第三十一夜 淡泊

【Ⅰ】


「槙サンと闘って...麻尾サン同様に僕は、負けました。

そして、槙サンの攻撃によって気絶した僕を角谷さんが診てくれていたんです」


角谷宅に運ばれれば、必然的に身内が明らかになる可能性は高くなる。

また、気絶していた、という部分から成程連絡が取れなかったのは頷けた。


しかし、同時に引っ掛かる。


「なんで気絶した?」


槙の攻撃がそう簡単に山霧に当たるとは思えない。

なのに、何故気絶までするほどの攻撃を受けてしまったのか。


山霧は服の裾を捲りあげた。

温くなった湿布を剥がす。


「ちょっ.......やだ、タクヤ君その痣っ」


ドス黒い腹部の痣。

麻尾は目を細める。

山霧には麻尾の言いたいことがわかった。


「別に、これは関係ありません。闘う前にも言われました。『完治したのか』と。只、同じ場所を狙われてしまっただけです。

何故、気絶するほどのダメージを受けてしまったのか、ですよね」


一拍、間を置く。


「麻尾サンの攻撃は、わざと受けました。勿論受け身をとって。

ですが、槙サンの攻撃は.......受け身を取れなかった。

正直、槙サンの動きは見えてました。麻尾サンとスピード勝負は無謀ですが、槙サンはいける。そう思っていたんです。

相手の行動を読んだつもりで............その裏をかかれました」


「そしてこのザマという訳です」、そう呟く山霧は麻尾には生き生きとして見えた。

たまに見せる人間味のある表情が、麻尾の中の“何か”を擽る。


槙と山霧の共通点は、その時を陶酔するほどに楽しむ事だ。

自分は─強い相手を望んでも、それは達成すべきものであり、目的ではない。


目的はその先にあった。


山霧の時もそう。

奴を倒して─それからどうしてやろうか?


それを考えていた。

そしていま、時間を拘束してここに連れてきてまで共にいる。


「スッゴい痛そう~タクヤ君平気なの?」

「今は鈍痛程度です」


裾を元に戻して山霧ははたと気が付く。


「そういえば麻尾サン、言うのが遅れましたが僕はあまり持ち合わせがありません」

「.......払わなくて良い」


常識的に考えて、未成年がこのような場所に入店することはまず認められない。

それは、もしかしたら隠すべく振る舞っているのかもしれないのでここで問うようなことはしないが、金銭的な面は相談しておかなくてはならない。


だが、何もかも配慮する必要がないことを山霧は知る。


ふわり、と違う香りが漂った。


「貴方は何も気にする必要はないわ。ところで、毛色の違う子を連れてきて何しに来たのよ」

「ママ!」


途中からこのテーブルに着いたのは麻尾の姉、理沙だった。


シンプル且つタイトなデザインのマーメイド風ドレスに身を包み、漆黒の黒髪を高い位置で結い上げた女性。

「そこの男の姉よ」と言われると、成程目元がよく似ている。山霧は納得した。


「どうみてもここの遊び方を知らないじゃない

ねぇ?」


山霧は麻尾と視線を合わせた。

しかし、麻尾は眉一つ、視線一つ動かさない。

どう答えるのか、彼もまた気になるようであった。


「知らない訳じゃないです。只、興味が希薄なだけで」

「へぇ?そう。年頃の綺麗な男の子が勿体無いのね」


理沙は麻尾を一瞥すると山霧の手を取って自らの太股に導いた。


山霧の手に手を添えて、理沙は脚を撫でさせる。


「こういうことを知らないから興味が無いだけだと思うわ」

「.......」

「どうする?ここも触ってみて確かめる?」


次に導かれたのは胸だ。

グラビアアイドルみたいにただ大きいのではなくて、なんというか上品なものに感じられる。

手が触れる。でも、わからない。比較するような経験がないのだから、誰よりも、とか、今までよりも、と言った感想は抱けない。


黙ってただなされるがままだったが、理沙はそんな様子の山霧を見てクスクスと笑いだした。


「ごめんなさい、ただ単純にウブなだけかと思ったけど本当に興味がないのね」


パッと手が離されて胸に触れていた手が自由になる。

その掌をじっと見つめた。


「僕は変ですか?」

「「変」」


口を揃えて梨々香と理沙が言う。


「照れ隠しだと思うわ、普通。『興味が希薄』だなんて男に限ってこの手のジョークはすぐに化けの皮が剥がれるもの。でもどこも何も反応してないみたいだし。変かどうかと言われれば変ね。もう少し丁寧に言えば“面白い”人だけど」

「“面白い”ですか....僕はそう言われたことはないですね。よく『変』だとは言われますけど」

「でしょうね」


「でも」と梨々香が口を挟む。


「変だとしても私は気にしないかな、だってタクヤ君綺麗なんだもの」


梨々香が山霧の頬に手を添える。


「だってホラ、お肌もすべすべだし、眼も綺麗。私女っぽい男は好きじゃないの。でもタクヤ君は身体がセクシーでうっとりしちゃう」


セクシー?

山霧は自身の身体を見回した。


梨々香は笑う。


「触ればわかるよ、腕とか脇とかしっかりしてるし、筋肉ついてるのとかギャップ萌え〜最近はこういうのって女の子弱いんだよ」



男はこういうのに弱いのだ。

ほら、甘い香りと柔らかな肌。

それらに官能を抱き、誘われるようにできている。

どうだ、貴方も例外なく男であろう。



触れてくる梨々香から、何か試されているような感じがした。

しかし、のような問いに自分は......


身体が傾ぐ。

他人の力によって、山霧はバランスを失った。


少し硬い何かに当たる。


「無駄だぜ梨々香。それ以上やっても何も変わらねー」


麻尾に引っ張られ、抱きとめらるような姿勢になっていたことに気がつく。

麻尾はいつの間にか出来ていた何かの水割りをぐいっと飲み干すと、グラスをテーブルに置いて立ち上がった。


山霧を腕に収めたまま。


山霧の顎を掴んで、無理やり視線を合わせる。


「ふん、成る程、テメェの数々の発言の裏が取れたような気がする」

「え...?」

「今こんなものに現を抜かしている場合じゃないみたいだし。来いよ、楽しいことしようぜ」


ここに連れられた意味も何もわからない。

いたのはほんの数分ではないだろうか。


「え、もうー?」


梨々香が口を尖らせるが、何やらわかっているような含みを帯びた表情をしている。

理沙はただじっと山霧を見ていた。


麻尾に引きずられてこの店を出る、と思いきや、出口とは反対側。奥へ奥へと進んで行く。


「どこへ......?」


この男が何を考えているのかわからない。

手探りが楽しい時とそうでない時がある。


「説明するのは苦手だ。ベラベラと饒舌なやつは好かねぇ。覚えとけ」


部屋が並ぶ通路を進む。

聞こえるのは先ほどまでいた空間からかすかに届くBGM。


「オラ、入れ」


半場突き飛ばされるように十畳程の部屋に押し込まれた。


ソファーと、小さなテーブルが一つづつ。

そして、煌びやかな店内とはうって変わり淡い暖色系の照明が室内を照らす。


麻尾はジャケットを脱ぎ捨てた。

先程、腕に抱かれながら引き摺られていた時に触れただけだが、何となく良いところのブランドなのではないかと思わせる肌触りだった。

脱ぎ捨てられてくしゃくしゃになって床に落ちてしまったジャケットに思わず「あっ」と山霧は声を漏らす。


視線が麻尾から離れたその一瞬だった。


「さぁ、逃げらんねぇよ?」


ギリギリ目で捕らえることが出来たのは──

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