第三十夜 焦燥

【Ⅰ】


やはり、只ではテリトリーから逃がしてもらえそうにない。


角谷は、額にかかる金色の前髪を後ろに流す。

視界がクリアになった。


右、百二十度。

左、百二十度。

死角、百二十度。


人間の視野はかなり狭いが、角谷は結果として視野を広げることができる。

それは、一度見た景色を瞬時に記憶できるという特異的な能力にあった。


瞬間記憶に長けている角谷は、言わば“人間連写機”である。

零点五秒の間に左右の視野を合わせて二百四十度を見渡すということが出来るのだが、要点は零点五秒というその速度だ。


人間の視野は左右合わせて百二十度程。その範囲内で両目で見られる部分が多くを占め、より距離感や大きさを正確に把握することが出来るものの、やはり視野の広さでは草食動物に劣る部分がある。


それは無論、それほどの視野を必要とせず、見える範囲で確実な視界を手に入れるべく求められた進化によるものだ。


では角谷がそうではないのか?というとそれは違う。彼もまた同じ人体構造─即ち、他者と同じ視野しか持っていない。


角谷は瞬時に三分の二の景色を見渡し、記憶する。

そしてまた次の瞬間には異なる視点での景色を見渡して記憶。


これを、一秒あたり二回。

そして、ひたすら繰返し、情報として飲み込む。


始めに比喩したように景色を様々な角度ですることが角谷には出きるのだ。


つまり、その機能を持ってして、結果的に何が角谷の技となっているのか。




最も近い位置にいる人間は四人。

その内一人は一メートル程の長さの鉄パイプを持っている。

パイプ持ちは斜め右後ろ、辰巳の方角。

距離は二メートル。

前方三人は、二秒でいける。


角谷は其々三人に動きが鈍る箇所を打撃した。

脛、首、鳩尾。

ここは、槙や麻尾程の腕力がなくとも的確に狙えれば楽にオトせる。


「ってぇぇぇぇ!」

「くそがっ!」

「こっの…ゲホッ、ゴホッ............」


動きが遅い。

只、数が多い。

一人一人が蛆虫でも、それを全て駆逐するのは労働的に楽じゃあない。


それに、楽しくもない。

全く楽しめねぇよバァーカと悪態をつく反面、背後に気を配る。


そろそろ来る頃だ。


「死ねぇぇっ!」


ひゅん、と風を切る音。

だが、その音とスピードに違和感を覚えた。


改めて確認せずとも軌道の読める鉄パイプを交わす。

パイプがアスファルトに降り下ろされ、カコンッ、という軽い音がした。


角谷は軽く地面を蹴って鉄パイプを振りかざした男の懐に入る。


「鉄じゃないね............塩化ビニルか」

「っは?」

「そこら辺の管でも拾ってスプレーでゴマしかしただけ?だよねぇ」


先程の違和感も頷ける。

鉄であればその重さで勝手にスピードが上がるが、そうではなかった。

軽さ故に自分の筋力がなくては決定的な打撃を与えることなど出来ない。

塩化ビニルといった素材上、扱いは楽だが大したダメージ等見込めない。


ましてや。


「こんなオモチャで俺の相手なんか出来ないっしょ?」


角谷はふざけた見た目でも西のナンバーツー。

パイプを奪って目の前の人間を蹴りとばすと、また後ろから迫る三人に奪ったパイプを振りかざした。


軽い素材の物は首から上に当てなければ殆ど意味がない。


それでもダメージとしては軽いが、運が良ければ鼻の骨くらいはおれるし、瞼が切れることもある。


ぎゃあぎゃあと喚き呻く声を聞く限り、中々のヒットが見込めたようだ。


残りはもう話しにもならない。


連写して出来た幾数ものフィルムから自分が取るべき最も有効な手段を選択する。

元より優れた瞬発力と、記憶力、その処理能力なくしてはこの機敏な動きは出来ない。


つまらなかった。

山霧もいない。


道具を振り回したところで何も変わらない。

人数が増えても面倒なだけで楽しくなど無い。


「あーーーっ!もう!マジイライラするっ!」


がすっと近くで伸びている肉塊を蹴りとばす。

叫んだところで仕方がないのだが、それでも苛立ちは消えない。


有益なことが何もない。

この時間は何だったのか?


相手の懐にも満足に忍び込むことができず、無駄な労力を強いられただけ。


舌打ちをしてバイクを止めている場所に戻ろうとその方向を見る。

そこには、一人の男が立っていた。


「おい、そこで何してんのよ」


気が立っている角谷はその相手がどう答えようと殴り倒すつもりだった。


相手はがっしりとした体格だった。

身長も角谷より高い。


逆立った短髪は、凛々しい顔を威圧的に変えている。


「.......準備運動は、済みましたか?」

「ハァ?」


だが、その威圧感漂う雰囲気とは変わり、言葉遣いは丁寧だ。

だが、態度は別物。


初対面の相手だからか、自分より年が上で、あるからか、そういった類いの言葉遣いであり、尊敬や慕いといった想いは全く感じられない。


「テメェ、誰よ」


さっさと退かねぇと倒す。

そういう意図で睨むが、相手は全く怯む姿勢を見せない。


男は微かに笑った。


「角谷センパイ、アンタに名乗る程の者では無いですけど、少なくともそこに転がる屑よりは楽しませてあげられますよ」

「......ヘェ?」

「麻尾サンが、あのレベルで“お礼”をするわけが無い。さっきのはウォーミングアップですよ。そういうところの配慮、中々手の行き届いた贈り物ですよね。そう思わないっすか?」


言いたいことが解ってきた。

確かに身体は温まっている。

先程の運動とも言えぬ運動のせいもあるが、気が立っていることも作用しているかもしれない。


角谷も笑った。


「言うじゃん。俺のこと知ってるみたいだし、それで仕掛けてくるんだからそれなりに楽しませてくれるんだよなぁ?」


──ガァン!

