第二十八夜 剥落

【Ⅰ】


「そうですか.....」


角谷は、山霧が何故此処に居るのかという経緯いきさつを説明した。

山霧は表情を崩すことなく、至って事務的に相槌を打つ。


「見た目、またえげつない事になってるけど。多分大したことないよ」

「...........」


山霧は、じっと角谷を見詰める。

角谷もまたその視線に応えるが、恋人たちが部屋で醸し出す甘いような雰囲気など皆無で、


山霧の向けるそれは、ある物体を観察し、吟味するようなものであった。


敢えて角谷は山霧が話始めるのを待つ。

一分程経つ頃に、山霧は口周辺の筋肉だけを動かして、表情に感情はおくびにも出さず角谷に言った。


「言いたいことがあるなら、遠慮なく仰って頂いても構いませんが」


確かに言いたいことは沢山あるし、それこそ訊きたいことも山ほどだ。


だが...........


角谷はぶっと吹き出した。


「.....じゃあ言うけど。俺さぁ、ぶっ倒れたお前をここまで運んできた訳。何か言うことあるんじゃない。放置してても良かったんだけど」


ふざけて言った。

それこそ、槙をからかうようなテンションで。

だが、山霧にとっては思わぬ方向からの切り込みだったのか、無表情だった顔を崩す。


「...........っぁ.....」

「.....馬鹿か?腹部怪我してるのに無理に起き上がろうすんな」


咄嗟に上体を起こそうとして、先程の二の舞を踏んだ山霧に苦笑した。


「まぁ.....馬鹿じゃねぇかもしんないけど」


角谷は制服の入った山霧の鞄を見る。


「有難うございます」


そう言った山霧の表情は、硬さが取れて柔らかい。

槙に笑っていたのとは違う、温かさのあるものだ。


「.....あ」


ヴンヴン、と生活音に近い音。

本日何件目か数えるのも面倒な着信が再びスマホを鳴らしている。


角谷は溜め息をついた。


スマホの持ち主は、山霧だ。


「携帯が.....鳴ってる.....」


ぼそりと山霧は呟いた。

角谷はうんざりとばかりに山霧の携帯を持ち主の元に放り投げる。


「それ、さっきからひっきりなしに鳴ってるんだけど」


上体が起こせない山霧は、渡され投げつけられたスマホを手探りで見つけ出したが、手に取った瞬間、着信は途絶えてしまった。


スマホを操作して着信履歴を開く。

すると、今まで見たこともないような件数が表示された。

そして、その相手は。


「........いけない」

「え?」

「すっかり忘れていました......」


東の頭。麻尾。


先日約束したこと。

夜は、彼の側にいること。


これが、所謂“所属する”ということになるのかはわからない。

だが、これは敗者である自分の義務だ。


「いかなくてはいけません」


角谷は、なんとなく嫌な予感がした。


「......どこに?」

「麻尾さんのところです」

「..............はぁぁ?」


嫌な予感はしていたものの、思いもよらぬ人物に驚きを隠さない。

今度は痛みに覚悟していたのか、山霧は呻き声を抑えるものの、顔をしかめながらベッドから降りようとした。


角谷は驚きつつ呆れたように言った。


「おいおいおい。バカいうなよ。麻尾?なんでまた」


そもそも何故連絡先を知っているのかも疑問だが、それよりも麻尾からの連絡に対してこれだけ感情的になる山霧がきになる。


「.......約束ですから」

「約束だぁ?なんの」

「僕の自由な時間は、すべて麻尾さんのものなんです」


—なにそれ。

角谷は、無性にその真意が気になった。


無理やり体を動かし、バッグを担ごうとしている山霧をベッドに向かって突き倒した。


「っ...」

「なぁ、なにそれ.....どういう意味?」


角谷は無理やり山霧のスマホを奪うと開いたままの着信履歴を見た。


麻尾

麻尾

麻尾

麻尾

麻尾

麻尾..........


それから何度かスクロールし、ようやく“兄さん”という宛名が見えて角谷は嘲笑を浮かべる。


「ふーん......なかなかこれは面白いことになってるじゃん」

「あの、本当に、僕は行かなければならないのです。勿論、あなたには感謝しています。邪魔でしかない僕を放っておかずにいて下さったのですから」


が、その笑みも山霧の言葉でかき消される。


「ああそう」

「お願いです、早くいかないと....僕は」


角谷は山霧の顔の両側に手をついた。


「“お願い”ね....気分がいいや。

で?『僕は』何?ここから出たいの?一刻も早く?」

「そうです」

「そう......」


再び角谷は山霧の服の裾を捲り上げた。

流石に他人にされることに驚いたのか、山霧は目を見開いた。


角谷はそんな山霧の様子など意にも介さず、


「————ああっ.....ぐ.......!!!!」


槙が殴打したその傷に拳をねじ込んだ。

骨がイカれていないのはわかっている。内臓にまで達するような傷であれば起き上がることはままならない。しかし、山霧は動けていた。


傷は、大したダメージではない。が、痛みは相当なものだろう。

腹部を庇うように体を丸めようとした山霧の上体を無理やり抑えた。


「こんな体で何しに行くのさ。え?麻尾の所に行ってリンチの手伝いか?」


捩じ込んだ拳から力を抜く。

だが、脳天に銃口を突き付けているのと同じ様に、その手は添えたままだ。


与えられた痛みの余韻に顔を歪めつつ、山霧は答える。


「それは、....僕もわかりません」

「わからない?」


腹部ではなく、肩を押さえていた手を移動させ、角谷は山霧の前髪を掴み後ろに思いきり引っ張った。


下顎が付き出すような角度になり、仰け反った喉から喉仏が浮き出る。


「っ............」

「『わからない』訳ねぇだろ?」


麻尾という男は無意味に人を側に置くようなお優しい人間じゃない。

何かしらの意味を山霧に見出だしているからこんなに連絡をしてきているのだ。


なのに、その当人が何もわからぬアホな訳がない。そんなアホを置いておくとも思えない。


角谷は文字通り脅した。


「お前さ、何時までも好き勝手出来ると思うな?槙と対等にタイマン張ること事態普通じゃない。一度ここでなぶり殺しにしてやっても良いんだよ。丁度手負いで動けないみたいだし」


だが、山霧は難しい顔をしつつも怯えたような素振りを見せない。


それに苛立つ。

それに興奮する。

いや、それだけじゃない。それだけが理由ではないが、角谷は自分の表面がバリバリと剥がれるような感じがした。


そして、暫く日に当たって居なかった部分が顔を覗かせる。


「─俺は麻尾とか槙とかと違う。絶好の相手を狩る楽しさもあるけど、俺はその楽しさより、手負いの獲物を好きなだけいたぶる方が良いんだよねぇ。この辺りはあっちの矢嶋と一致してるんだけど。ま、そんなことはどうでも良い」


露になっているのは白い身体。その上に浮かぶ痣は、まるで真っ白なキャンバスに塗られた他人の絵具による落書きの様だった。


こんな落書き、センスない。

色も悪い。

なにも考えずに重ねた色なんて汚くなるに決まってる。


俺ならこのグロテスクな色を艶やかなものに出来る。

ぶちまけてやろう、この上に好きなだけ─


たっぷりと絵具のついた筆を下ろそうとした時、まるで世界が反転するような錯覚に陥るほど間延びした声が聞こえた。


それは、ドア越しに。


「おい、九一。帰ってるなら暴れていないで手伝えー」


力が緩んだ。

その隙を見逃さない。


「っ!?」


腹部の拳を払い、前髪を捕まれたまま無理矢理顔を動かした。抜け落ちた何本かの髪を惜しむことなく、再びバッグを掴んで部屋の出口まで走る。


腹部がひどく痛む。

だが、これは致命的な怪我じゃない。

只、痛いだけだ。平気。


ドアを開けた。

見つかってもかまわない。


兎に角早く行かないと。


部屋を出た途端、目の前に誰かがいた。


「ったく、暴れるくらいなら下で酒の用意を............って、あれ、九一?じゃねぇ」


姿を捉えられたが気にしない。

一刻も早く、と階段をかけ下りた。

他人の家だが仕方がない。お詫びは後で考えるしかない。


「.......待て!」


角谷の声。

早く、早く...........!


階段を下りて素早く周囲を見渡す。

扉が二つ。一つは部屋を仕切っているだけのようだった、奥が騒がしい。

もう一つは静かで暗い。


出口は、これだ。


迷わずその扉の取っ手に手をかけた。


「え?何、今の誰だ?」

「どけ八っちゃん!」

「っ、おい!九一!」


そのまま扉を押せば外だ。

そうすれば後は全速力で──


山霧は思いきり扉を押す。

すると、何やら抵抗を感じ、同時に声が聞こえた。


「キャア!!」


何かを無理矢理押しどけるような感覚。

そして、それが倒れる音。


流石に山霧の動きが止まった。


「っ、痛ったぁ........」


女性、というより、女子が倒れていた。


「す、すみま」


条件反射で謝ろうとし、起き上がるのに手を貸そうとした。

すると。


「こんの能無しがっ!いっつもいっつもばか騒ぎしてちょっとはおとなしくしろこの猿!」


山霧に向かって怒鳴ってきた。

内容よりその声量と威圧感にやや山霧は固まった。

だが、直ぐにその顔に見覚えがあることに気が付く。

それは、相手も同じだった。


「あ.......ええと、角谷さん?」


その時思い出した。

そうだ、同じだ。同じ苗字だ。


目の前の女子高生は真っ赤だった顔を真っ青にする。


「ええっ!え?ちょ、.....やだ、なんで?嘘。どうして山霧君.......?」


後ろから足音が聞こえた。


「おいおい、何が起こってるんだよ騒がしいな、九一も七日も.......


で、九一の部屋から出てきた君は誰?」


山霧はよろり、と後ろを振り返った。


エプロンをつけた背の高い男と、その後ろで額に手を当てて唸る九一。


「.......お騒がせして、すみません.......」


腹が、痛い。


「お、おい!君!」

「や、山霧君!?」


山霧はその場に蹲った。

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