第三十九夜 針鼠

【Ⅰ】

白井翼は今年25歳を迎えるフリーターである。

現在唯一の職がキャバクラホールのボーイだ。

大学時代、そこそこの顔でそこそこの人気があった白井は成り行きでホストになるもトーク力が絶望的とのことで提携先のキャバクラボーイとして第二の職でのスタートを切った。

それから三年。最低限の接客はできるもののトークにはもちろん自信がない。


「ご両親に電話は終わった?」

「はい」

「....そ、そう」


理沙の命にて白井が車を走らせること10分弱。

ついた先は都内のシティホテルだった。


このホテルは理沙が勤めるキャバクラを含んだグループのオーナーが管理するホテルであり、常にいくつかエグゼクティブからジュニアスイートまでの部屋が確保されている。

用途は適宜様々ではあるが、要は関係者が何時でも使用できるように、ということが主な理由だった。

それを当然知っている理沙は山霧をここで過ごさせるようにと指示をだした、ということである。


空きの部屋に案内し、山霧の親への連絡が完了したのが現時点。

まさに今、白井はトーク力の無さに押し潰されそうになっていた。


白井としては、再度怪我の様子見をして、一泊するよう促したら他の空き部屋に移動するつもりだったのだ。

それなのに、


『えっ』

『申し訳ありません白井様。本日はジュニアスイート一室しか空きが無く....』

『えっ、ジュニアじゃなくても良いんですけど。なんならビジネスでも....』

『恐れ入りますが満室です』

『あ、そ、そですか....』

『大変申し訳ございません』


チェックイン時にまさかの申し出。

何故そんなにも空きが少ないのかはある程度予想がつく。

それは、同じグループの系列店舗の誰かが何かの目的で使っているからだ。

とはいえ、残り一部屋だけとはそうそうない事態である。


チェックインを終えて部屋に入っても、普通はジュニアスイートともなると「わー」とか「すごーい」くらいは言ってくれるものなのだが、


「....」

「....」


この青年は残念なくらい予想通りだった。

相手が自分のペースに巻き込むような人間であれば、その波に乗っかるように巻き込まれて行けるが、お店のコ達とはタイプがまるで違うこの青年にその期待は難しい。


とりあえず、白井はトーク云々の前に気になる怪我の様子見から始めようとする。口ではなく手を動かすことに専念すればどうにかなるかもしれない。


「ええっと....キミ....」

「はい」

「ちょっと、服脱いでもらっていい?」


怪我─特に、腹部のあの痣が特に心配だ。どうして怪我するはめになったのかは気になるが、相手があの弟さんとなると他人事でも恐ろしい。


自分のファイティング相手が弟さんだったらと思うと白井は身震いせずには要られなかった。というか、闘う前に白旗を喜んで掲げるだろう。

そもそも、闘う状況すら作らないが。


全く、そう考えるとこの青年は見た目に反してヤンチャッ子なのか....?

白井はボケッとしていた視線を山霧に戻した。


そして、悲鳴を上げた。


「っ、ちょっとっ!」

「はい?」

「ちょちょ、なんでパンツまで脱ごうとしてるのッ、ストップストップ!」


ひぃ、と白井は片手で片目を隠しつつ、山霧の片腕を掴んだ。


....ん?なんで俺は目を隠したんだ?


「下は脱がなくて良いんでしょうか?」

「へっ」

「どこまでですか?下着は来たまま?上も下着は着た方が良いですか?靴下は....」

「あ、あ、あ、もう!それでいいからっ。そこの椅子に座ってっ」


なんで怪我の手当てするだけなのにすっぽんぽんになろうとしてるんだよ....

と思った所で白井は「はて?」と思い返す。


服を脱げとは言ったが....何故脱がせるのかの理由を一言も言ってないような....?


「あー....」

「あの、」

「え?」

「私はてっきり風呂に入るのかと思っていたのですが」


おおお....確かに。

仰る通り。

白井は理由を言っていなかった。


「....ああ、うん、ごめん」

「?」

「キミさ、相当身体痛めてるから....お風呂は.....あまり無理して入らない方が良いと....思う」


ちょいちょい見える擦り傷が地味に痛そうだ。

特に肘のあたりが広範囲に渡って擦れている。元の肌が白いだけに目立ってしかたがない。


山霧は思い出したように自分の体を見た。

そして、腕を伸ばしたり、腰を捻ったりと一通りのストレッチを終えると白井に言う。


「そんなに気にする必要は無いですよ」

「え?」

「見た目は確かに酷いですが、外部から刺激を受けなければ問題なさそうです、外傷も軟膏か何かあれば事済みます」

「....ウソォ....絶対痛いだろ....」


信じられない、と苦い顔する白井の手首を山霧は掴んだ。

そして、間髪入れず自分の腹部に押し当てる。


「ぅおっ」


突然すぎる行動に白井は抵抗も忘れた。

相手の真意が全くわからない。


そんなプチパニックに陥っている白井の心境など微塵も察すること無く山霧は調で語り始めた。


「内出血を防ぐことはどんなに鍛えても難しいです。長い食生活によって血管を強くすることは....出来なくはないですが」


白井は突然の山霧の行動に驚いたが、次の瞬間には違うことに驚いてた。

手の…感触が。


「内蔵や、筋、骨を守る事は短期間の鍛練でもある程度は可能です」


硬い。

いや、ただ石のように硬いわけではない。弾力がある。ううん…なんと表現すべきか。

白井は視覚と触覚から伝わる情報の解離に驚いていた。

青年の腹部は白く、柔らかいものを想起させるが、その薄い皮膚の下には硬く強靭な肉が潜んでいたのだ。

柔らかいのに、硬い。


「皮膚は衝撃といったものに対して鍛えることは困難なので内部損傷は致し方ないですが、はっきりいってしまえばそれ以外は大したことありませんよ」

「....へぇ....」


凄い。感心してしまった。

確かに所々痛そうではあるものの、思ったほどは酷くないようだ。

それよりも白井が気になるのは山霧のその強靭な身体だった。


確かに触れなければ判らない。

というか、触ったところで専門でもない白井には判る範囲などたかが知れているのだが、それでも判るのだ。


これは....騙される。

この青年、ヤンチャッ子どころじゃ無さそうだぞ。


白井は正直、というか無意識に山霧を自分より弱い存在だと認識していた。

それは、決して見下すだとか、ナメているとかではなく、例えるなら学年が下の生徒を気遣うくらいのもの。


だが、そんな気遣いは無用なのだ。

理沙との会話で、手当てをしろ、とは一言も言われていない。

あくまで、隠れ蓑を貸す程度に過ぎなかった。


理沙は知っていたのだろう。自分の弟がどれ程の力があるのかを。

そして、その弟を相手にして現状起き上がることが出来ているこの青年に最早手当ての必要がないことを。


「とはいえ、腹部に関しては....流石に休息期間が必要でしょうが...」


後に続く言葉を聞いて、白井は耳を疑った。


「暫く夜遊びは....お預けですか....」

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