんは仕方無いからアイツに付き合ってあげてるだけ。お店にも迎え入れているけど私はアイツも含めてあんた達を客だなんて思ったことは一度もない」
どんだけ嫌われているんだ角谷は。
確かに、あんなのが身内だったら我慢できるか怪しい所ではある。
そんな角谷でもバカな女は群がるのだ。とするとこの妹は女として男を見る目は多少なり有るのかもしれない。
だが、どうにも自分に酔い始める部分は嫌悪するもう一人の兄にそっくりだと判らせてやる必要がある。
「まぁ、他人の評価など私にとってはどうでも良い。それより勘違いしている部分があるのでそれだけ訂正しましょう」
「勘違い?」
「原点回帰、ですよ。七日さん」
一歩、桂は七日に近付く。
「我々が山霧に近付いたのではない。
───望んでこちらに来たのは山霧の方だ」
見えない桂のマスクの下で、綺麗な下弦の月が型どられた。
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