持っていたままのパイプを折る程の勢いで地面に叩き付けた。

衝撃で真っ二つになったパイプはカンカン、と跳ねて転がっていく。

破片も派手に飛んだ。


やっぱり鉄じゃねーし。


「勿論。

────俺も、ムシャクシャしてるんで」


微かに聞こえた。


─『“夜叉”のせいで』


そう呟く声が。


【Ⅱ】


角谷のバイクから、麻尾のバイクに交通手段が変わって、連れられること数分。


着いたのは、とても山霧一人では行かない場所だ。


「ここは.......」

「あ?しってんのか?」

「いえ、全く知りませんけど」


所謂、キャバクラという所ですか?と訊こうとしてやめた。

派手な店内ではあるが、路地裏のスナックといった雰囲気出はなく、高級感の漂う内装だった。各テーブルはスモークガラスで仕切られており、その中で思い思いの時間を過ごせるようになっている。


ただ、ボックスのように完全個室で仕切られている訳ではなく、全体が見渡せる程度には開放的だった。

おそらく、悪さ抑止の為だろう。


受付に迷わず脚を運ぶ麻尾に山霧は黙って着いていく。


「あぁっ!透!」

「ねぇ、ママの弟来たわ」


麻尾の姿を確認しキャバ嬢は色めき立つ。

受付で手慣れたように言葉を交わすと、麻尾は「いくぞ」と山霧の腕を引いた。


奥のテーブル席に着くと、一人の女性が出迎えてくれた。


「こんにちはぁ、ご指名有難う御座います!梨々香です」


焦げ茶色のセミロングを内巻きに緩くカールさせた美人が挨拶をした。


「.......こんばんは」


こんにちは、と言われたが、時間帯としてはこんばんはである。

態々『こんばんは』で返した山霧に梨々香は笑った。


「あはは、とっても可愛い!ねぇ、お客さんお名前教えてよ?」


山霧の腕がとられる。

ここで、今まで黙って既にソファにもたれ掛かっていた麻尾がため息混じりに梨々香に言った。


「うるせぇ、梨々香。さっさと火ィ着けろや」


取り出した煙草を加えて腕を組む。

山霧に笑顔を振り撒いていた梨々香は一変した態度でライターを取り出した。


「それさ、いくら客でも腹立つわぁ」


この席につくまで麻尾の姿をみた女性は皆頬を染めて騒いでいた。

だが、この梨々香は少し違うらしい。


梨々香は麻尾の煙草に火を着けると、用済みだとばかりに山霧に笑顔を向ける。


「で?お名前。教えて?」

「山霧拓哉です」


ペコ、と姿勢よくお辞儀をすると梨々香は益々「わぁー!」とテンションを上げてきた。


「タクヤ?タクヤ君かぁー。綺麗なお顔にぴったりのお名前!」

「綺麗.......?」


山霧は首を傾げる。


「そんなこと言われたの.......初めてです」

「ええー?嘘ォー」


梨々香は満面の笑顔で笑うが、そこに麻尾が口を挟んできた。


「山霧、こいつは誰にでもそう言うことを言うんだ、真に受けてんなよ」


つまらなさそうに紫煙を燻らせる麻尾こそ、男らしく美しい姿だが、梨々香はそんな麻尾には全くもって興味を示さない。


「うるさぁー。ていうか誰にでもは言わないし。ちゃんとその人をみて褒めてるよ」


うっざーと呟いて麻尾を足蹴にする梨々香は他の女性とは少し異なる様だ。


梨々香は麻尾から山霧に向くと不思議そうに尋ねてきた。


「でも言われたこと無いの?嘘でしょ?ていうかモテるでしょ?」


山霧は首を迷わず横に振る。


「モテるなんてまず無いですね。僕が興味ないということもありますが、友達ですら一人出来たばかりで」


いち早く反応したのは麻尾だった。


「誰だ」

「え?」


少し身を屈めて麻尾は山霧を見詰め─いや、睨み付けた。


「友達って、まさかあのキチガイじゃねーだろうな」

「ちょっと何?どーゆうこと?」

「るせぇテメェは黙ってろ」


梨々香は不貞腐れた。

山霧は、麻尾の言う人物が誰なのか何となく想定できた。


「角谷さんですか?同じ角谷さんですが、先程お世話になった方は友達というには少し難しいですね。僕の友人はあの人の妹さんです」

「ハァァ?」

「同じ学校のクラスメイトなので」


まさかの事実を麻尾は知る。

角谷と山霧がその様な関係で繋がっていたとは。


麻尾がここに山霧を連れてきたのは、色々と情報を集めるためだった。

それは、山霧自身のことも当然あるが、山霧と角谷が共にいるという事を知ってから西地区の状態も把握できるのでは、ということも含まれている。


「妹繋がりで.......アイツとつるんでるのか?」

「いえ。お会いしたのは今日が初めてですし、友達のお兄様だということも今日知りました」

「じゃあなんで今日一緒だったんだよ」


山霧は腹部を擦った。


「今日は、槙さんと闘ったんです」

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