第四十五夜 初手

【Ⅰ】


「“大地”って字わかる?あっちが“大河”だからね。よくあることだけど。…で、名前は?」

「山霧卓弥です」

「何年?」

「二年です」

「あっ、じゃあ同じじゃん。タクヤ君よろしくネ」


差し出された手を握る。

すると、大地はその手を握り返すと直ぐには離さなかった。


「!」


握手はされたまま、大地の空いたもう片方の手が山霧の捉えられた腕をシャツ越しに滑る。


「ふぅーむ…いい腕。鍛えてるね」

「……」

「ま、そりゃそうか。槙とあれだけ遊ぶにはそれ相応の武器がないとだめだもんねェ」


大地は山霧の腕を掴んだまま矢島を見た。


「…で、ですよ。先日はマァうちの面目を潰して頂きまして」


矢島は舌打ちした。

先日、というのは南部地区の〈鎌鼬〉が〈鬼爪〉に挨拶しにいったらトップの麻尾が居なかったという件だ。


「…言い返す言葉もない。…が、文句や要求は本人にどうぞ」

「へぇ、直接こっちからお会いしても?」

「ここでどうせ決め事をしても、ウチの最終決議は麻尾が取る」

「そのご本人が前回居なかったんですけどね〜」


未だ山霧を手を繋いでいる大地は、再度山霧を見た。


「そういえば、タクヤ君は東のモノになったの?

…てっきりサァ、槙には負けてる訳だから“追放”にでもなったのかと」

「それでも良いんだが…麻尾と槙にあそこまで時間をかけて一人で遊んだ奴だぞ?〈夜叉〉の通り名は伊達じゃないってな」


山霧は黙っている。

大地は「確かに」と然程驚いた様子もなく、寧ろ当たり前だという様に頷いた。


「それで…今度は自分が闘ってみたいって?」

「…」

「だから連れてるの?それとも…もう済んだ?」


矢島としては勿論、倒したいと思っている。

只、闘いたい理由は先陣切った二人とは異なるが。

答える義理はないので、次の言葉を選ぶ。

何せ、麻尾とここで合うつもりなのだからこの二人にはさっさと去ってもらわねば後が面倒だ。

大地には麻尾に直接話せと言ったものの、この場で麻尾の時間を取られるのが煩わしい。

矢島が言葉を発する前に、ずっと沈黙を貫いていた男が口を開いた。


「そう…警戒しなくても良い」


肩甲骨を覆う程の黒い長髪をした男。

身長は矢島より少し高い位である。

言葉は、矢島に向けて発せられた。


「…警戒?」


腑に落ちない、という表情を浮かべた矢島から直ぐに興味をなくしたのか、男は未だ大地に捕まっている山霧に視線を向けた。


「俺は櫻木だ」

「…」

「君と会うのは、…“会う”のは初めてだ。見たことはあるが」

「それは、話から察するに槙さんと闘った時で間違いはないですよね」

「そうだな。君の闘い方は実に面白かった」


能面を貫いていた男の目尻が上がった。


「まるで、無駄を削ぎ落とした動きだった。演舞している様だと思ったのを覚えている」


矢島はいつの間にか櫻木の言葉を注意深く聞いていた。

槙と闘ったことは知っていたが、流石にどの様に闘ったのかまではわからない。想像できるが、あくまで“想像”でしかない。


「武道を嗜む人間は、拍や勘といったものも鍛える概念として持っているが、演舞と例えたものの君のはそれとは違うな」

「そうなんですか?多少は勉強したのでそういった考えがあることに少しは影響を受けた動きだと思っていたのですが」


櫻木は闘うことを“武道”と例えた。

何か嗜んでいるのだろうか、以前会ったあの時は殆ど口を交わさなかったのでわからなかった。

そう、櫻木という男はそれほど快活なイメージは無く、寧ろ寡黙という方が適している。


なのに、今宵の櫻木はいやに饒舌だ。

それは、大地の思うところでもあった。


「考えて、寸分の狂いなく一撃を放つ。その間の速度は異常だ。速度だけなら大した事は無いが…思考が挟む余裕があることが武器なのだろうな」


大地は「ええー?」と声を上げる。


「あの速度が『大した事ない』だって?アレに適う奴なんか数えるほどしか…」


大地が指折る仕草をした。

それを見て、櫻木は首を静かに横に振る。


「他と比べることは無意味だ。拳を振るうだけならどんな人間でも容易い。お前は“アスリート”と“走れる人間”を比べるか?」

「…あー、ハイハイ。櫻木みたいな異常値と比べてってことネ」


櫻木は山霧の方に一歩踏み出した。


「君は、〈鬼爪〉に“吸収”されたのか?」


その問いに、山霧ではなく矢島が答える。


「いや。こちらに属してしまったら…もう“闘えなく”なる」


麻尾はまだ満足してないし、矢島は闘ってすらいない。

そう、チームに属してしまえば闘えなくなる。チーム内で闘うなど組織としての脆弱性を露呈させるようなものだ。単なる手合わせとは違う。


山霧は、未だ“抹殺対象”であることに代わりは無いのだから。


「…なるほど、しかし、ならば連れ歩く意味は」


連れ歩く意味。

それは、何時でも“殺せる”ようにしておくというのが矢島個人の抱くもの。

邪魔されないように、他の人間に打ちのめされると考えると心がざわつく。

麻尾にも同じ様な不快感を得なくもないが、こればっかりははっきりしている力関係が働いている為、どうしようもない。


ならば、せめて目の届く所に。


「力関係は絶対だ。…山霧を倒した麻尾は口頭で約束を結んだ。連れ歩く、という意図ではないが結果としてそのような待遇になっていることには間違いない」

「チームにも属させることなく、側に置くとでも?…あの男が、か?」


本当のところはどうなのだろうか。

それは本人にしかわからないこと。

最も近くに居るとしても、矢島が麻尾の全てを理解している訳ではないし、寧ろ不可解な部分が多いとすら思っている。


「さぁ。推測はお好きにどうぞ」


櫻木は直ぐに矢島に興味を失って山霧を見た。


「君に、非常に興味がある」


「えっ」と声を上げたのは大地。

矢島は眉間に皺を寄せるが何も言わない。


「倒す快感も知らぬではないが、それよりも君の目指す高みが気になる」


山霧は「高み…」と静かに呟いてこう言った。


「先の事などは考えていませんでした。目先の愉しさを堪能するだけでしたから」

「君の感じる愉しさとは?」

「闘う時。…これに尽きるかと」


「ならば尚更」と櫻木は鷹揚に頷いた。


「高みとは自己を研磨することで見えるもの。今の君の闘い方は諸刃の剣だ。向かう所敵無しのようで、空きを見破られれば一撃で沈む。そんな闘い方をしては時間の無駄だ」


純粋に闘いを愉悦とする槙。

倒すことを絶対とする麻尾。

どちらも共通点があると櫻木は思っている。


それは、並外れた“勘”による学習能力が早いことだ。

そして、事実山霧の二つの敗因は、適応していった相手について行けなくなったこと。


「勘を付けろ、…山霧。そうすればもっと面白い」


笑顔とは程遠いのに、そんな空気を櫻木から大地は感じていた。

だが、その空気は一瞬で消える。

櫻木は一つ瞬きをしてゆっくり視線を横へと移す。


「矢島、俺はこいつ等を呼べと言ってねぇぞ」


麻尾が、何時の間にかそこに居た。


【Ⅱ】


今突然として現れたような、それともまるでずっと其処に居たような。

そんな空気が麻尾には取り巻いていた。


「連日苦労をかけるなぁ、山霧」


機嫌が良いのを隠さないのか、カツカツと軽い足音を立てて麻尾は山霧の側に寄る。


「昨夜といい、その前といい…槙との時からもほとんど時間は経ってないのに。身体は平気なのか?」

「日常生活は問題ないです」

「…だよなぁ、流石」


クックッと喉の奥で笑うと、目の前で静かにしている櫻木を見た。


「すいませんね、この間は」

「…」

「でもテメェらも悪いんだぜ?“取り込み中”ってわかってて予定を捩じ込んで来るなんて」


確かに、あの頃〈夜叉〉の存在はかなり広範囲に認知されていた。それだけ手当り次第に暴れていたということでもある。

矢島が黙って成行きを伺っていると大地が吠えた。


「ハァ?こっちは“ルール”に則って態々伺いに行ってやったんだけど?」


“ルール”。

それは、周囲のチームを倒し、領域を拡張し、次のターゲットとなるクラスのチームに自分達の存在を提示すること。

手段は問われていないが、お互いのチームがその存在を認識できれば構わない。暗黙としてトップ、謂わば大将がお互いを認識することが求められている。


つまり、〈鎌鼬〉は事実上、西と東に分断されていた区域に南という分断を仕掛けるリーチを仕掛ていたということだ。


―――ヒュッ。


そう牙を剝いた大地を、麻尾は黙らせる。

大地の眼前に、ぼやけるほど迫っている何かの先端。


「―――るセぇな、騒ぐな鼠風情が」


アルミで出来た、マドラーが突き付けられていた。

大地は気圧されたが、視線で怯むことは無かった。だが、ここで幾ら自分が騒いでもやはり力関係は歴然としているのだ。

ギッと歯軋りをして、山霧と麻尾から離れる。


「まぁ、確かに時期としては悪かったのかもしれない」


櫻木は麻尾にそう言うと、山霧の左頬に右手の甲を当てた。


「何れ、ゆっくり会えることを楽しみにする」


「行くぞ」と大地に声をかけ、二人は雑踏に消えて行った。

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