第三十二夜 格差
【I】
豪腕が降りかかる。
否、実際は豪腕というほどの腕ではないものの、相応の威力を誇るそれを、角谷は見切って横に跳ねた。
速度としてはそこまで出ていない。だが、ある時間感覚に置いて幾度と連発するには必要最低限且つ鍛えられた筋力がなくてはならない。
喧嘩馴れしていることは歴然だった。
交わしながらも攻撃を喰らわせるべく背後を狙う。
何発かは接触している筈だが、接触程度でヒットには至らない。
背中の筋肉を感じるあたり、大したダメージにはなっていないということだ。
しかも、避けきれずに当たっていると言うよりは、そもそも避けるということをしていない。背中を完全に盾として用いているようだ。ナイフを突き刺したとしても動きを封じるには至らないような気さえしてくる。
寧ろ、避けきれない攻撃に背を向けている?
スピードでは敵わないと即座に判断して立ち回るだけの力量があるだけ中々の奴だ。
だとすると、自分とはかなり対照的なスタイルだ...と角谷は考えた。
「そういえば、夜叉がなんか気に食わなかった?」
相手もイライラしているらしいのは、始めの発言と態度で明らか。
分析をしつつ、発言の真意について訊いて見る。
ピクリ、と眉が動いたのがわかった。
一発大きく風を斬る一撃を避ける。
「アンタには.......尊敬する人がいんのか?」
「はい?」
質問を質問で返された。
相手の眼光が残光として強く尾を引く。
むっとして言い返す前に、相手の口が先に動いた。
「居ないなら─話は終わりだ」
角谷が思うに、相手もまた山霧を意識している。しかし、自分や槙、麻尾といった者共が抱く“興味”とは異なるようだ。
“興味”というより─
“殺意”か?
いや違う。
何だろう............
相手がどうであるかはさておき、攻防は続いた。
だが、互角で力をぶつけている訳ではない。
苛立ちに似た感情が肥大し、ぶつけにかかっている相手だが、角谷はここまで思考を働かせることが出来る程には落ち着いていた。
相手の特性が見えてくるまでは無駄に動かないに限る。
見交わしにも余裕が出てきた所で角谷は動きに変化を着けた。
「そろそろ締めだ、麻尾によろしくしておいてな」
飛び退くと見せ掛け、地につけた脚をそのまま踏み切りに変える。
背中ではなく、相手の懐─鳩尾目掛けてアッパーを叩き込んだ。
流石に巨体が傾ぐ。
呻き声と共に膝が地に着くのが見えた。
そのまま右足を降り、相手の左頬を蹴り飛ばそうと軌道を描く。
だが、ガン、という硬物が当たる音と衝撃でその軌道は道を失った。
角谷の脚を止めたのは、先端部分がやや錆びた鉄棒。
ちょうど抉れたアスファルトに刺さり、且つ、誰かの手によって支えられている。
相手の男は少しばかり驚いた表情を浮かべた。
言うまでもないが、つまり第三者が来たということで。
見れば、最も見たくない顔。
「.......はぁー、麻尾の次はアンタ?」
「さっさとここから離れた方がいい」
東のナンバーツー、矢嶋だった。
茶々入れてきた時点でも舌打ちものだというのに、更には取り分け見たくもない顔が現れるとなると文句の一つも言いたくなる。
しかし、徐々におおきくなる音に文句を言いかけた口を閉口し、耳を澄ませながら呟いた。
「騒ぎすぎた、って訳ね............」
バイクの音とサイレンの音。
工具店の駐車場は割りと凄惨な状況だ。
それに加えて殴る蹴るの騒音。
恐らく、通りかかった人間が警察に通報したと思われる。
「矢嶋さん.......」
「麻尾にでも焚き付けられたか?
相手が悪すぎたな」
矢嶋等のやり取りを背に、角谷は自らのバイクに向かってヘルメットを被った。
普段は丁寧に被ることもないが、顔が見られると面倒というのもあって敢えてそうした。
そして、エンジンをふかしてこの場から去ろうとした時、ふと思い出したように声をあげた。
「名前はー?」
始めは名乗ってもらえなかったが、
「.......モトハシ」
自分が角谷より下であると自覚したのか、素直に、だが少しだけ不満そうな顔をして答えた。
忘れるかもしれないが、念のために訊いておくに越したことはない。
明らかに手前の雑魚共とは比べる必要も無かった。
後片付けはあちらに任せて、さっさと帰るに限る。
エンジン音が轟いた。
【Ⅱ】
モトハシは武術センスに長けていた。
自分の伸ばすべき力を理解し、相手との力の差を見極め、時に牙を納める知性は持つ。
そういう意味では恐ろしいルーキーだ。ついこの間まで中学生とは思えない。こんな人間が中坊に居れば下手なガキ大将などお話にもならないだろう。
そう、モトハシとは、元橋瑞樹の事だった。
「ああー!この間言ってたワンちゃん」
家にバイクを走らせていると、ズボンのポケットに入れていた携帯電話が振動した。
出ると、相手は桂大河であり、角谷の家の居酒屋に来ることになった。
兄の八馬に案内されたのは座敷の奥。
週末だけあって帰宅時の混雑状況は変わらず個室は空いてないようなので仕方がない。
角谷が元橋の名前を出すと、桂が基本的な情報を箇条書きのように述べる。
その最後に、「前にも言ったんですけどね」と付け加えられて思い出した。
「下の名前は瑞樹か.......ガタイに似合わない可愛い名前だなぁ」
「倒してきたんですか」
山霧が麻尾の手に渡る経緯、そして東の連中とお相手をする羽目になったことも電話口で話していたので、その後元橋とも一戦交えたことも桂には周知済みだった。
「いや.......途中で色々な邪魔が入ってトドメは刺してないけど。まぁ俺が優勢てとこだね」
角谷は枝豆に手を伸ばす。
「邪魔?」
「矢嶋が。......正確には、サツに騒ぎが見つかって、補導されかけるのを警告しに来たってだけ」
「不完全燃焼という訳ですか」
「どうだか。元橋は確かに他の一年よりは骨があるけどそれまでだよ。ちょっと本気出したら急所に一撃余裕だったし。最後までやったとして最大出力まで持っていく程かと言われれば.......何とも言えないね」
元橋は弱くない。
ここまでまだ追い付いていないだけで。
「俺と互角に立ち向かうなら.......そうだなぁ、槙や麻尾とまではいかないけど、山ノ上か二年の篠宮倒して来てもらわないと」
だが、追い付くべき目標、それに到達するまでの距離を本人は理解している。
手だけが早い馬鹿ではない一年、元橋の存在を脳内で濃く浮上させた。
〈鬼爪〉の狗。
以前、狗と表現した桂の言い回しは多いに納得がいく。
やや妄信的な攻撃姿勢は、確かにそう見えるのだ。
彼の人に言われれば、右も左も素直に向くだろう程。
『尊敬する人がいんのか』
だとすれば、このような質問を出す意味も頷ける。しかし、会話の文脈から出てきたそれはあまりに突拍子も無かった。
妄信的というのは、恐らく東のトップである麻尾に対しての行為全てに付属するであろう。ひょっとすると矢嶋も対象かもしれないが、今そこまでの正確さはどうでもよい。
何故、“夜叉”に対する印象を問うた所でこの設問か来たのか、ということだ。
「そういえば、桂はいる?」
「なんですか…」
「尊敬する人」
「.......何故、今いきなりその質問をされたのか理解に苦しむのですが」
まぁそうだわな、と思いつつ、ニヤニヤとしながら桂の回答を待つ。
「.......います」
「俺?」
「....................................」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます