第二十七夜 存外
【Ⅰ】
山霧のバックから
「誰だよったく、出れねぇんだから諦めろっつーの!」
原付を走らせるのは角谷。
何時も被っているヘルメットは後ろに無理矢理固定させている山霧に被せている。
完全に交通ルールとしてアウトなノーヘル状態且つニケツ。
地域を熟知している角谷は人通りの少なく、また警官の巡回が薄い道を辿って家に向かう。
自宅は、近隣でそこそこ有名な居酒屋だった。
両親と兄がひっそりと経営している店だ。
地元の駅から商店街を抜けて直ぐ。
スナックやらが隣接するその場所に自宅兼居酒屋があった。
店は一番の賑わいを見せている。
角谷の家の居酒屋は、夕方五時からの開店で、
家族がお客のオーダーに終われる中、角谷は裏口からそろりと家に入り、自室にどうにか辿り着いた。
そっと扉を閉め、背中に背負ったままの山霧をベッドに下ろす。
暫し山霧を見下ろした後、角谷はどさっと床に腰を下ろした。
「......失神と睡眠はちげぇよな......」
ぽつりと呟く。
睡眠なら寝かせておいていいかもしれないという言い訳が出来そうな気がした。
とはいえ、それ以前に傷を負っているのだから何かしらの対処をする必要がある。
溜め息をついて山霧の肩を揺さぶった。
「おい、起きろ!」
角谷が山霧を連れ帰る必要があった理由。
それは割と流れで考えれば当然のことだった。
『え、俺?』
『このまま此処に放置するわけにはいきませんし、私は槙さんから離れられませんから』
保健室での会話。
一度槙の所へ行っていた桂がグラウンドから再び戻ってきても、山霧は目を覚ましていなかった。
このまま本人を家に返すことは物理的に造作もないが、実際問題不味いことだらけである。
腹を殴打して気絶しましたと理由を告げてお返ししたとして、只で済む筈がない。
見たところ良いとこの制服を身に付けていたし、普通の家庭で普通に過ごしてきたことが感じられる。
今回の当事者は山霧を除いて三人。
槙、桂、角谷だが、
『槙さんに預けるなんて出来るわけが無いです』
その中でまだマトモにお守りが出来るのは角谷だけ。
ご尤もな意見に渋々角谷が同意する他なかった。
そもそも角谷は当事者ではない。野次馬根性が災いした結果だ。
正直、いくらその中でマシな人材だと言えども、人を看たことなどないのでどうすればよいかわからない。
だが、常に怪我と隣り合わせの生活を送っているので、そういう場合の対処方はある程度身に付いている。
只、当然資格などを得ている訳でなく、自己流に頼った部分も多い。
それ故に、自分が勝手にあれこれするには気が引けた。
「...........ていうのは、きっと言い訳だな......」
角谷は自分にそう言い聞かせて、やめた。
ネックレスのチェーンを弄びながら、山霧を睨むように見詰める。
何もしないよりましなのだから、簡単な手当てくらいさっさとすればいい。
だが、角谷は何処かで恐れていた。
自分が勝手にあれこれするのが不安だからだって?
