第二十九夜 惜別

【Ⅰ】

─世間って狭い。

「マジでか......」と唸るのは八馬。


山霧の身柄は今八馬の元にあった。

只、二人きりというわけではなく、その空間には角谷と、クラスメイトである七日がいる。


しゃがみこんだ山霧を八馬が抱えて自室に運ながら「君は誰なんだ」と訊いた。

八馬は弟に聞いたつもりだったが、妹である七日から返事が返ってくる。


「山霧君っていうの。私のクラスメイトだよ。ほら、この間お兄ちゃんに話したでしょ?勉強を教えてくれる友達ができたって」

「は?そんなこと知らねえけど」

「アンタには話してないし」

「俺も“お兄ちゃん”なんだけど」

「はぁ?たった二時間差で生まれただけでしょ?うるさいな」

「んだとこのクソアマ!」

「二人ともうるさい」


—“山霧”

その苗字が今ここで出てくるとは思いもせず、二人の口論の制止に時間がかかった。


二人の話─特に、弟である九一の話を聞きいて見知らぬ青年の正体と現状を把握し、今に至る。


まさか、先ほど電話で目を光らせろと言われた対象の人間が一時とおかずにこの場にいるなんてなんということなのか。

これは偶然にしてはあまりにも.....

しかも、兄弟全員と繋がりがあるだなんて。


いや、俺との関係性を伝えるのは得策ではないが。


ボリボリと八馬は頭を掻いた。

山霧は心ここにあらず、といった表情で俯いたまま。

そんな様子のクラスメイトを心配そうに見る妹。

そして、若冠不貞腐れている弟。


八馬はとりあえず、山霧の兄の事は頭に置いたまま、山霧個人の状況を考える。

話によると、東の頭に呼ばれているらしい。

それを聞いて勿論驚きはしたが、弟が山霧の存在を認知しているということは既にに足を踏入れてしまった、ということだ。


当時、そうならぬよう動いていたのに、何故こんなことに。

出来れば麻尾とやらにも会わず、九一とも離れて欲しいが、いきなりその旨をここで言ったとしても意味がないだろう。


だが、今後の事より先ずは今。

ここに長時間置いておくのは不味い気がする。


「九一」


弟を呼ぶと視線だけを寄越してきた。


「その子....山霧君を麻尾の所に届けてやれ」


一瞬、驚いた素振りを見せたが、直ぐにその表情を消すと鼻で嗤った。


「...何言ってんの八っちゃん。俺、あっちのチームに少しの義理もないんだけど?第一、気絶してた奴をここまで運んだってだけでも甲斐甲斐しいことこの上無いのに態々敵陣に粗品を贈れって?そんなことしたら槙に殺されるよ」

「殺される?」


角谷は山霧の腹を指差した。


「コイツ、さっきまで槙と一戦交えてたんだぜ?八っちゃんが槙を何れだけ知ってるかはわかんねぇーけど、其処らの奴が気軽に一発当てられるような人間じゃない。なのにそんな奴とマトモに戦ってたんだ。

『暇』だとか『つまんねぇ』が口ぐせの槙が自分との相手が務まる獲物に興味を抱かない筈がないだろ。

見た目に騙されちゃいけない、コイツはとんでもない化け物だからな」


その言葉に七日が反論する。


「ちょっと!山霧君をそんな呼び方しないで!」

「うるせぇ、テメーはすっこんでろ」

「ハァ?」


八馬は眉間の皺を濃くした。

それは、事態があまりにも面倒で、かつヤバイ方向に傾いていることを悟ったからである。


東と西の両方と既に接触済み............


これは報告する時にある程度死ぬ覚悟をせねばならないかもしれない。


「...七日」

「なに?」

「お前、母さんの手伝いをしてきな」

「えっ、ちょ、あたしだけ?でも山霧君が...」

「お前には関係無い話だ。...席を外せ」


有無を言わせぬトーンで言うと、流石に逆らえないとわかったのか、渋々といった態度で「じゃあね、山義理君」と静かに言い、八馬の部屋から出ていった。


トントン、と階段を降りる音を確認して八馬は口を開く。


「つまり、お前が言いたいのは、槙の御気に入りになった山霧を無断で譲渡は出来ない、と?」


文脈から察すれば、そう言うことになる。


だが、角谷はここで素直に頷く事が出来なかった。

確かに、そういう解釈になるのは正しいが、槙は果たしてどこまで山霧に固執しているのだろう。

そんな疑問が角谷に浮上した。


否、この言い方ではおかしい。

固執はしていた。間違いない。

だが、麻尾とはまた違うものではないのだろうか。

麻尾が山霧に対してどう思っているのかなど知ったことではないが、あの二人は力が互角な所のみ一致しているだけであり、思考回路も嗜好もまるで違う。


槙は興味を失ってはいない。

しかし、山霧を側に置きたがっている麻尾と同じかどうかはわからない。断言するに必要な素振りも見受けられない。


とすると、これは自分の中の私情が介入しているのか。

槙だ西だと理由をつけて、自分の懐に置いておきたいと──?


暫し黙っていた角谷は山霧を見た。

当の山霧は事の成行を見届けようと静かに話を聞いていたようだ。

自分が入るとややこしくなる。そう感じているように見える。

先程の焦った表情はもう見られない。


何考えてんのかわかんねぇ。

何なのホントに............


八馬に向かって言う。


「いや、違う。............というか、違うみたいだ。槙はまだここから先に関しては、動いてない」


角谷は自分の携帯電話を見た。

桂からのメールが来ているだけで、槙からは何もない。


まぁ、槙がマメにメールなんてするような人間ではないのだけど。


恐らくまだ槙もわからないのではないかと思う。

自分と等しく闘える相手の存在に高揚し、その相手を負かしてしまった。

目的を再び失った焦燥感に駆られている筈だ。期待が大きかっただけにそれは比例するだろう。


そうだ、考え方を変えればいい。

これは実際にこの目で、東がこいつに対してどの様な扱いをしようとしているのかを見れる絶好の機会だ。


直前の兄の言葉を思い出す。


まさか。


「............もしかして、八っちゃん、そう言うこと?」


『届に行け』とはそういうことか。


角谷の問には返さず、八馬は山霧に話し掛けた。


「腹は、一応湿布を貼ってる。怪我は酷くないが痛みはあるだろうから無理はするな。自分が今何れだけ動けるのか、動けないのかを把握することは力を持つもの程必要な事だぞ............いいな?」


八馬としては釘を刺したつもりだった。


「わかりました」


どの様な経緯で喧嘩馴れしてしまったのか定かではないが、弟の話を聞く限りではそんじょそこらのチンピラよりは余程動けるらしい。

中途半端に力をつけてしまった人間が気を付けなければいけないのは、自分のパラメータだ。それさえ常に意識していれば簡単に沈むことはないだろう。

山霧は今、絶好調ではない。

力を見誤ってしまわないように今は注意を払うことしか自分には出来ない。


九一が何れだけ把握して戻ってくるか。


「とても...燈也さんには言えないな」


先ずは現状を知らなければならない。


【Ⅱ】


バイクを止めた場所はとある工具店の駐車場。

漸く折り返しの電話を掛けることが出来た山霧が麻尾に指定された場所である。

角谷と山霧は辺りを見回す。


「なんでキチガイと居るんだよ」


直ぐに目的の人物は見付かった。

怖いほど整った顔は早々いない。

燦々と降り注ぐ日光よりも、憂いを帯びる月光が映える男。

その人─麻尾が忌々しいとばかりに毒づいた声だった。


角谷を睨むと、次に山霧を睨む。


「何回電話したのかわかってんのかテメー」

「三十七回です」


角谷はブ、と吹き出した。

単純に件数の通知を覚えていただけだろうが、この状況で答えるのはやはり肝が据わっている。

しかも相手はあの麻尾。


苦虫を噛み潰したような顔をした麻尾は、つかつかと山霧の方に歩いていき、山霧の腕を引っ張った。

そのまま角谷には見向きもせず、立ち退こうとする。


行ってしまう。

彼が。


角谷は誰かに伸ばした手をさ迷わせて、直ぐ降ろした。

そして硬い拳をつくる。

山霧の背中を見た瞬間角谷は思ったのだ。

それは何かを奪われる不快感による苛立ちか、

はたまた、折角捕まえた獲物の檻を無断で開け放たれた苛立ちか。

要は、山霧を逃してしまうことに何かしら思うところがある以上、角谷は山霧に対して固執するものがあると認めざるを得ない。


「は?シカト?

礼くらいあってもいいんじゃないの、足になってやったんだから」


整理できない感覚と感情がごちゃ混ぜになって、半場餓鬼染みたような文句を付ける。

笑っているのか嗤っているのか...

自分の顔がわからなかった。


麻尾に腕を引かれながら山霧は角谷の方を向いた。そして、何時もより声を張って言う。


「僕は先程逃れようとした様に見えたかもしれませんが、決してそんなことはしません。また会います。会いに、行きます。

─絶対に」


まさか麻尾ではなく山霧から返ってくるとは思いもしなかった。

山霧のその言葉に角谷が絶句していると、麻尾が立ち止まり、振り返る。


「失礼のないようわきまえてるよ...

割りと上等な“お礼”を用意してある」


背後、左右。

前方は麻尾と山霧だ。


二人意外にも─居る。


「マジでいいんですか?総長~~」

「うお、“道化師”じゃん」

「一人じゃぜってぇー勝てねぇからラッキー」


出てくる出てくる。

目算で十人は居る。

顔と名前が一致する人間は一人もいない。


角谷はさっきまで異常値を叩き出していた何かが平常値に戻るような感覚を覚えた。


「精々、楽しめ」


“お礼”ネェ...

何が上等だよ。


バット、スパナ、鉄パイプに名前も判らぬ手製の何か。

それらが全て麻尾の言う上等な“お礼”に似合いの安い装飾に見える。


工具店...そういうことね。

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