第四十夜 理由

【Ⅰ】

「口を開けて....」


口内は傷の治癒が早いと言うが、本当だ。

意識を失っていた時に酷かった頬裏の傷は既にくっついていた。勿論傷跡は残っているが出血が多いだけだったのか....と白井はホッとする。


「もう、本当にビックリした........」


もともと手当てする体でいた白井は軟膏を山霧に渡す。腹部と、打ち身している肩に湿布を貼りながら呟いた。


山霧は結局「身体が気持ち悪い」ということで風呂に入った。

ぶっ倒れていた時の惨状があまりに酷かったので白井は心配して止めていたが、本人があまりにケロリとしているものだから最後は「どうぞお好きに」と許可したのである。


当然寝間着など山霧本人は持っていないので、部屋に備え付けられているバスローブを身に付けている。

下着は、近くのコンビニで山霧の入浴中に慌てて白井が買ってきた。

入浴の有無に関わらず着替えはするのだから、ここに来る際ついでに購入しておけば良かったのだが、白井は残念ながらそこまで要領が良くはなかった。

それなのに、「やれ手当てしなきゃ!」とばかりに持ってきたのは救急セット丸々一式。

使ったのは渡した軟膏と先ほど貼り付けた湿布だけである。


「ありがとうございます」

「いや、....なんか、大丈夫そうで安心したよ」


本当に。

なんで、あんなにやられてて平気なのか神経を疑う。

聞けば聞くほど、この青年は変だった。


まず一つ目。

──『夜遊び』。


山霧の制服を見て、白井は知っていた。

全国的にも有名な進学校の制服。刺繍されたエンブレムが彼そのもののステータスを表している。

そして、それは見た目と全く反していない。

清潔感のあるさっぱりした顔に聡明な言葉遣い。正直、白井は自分より頭が良いことは話してみて直ぐに察した。


だが、頭が良いことと、こちらの世界で優位に立てることは必ずしもイコールにはならない。

要は、俗に言う《勉学》の定義が指す範囲内に夜の町の世渡り術我らのルールは存在しないからである。

そんな彼は、その術を熟知とまではいかずとも、『夜遊び』という単語が出るくらいには浸透しているらしい。


とは思うものの、その単語の意味を理解しているのかが疑問だ。

それ以前に何故『夜遊び』しているのか、が白井には皆目検討もつかないが。


そしてここからが二つ目。

これも白井主観の見た目とのギャップ。身体能力の高さ。

あの弟と張り合った(かどうかは判らないが恐らくそうとしか見えない)ことをある種裏付ける痣と、

何よりその身体つきだ。


キン肉○ン、とまでは到底及ばないが、腹筋のみならず、背筋、そして腕の筋もくっきり表れるほどしなやかな筋肉が皮膚の内側を鎧のように覆っている。

湿布を張るために身体のあちこちに触れ、観察したが感嘆せずにはいられない。


見るからにぼっちゃま優等生で、正直地味な顔つきなのに、かといってひ弱どころか身体能力が高く、夜遊びするような青年。


全ての要素同士が相反しそうなのに、

その、全てが見事にバランスをとっている。

歪さや違和感はない。

その事実に驚きはするが、白井は単純に「こんな人間がいるのか」と驚いた。



【Ⅱ】


「なんで『夜遊び』なんてしてるの?」


唐突過ぎるのは自覚しているが、トーク力がネックの白井は場の空気を繋ぐ事だけで限界だった。

相手が客であるホストの時でこそはガッチガチに固まっていたが、今は高校生、それも男だ。

などと言い訳しながら、それでも気になって問う白井の一方で、

話の順序等がどうとか気にする質ではない山霧は即答した。


「したことがないからです」

「は?」

「それに、今しか出来ないこと....ですから」


白井は返ってきた答えに更に困惑する。


「え、え?夜遊びって何、イマドキ皆経験してるわけ?中学生とかに?」

「?さぁ?他の方のことは知りませんけど」

「いや、そうじゃなくてさ。....『したことがない』って言うから他の周りの子はしてたのかなって」

「僕が経験のないことと、他の方の経験がどう関係するんでしょうか?」


白井は深呼吸した。


「まぁいいや、えーっと、ね、したことないことって俺もだけどたくさんあるわけで。そのなかでもキミが....その、夜遊びを選択した理由が知りたいって言うか....」


山霧はやや目を見開いた。

バスローブから覗く腕の痣に視線を下げた。

それから、再び視線を戻す。


「夜は、家にいることが毎日でした。学校が終わって、塾に行って」


今までの話し方とは異なり、ゆっくりと思い出すように話し始めた。


「僕の家の周辺は、あまり治安が良くないんです。夜中でも物音が凄いんですが、何故その時間に喧嘩とかするのか....さっぱりわかりませんでした」


普通だ...

ここまできいたらフツーにごく普通の子なのに。

白井は黙って聞いていた。


「けれど、これは経験則ですが─人というのは、ある行動に対してメリット....例えば、“楽しい”と感じたりしなければやりませんよね?何かの本で読んだのですが、『相手をぶちのめして頂点にのしあがってやるぜ』....だったでしょうか....、そういったモチベーションが彼らの理由であるということが判ったんです」


それ、何の本だよ....今の若者とか不良ってそんなこと言わなくない....?

白井は尚も黙って聞いていた。


「頂点に立つ。....その領域が彼等にとっては一般的に『夜遊び』と称されるモノだったのです。その未知な領域が自身の身近にあるにも関わらず....僕にはそれが判らなかった。理解できなかった。だから、僕は知りたくなったんです」

「だから、....もしかして、喧嘩するために体を鍛えたとか」

「そうです。少し前はわりと勝てたんですが....ここ最近は自分の力及ばない部分を自覚する日々で」


はー....?

何、どういうこと?

つまり、

不良いる→喧嘩してる→意味不明→理解できない→理解しよう

ってこと?


だんだん嬉しそうに語り始める山霧が、白井には理解できなかった。

かといって、彼のようにとは思わなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る