第四十四夜 断片

【I】


学校…いや、予備校帰りの住宅街。

四メートル間隔で設置された、やや多いくらいの外灯は、ここの治安の悪さによって五年前から増設されたものである。

昼間程ではないものの、夜道とは思えぬ明るさで道を照らしている。

そうすると、すれ違うであろう人間の顔までは明確にならずとも、背格好は早い段階で視認できるようになる。

よって、近付いてくるごとに服装、髪色、鼻の形、目付き、瞳の色—と順に結び付き、人間が人物として…明確になっていく。


「あ」


山霧は声を上げた。

目の前には、知っている人間がいた。

しかし、山霧には名前がわからない。というより、…覚えていない。

が、名前が分からずとも知っている人間が現れたら、大方の人間は声をだしてしまうものだ。


鳶色の茶髪、清潔感のある身形。して、長身。

制服でないから気がつくのに少し時間がかかった。

黒いシャツに黒いジーンズ。光沢が保たれているショートブーツ。

今の時期、とても昼間には身に付けることのできない格好である。


「こんばんは…」

「久しぶり」

「お久しぶりです」

「ちょっと時間ある?」

「ということは、僕がここを通るとわかって待っていたと?」

「まぁまぁ、それはおいおい。話せる場所を用意してあるけど、どう?」

「構いませんよ。門限もないですし。ただ、ここは住宅街ですがそんな場所ありますか?」

「近くはないんだけどね」


視線で指した方向にバイクが止まっている。

歩こうが歩くまいが山霧にとってはどうでもよかった。

そんなことより、少しうずうずする。

麻尾と一緒に居た人。

昨日ボロボロにされたというのに、期待で痣や節々の痛みを忘れてしまう。

忘れて、また陶酔したくなる。

まだまだ飽きることは無いのだと実感する。

麻尾とは違う、だが何か不思議な掴み所のないこの男を今度こそ覚えようと山霧は思った。

しかし、改めて見ると、何だか見覚えがあるような…

山霧は記憶をもそもそと探り始める。


「わかりました、ところで…」

「何?」

「すみません…あなたの名前が出てこない」

「マジで?……失礼だね、オマエの携帯電話にアドレスは入っている筈だけど?」


顔はわかるのだ。

今まで、出会っても一瞬。もしくは麻尾のインパクトが強く、確りとから照らし合わせるようなことをしなかった為に、“誰”なのかがイマイチわかっていない。


覚えてないと伝えた上で不快な表情をされなかったことは良かった。

記憶力に自信はあるが、人と関わったことがあまりない山霧はどうにも接触数に乏しい人の名前が定着しにくいらしい。

山霧は携帯電話を取り出して、再び「あ」と口にする。


「どうした?」

「いえ、…なんでもありません」


ついつい口にだしたのは何十件もの着信履歴に圧感されたためだ。

メールも数件通知から確認できる。

全て相手は槙。マナーモードではなく、サイレントが通常設定の山霧は全く気がつかなかった。だが、それは後で確認の上折り返すことにした。

麻尾とのタイマンの為に交換した連絡先をメールの履歴から確認する。


「失礼しました、矢島さん」

「…これでも一度名前を交換した相手は俺の名前を忘れないんだけどね。自分に自信無くすなぁ」

「顔は覚えていましたよ。…綺麗な方で印象が強かったので」

「……そうそう、普通は美形を見ると忘れない」


綺麗な顔。

そう、その綺麗な顔を何処かで見た気がするのだ…。いや、この顔ではなく、厳密にはというべきか。

初対面の時にも、“初対面”だと思えなかった。何か、記憶の片隅にある顔の様なのだが…。

対し、矢島は否定も謙遜も無く、バイクに跨った。

エンジンをかけようとして、人が動く気配が無いことに気が付く。


「おい、乗れよ」

「あの」

「何」

「腰に手を回して良いんですか?」

「…は?」


矢島は意味がわからず眉を寄せた。

そして、五秒後にわかった。


「…あのさ、死にたい訳じゃないよな?普通に判るだろ」


わかったつもりで、答えた。

親しくない人間と距離を詰めても良いかと訊かれたのだと思った。

だが、そうでは無かった。


「“エル・シェーン”のシャツ…」


山霧はずいっと矢島に近付いた。

そして、矢島のシャツの襟を指す。


「ここ、知ってます。衣類のブランドですね。有名な」

「…」

「僕が矢島さんにぎゅっと掴まってしまうと皺が寄る気がして」


なるほど、服ね。服。

何故わかったのか、普通は分からない。いや、が今の俺の周りにいる訳がないのだ。

矢島はそう思った。だが、気が付く。


「流石…目利きはするって訳ね優等生?」

「兄や父が身に着けるブランドの一つですから。後、そのブランドは布地の縫い目が他と異なるので比較的分かりやすいかと」


皮肉も通じない。面白くない。

しかし、そんなところが矢島が認識する範囲の山霧だ。

矢島は短く息を付く。


「…もういいよ、それより早くして。シャツなんてどうでも良いから。

…麻尾を待たせたくないし」


山霧の瞼が痙攣した。

それを誤魔化すように数回パシパシと瞬きをする。

その反応に、矢島は少し驚いた。


「…麻尾さんと会うんですか?僕が?」

「そうだ」

「昨日あったばっかりですけど…」

「じゃあ、合うのを拒否したと言って良いんだな?」


ブンブン、と山霧は顔を横に振る。


「そうじゃないです。昨日最後は体調が良くなさそうでしたけどもう平気なんですかね?

それに、…」

「?」

「僕って、そんなに会いたいと思えるような人間なんでしょうか」


麻尾の名前が出たら表情が変わった。

逆を言えば、俺など興味の範疇にも無いと取れる。


「本人に会えば判るだろ」

「…そうですね」


【Ⅱ】


「多少騒がしいところだが」と前置きされて入った場所は、山霧にとっては“多少”というレベルを遥かに上回っていた。

所謂クラブという処で、広い空間の中央では男女が音楽に合わせて踊り、端の方では飲み物や軽食を挟んで会話を楽しんだりしている。

当然、来るのが初めてである山霧は、その新鮮さにキョロキョロとあたりを見回した。


勝手がわからないので矢島についていくが、その後ろ姿を改めて見ると、周囲の人間と劣らぬ体をしていることがよくわかる。

ーとても学生とは、思えない。

知っている。背中の雰囲気もなんとなく…もしや、矢島は……。

そんな矢島は、数回誰かに声をかけられていたが軽く流して空いているカウンターに山霧を案内した。


スタッフが直ぐにオーダーを取りに来た。

メニューなどは用意されず、矢島は何かを頼んでいたようだが、周りが騒がしく耳がなれない山霧は何も聞こえなかった。


「おかしいな…麻尾のヤツ、既にいると思っていたんだが…」


呼び出した張本人がどうやらまだいないらしい。

折角時間がありそうなので、単なる好奇心で訊く。


「ところで、僕があの場所を通ると知っていたのですか?」

「いや、知らない。けど、道を絞り込む方法は簡単だ。あのあたりでそこそこご立派な家は数えるほどだし、特に“山霧”なんて苗字はそう多いものじゃない。加えて駅の方面を考慮すると、可能性の高いルートのうち、どれも共通して通る道が一つある」


矢島は目も合わせずにさらりと答えた。


「確かに。…流石ですね」


『流石』といった山霧に、矢島は不信感を覚える。


「『流石』だ…?」


俺の名前を知らないほど興味がなかったんじゃないのか?

『流石』といえる程、俺の何を知っているというのだろう?


「.....」

「あ、顔だけは覚えてるので…」

「どういう....」

「……“ラッセン・ミューブル”ってご存知です?」

「......!!!」


矢島の顔に戦慄が走る。

そんな矢島の隠せぬ反応を知ってか知らずか、山霧は淡々と述べる。


「もしかしたら、と思うのですが矢島さんは....」

「お、前っ.......!!」

「きゃっ...!」


矢島が思わず立ち上がると、丁度飲み物を運んできたスタッフの女性と接触しそうになった。

山霧は目を丸くした。何故なら、そこまで驚かれるようなことを話したつもりがないからである。

黙って矢島を見上げていると、唸るような、何かを抑えるような声で矢島が言った。


「お前、その話題は二度と口にすんな」

「......?.....気に障ったのなら、申し訳ありません」


誰しも触れられたくない琴線はある。山霧は反省した。

矢島の頭の回転や、発言の節々。

そして、印象に残る顔。

そのパーツを、山霧は見たことがある気がしたのだ。幾前から。

記憶が確かであれば、いや、ほぼ確信したのは.....。


矢島はスタッフから無言で飲み物を受け取ると、一つを山霧に渡した。



「あーーーーっ」



変に響く声は発せられた方向からして自分たちに向けられたものであると、矢島も山霧もわかった。だから、振り向いた。


「とってもとっても失礼な~~ヒ・ガ・シの色男~」

「.......」


二人の男。

一人はサングラスをかけ、もう一人は堀の深いつり上がった目元が特徴的な男。

サングラスの男が声をかけてきたらしい。もう一人は黙ってこちらを見ている


山霧は見覚えがない。名前はわからなくても顔はわかる。

知らない。

だが、矢島はそうではないようだ。

先程の戦慄した顔とは異なり、困ったような苦い顔を浮かべていた。

あまり好ましい相手ではないらしい。


「何してんの?....あ」


サングラスの男は、山霧を見て笑った。


「この間、槙ってやつと睦まじく遊んでた子だね?」


そして、にゅっと山霧を至近距離で覗き込んだ。


山霧はサングラス越しに僅かな照明の光を借りて見えた目元が何かと....誰かと一致した。


「.....桂さん?」

「あれっ、.......俺、君に名乗ったっけ?」

「いえ、でも....」


サングラスの男は手を山霧の前にかざした。


「待って、わかった。あれだ、桂大河と間違えてるべ~」


知っている。山霧は桂大河という男を。

よく似ているこの男は?


「俺は....んー、名乗ろうかな?どうしようかな?な、どう思う?」

「すきにすれば」

「うーん、櫻木が言うなら。それに、君、面白そうだし。名前交換しよう。

俺、桂の双子の片割れ、

―大地」


手が、差し伸べられた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る