第四十六夜 敬遠

【I】

始めは、ほんの少し、「この人、いいな」と思うくらいだった。


角谷七日が山霧卓弥の存在を気にし始めたのは、第二学年に進級し、同じクラスになってすぐだった。

本人はあまり気にしていないかもしれないが、“山霧”という名前はこの学校ではかなり認知度が高い。


それは、本人の学力の高さと、家庭の持つ財力によるものである。

言わずもがな、山霧の学力は学校全体のレベルも全国に知れ渡っているこの学校でも数パーセントに入る上位に位置し続けていた。

そして、私立の学校にはよくあることだが、授業料の他に寄付金というものがある。これは、全ての家庭から強制的に徴収するものではなく、その名の通り善意によって支払われるものである。

山霧の通う私立の進学校ではその寄付金のレートがある程度スクールカーストに響いてくることは流れとして自然なことであった。そして、山霧の納めるその寄付金の金額は各家庭から納められる割合として学校も意識せざるを得ない程の割合を占めていた。

これらによって山霧は十分生徒からも教師からも周知される存在にはなっていたが、ここのところの山霧の変化が更に話題性への拍車をかけていた。


〈典型的なガリ勉メガネ〉。


そんなイメージが払拭された今、存在として意識されることは必然であったのである。


自分は間違いなく、山霧という人に好意を抱いている。

それは、間違いなかった。

勉強ができて、育ちが良さそうで、優しそうだけれども頼りなさを感じない。

自分の環境には今まで居なかったタイプの人間だった。


そう、自分の生活環境を取り巻いていたのはとても居心地の悪いもの。

家が居酒屋ということもあり、客層は逸脱として悪くはないものの決して良いとも言いきれない。

自宅地域の治安は最悪で、特に夜は酷い。加えて二人の兄が連れてくる“友人”とやらが自身にとっては“招かれざる客”であったのだ。


一番上の兄、八馬に関しては、仕方がなかったと言える。

角谷家は、決して裕福な家庭ではなかった。父と母が自営業として必死に経営している居酒屋の収入は、子供三人を育てるにはとても厳しいものであったのだ。

そんな家庭環境であることを、長男である八馬が気にしない筈はなく、学力として遜色はない中学を経たにも関わらず、進学したのは通学費もかからない地元の底辺校であった。

家のためでもあったが、七日は知っている。


幼い日のある夜、八馬と両親の三人が小さい円卓を囲んで話していた。

何を話しているのだろう?幼いながらにも興味がわき、ひっそりと足を忍ばせてドアの前に座って密かに耳を澄ませた。


『あんた、....本当にいいの?』

『うん』

『我慢してるんじゃないのか?先生も言ってたぞ、お前の学力は決して悪くはないんだぞ?』

『たしかに悪くはないけどさ、よく言うじゃん、中学校までの勉強ができれば暮らせるって。どうせこの先勉強ができたってどこまで生かせるかの保証はないし、勉強って俺そんなに好きじゃないんだよ正直』

『....八馬、でも』


表情を曇らせる両親に向かって、八馬は頭を下げる。


『高校には進学させてほしい。せめて、高卒学歴はないと就活もキツイし風当たりも辛いこの頃だし。...でも、高い金と高い受験料納めてまで進学校に進んで学力で父さんと母さんを今後楽にしてあげられる確約は....俺、できない。だから、ここを志望校にしたんだ』

『何言ってんのよ、お金とか父さん母さんのことなんて気にしなくて...』


『それだけじゃない。』


若干、声が震えていた。


『九一と、七日が居るだろ。あいつら、きっと将来やりたいことが増える筈だ。九一はサッカーが好きだし、七日は美人になる。俺と違って九一はやりたい事が決まってるし何よりあの性格じゃあ我慢させることの方が可哀想だ。それに七日は女の子だからきっとお金かかるぞ。俺の周りの女子なんて、ファッションと化粧のことばかりだからな。好きな服も買えない、なんてことで七日を悲しませたくないし』


両親は黙っていた。なぜなら、八馬が正しいことを言っていたからだ。


『だから、良いんだよ。これで』


七日は、その正しさにショックを受けた。

結局、八馬はそのまま地元の高校に進学した。本当に八馬はそれを望んでいたのかは今でもわからないが、その兄の気持ちを支えに七日は有名な進学校に特待生枠で入学できた。


だが、もう一人の兄、九一は


日々遊んでばかり。バカみたいに騒いで、よくわからない奴等を店に連れてくる。

こんなしょうもないヤツ、どうしてこの家にいるのかすら七日にはわからない。


なのに、ヤツは山霧すら自分の世界に巻き込もうとしている。


そのまま黙っている訳にいかない。

山霧は、自分で自覚をしている男性ヒトなのだ。


玄関の開く音がした。

丁度、入浴を終えた七日が自室に戻ろうと玄関の脇にある階段を登ろうとした時だった。


今最も...否、常に顔を合わせたくない人間。


「......何睨んでんだよ」


角谷九一が、左頰に傷を残して帰ってきた。



【II】


「別に」


睨んでいることに理由などない。

これが、ヤツに対する反射的な態度なのだ。それ以外の対応をすることのほうが面倒だし、そんな面倒をかける程の理由も持ち合わせてはいない。


七日は階段を登り始めると背後から声が聞こえた。


「お前さァ、山霧と知り合いになってんだろ?」

「...........」


無視して二階に上がってもなお、付いてくる角谷。

自室が隣同士である事が悔やまれる。


「アイツって、学校だとどんな感じなの?やっぱガリ勉なワケ?」

「うるさい、話しかけんな」


拒絶を露わにしているのに、空気を読めないんだか読まないんだか、尚も角谷は話しかけてくる。


「アイツに言っとけよ。

早く会ってやらないと、ってな」


七日は、バッと振り返った。


「.....どういうこと?」

「お上品なお前にはわかんねーことだよ。ま、俺のことが気に食わねーってんで伝えなくても良いけどな。直接注意喚起出来そうな人間はお前以外に見当たらねーし。大事なオトモダチなら変な意地張らずに伝えておいた方が良いぜ」


ケラケラと下品な笑みを浮かべるこの男に嫌悪感が増す。

山霧をヤツの世界から連れ戻すにはどうすれば良いのだろう。昼間は正論それっぽいかの様に言ってはいたが、解釈がどう転んだって世間的に好ましくないことは確かなのである。

それを、忘れてはならないのだ。


自室に入ると七日は扉をきっちりと閉めた。

そして、いつもの習慣で無意識に携帯電話を開く。

仲の良い友人から数件のメッセージが飛んでいた。メッセージの中には山霧からの通知は一件も無い。

つまりは、山霧にとって七日の存在はその程度なのだ。友人の一人。考えたくはないが、九一よりも興味の範疇外かもしれない。


七日はベッドに身を沈めた。恋する乙女は世界が桃色になると聞いていたが、実際は灰色に塗りつぶされているような気持ちだった。


逡巡の後、七日は電話を掛けた。




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