そんな生易しくお綺麗な理由じゃあない。
山霧の体に触れること。
山霧が目を覚ましてしまうこと。
槙との闘いで忘れかけていたが、角谷は学校の正門で抱いた山霧への印象をじわじわと思い出しつつあった。
─魅惑的で魅力的。
「...........」
あまりにも美しいものに見えた。
あまりにも儚いものに見えた。
だからこそ、角谷の中に常に潜む“加虐心”が頭をもたげかけてしまう。
角谷は、山霧のシャツの裾を掴み、思いきり捲り上げた。
露になるのは、骨格に合わせて計算されたように付いた筋と、それを覆う薄い皮膚。
噛みついたら直ぐに破けてしまいそうな弱々しい皮膜に浮かぶ、
─毒々しい痣。
狙ったような位置に苦笑いした。
「......上書きかよ」
グラウンドで一度上半身裸になった山霧を見た時に見付けた淡い朱色の痣。
暴力を奮い、奮われる側の人間ならわかるその痣は、確かに山霧本人が言うとおり『負けても言い訳にならない』程度には十分に完治していることを示している。
だが、きっと槙はそれが気に食わなかった。
理由はわからない。だが、痣を見ればわかるのだ。
何かの思いを山霧に捩じ込むように上書きしたということが。
これは確かに失神しても可笑しくない程の怪我。
自分ですら、不意討ちでマトモにあんなもの腹に受けたらアバラの何本かは余裕で──
そこまで考えて角谷は何かに気が付いた。
「......おいおい......」
角谷は山霧の胸から臍の上にかけて指を上下左右に滑らせる。
「嘘だろ」
見た目だけはグロテスクな程のどす黒い痣だが、ダメージはそれだけだった。
アバラは、一本たりとも傷付いていない。
グラウンドから保健室に運ぶときも、骨に異常があれば注意をせねばならない。
失神している相手はある種麻痺状態にあるので痛みで覚醒することはあまりないが、もし動かしたときにズレなどが生じた場合、治癒に当然時間がかかる。
そうだ、あの時一度桂が確認をしていた。
だから平気だと思ってここまで連れ回したが──
「それこそがおかしいじゃん...........」
だとすると、あれは不意討ちではなかったということか?
咄嗟に、受け身をとった?
あの瞬間で?
「...........」
それ以外に考えられるか?
槙が絶不調であるなら察しもつくが、とてもそう思えないことは日中巻き添えを喰らった時に嫌でもわかっていたことだった。
十分すぎる程に好調だった槙。
ウォーミングアップをする程期待値の高い相手が来ることがわかっていながら、不調を抱えて臨むような人間じゃない。
─そうか。
「それほどの相手なのだから、当然....か..」
槙は普段むやみやたらに暴れているように見えて、実はそうではない。
勿論、ストレスや息抜き、体操がてら身近な人間をフルボッコにすることは多々あるが、理性を失うほど陶酔した闘いをすることはごく稀だ。
いや、そのような彼にとって心地好い闘いが出来なかったのだ。
しなかったのではない。
したくても、それに相応しい相手が居なかっただけ。
それこそ、麻尾レベルの化け物に会うことを渇望していた。
そんな中での“夜叉”騒動。
こんな姿して、やはり只者じゃない。
この青年。
【Ⅱ】
山霧の携帯は着信が途絶えない。
切れてはかかり、切れてはかかり。
流石にイラッとした角谷は後ろめたさすら捨て山霧の鞄に手を突っ込んだ。
その瞬間、
「う、う...........」
「!」
背後から聞こえた呻き声に角谷は思いきり肩を跳ねさせた。
着信を告げる山霧のスマホを放置し、角谷は山霧の側による。
「っ、やべ」
そして、捲ったままだったシャツの裾を元に戻した。
無意味にピアスを片手で弄りつつ、山霧の様子を伺うと、どうやら目が覚めたらしい。
「...........」
視線がゆっくりと部屋をさ迷う。そして、角谷の姿を確認すると口を薄く開いた。
「......避けずに.....受け止めたことは覚えています」
「え?」
ちょっと言ってる意味がわからない。
角谷が聞き返そうとすると、「...........ぐ..ぅ...」と山霧が唸った。
どうやら無意識に上体を起こそうとしたせいで生まれた腹部の痛みに耐えられなかったらしい。
そうか。山霧は槙に受けた攻撃のところまでは覚えていると言ったのか。
起きた瞬間パニックになるでもなく、自分がどこまで状況を理解しているのかを把握すべく動き出すその姿勢に角谷は驚いた。
何故なら、始めに立てた仮説のどれにも当てはまらなかったからだ。
恐怖に戦くか。
痛みに悶えるか。
敗北に項垂れるか。
どれにも当てはまらない人間。
「しかしながら、ここは見覚えがありません.....ここはどちらでしょうか」
冷静に分析し、的確に自分がわからない所を明確にしていく。
そして、次に自分がとるべき行動のために明確にした不明確な部分を明らかにしていくのだ。
なんと強かなことか。
「──そうこなくっちゃ」
思わず、角谷は舌舐めずりした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます