第四夜 幽微

【I】

全速力で闇夜を走る。

鍛え始めてから三ヶ月と少し。身体能力は格段に上がった。

普通では傷つけられることもなくなった。そして自分の長所と短所も明らかになってきた。


「ただいま帰りました」

「おかえりなさい。夕食、すぐに食べるかしら?」

「先にお風呂をいただきます」


居間から母親の声がする。家族の誰にも接触せぬよう、脱衣所へ向かった。


フードを外し、コートを脱ぐ。そして、雑貨店で適当に購入した金髪のウィッグを外した。現れるのは黒髪。視力補正の役割も果たす青いカラーコンタクトを目から取る。


その顔は、山霧のものであった。


「やはりコンタクトレンズは便利ですね..。メガネと違ってずれたりしませんし」


見違えるほどに逞しくなった腕や腹。とはいえ、あまり筋肉の付かない体質らしく、途中から筋力の底上げをすることを止めた。

変わりに、瞬発力が優れているということを理解し始め、動体視力と瞬発力を武器にしていく方針を立てた。そして、それを生かすことの出来る戦法を調べ、その戦法がとれるよう鍛練を継続してきた。


山霧は所謂天才気質である。基本的にある程度のことは何でも出来るようになる。勉強も運動も幼少期の頃からそつなくこなしてきた。


衣服をすべて脱ぎ、浴室に入る。山霧はヒリヒリと少しだけ痛む脇腹をさすった。これは、今回の戦闘でできた傷ではない。もうかさぶたも出来かけており、治ったと言ってもいいほどである。


ちゃぷん、とバスタブに浸かりながら今日のことを思い出していた。

あの“ウシオ”と呼ばれていた男....彼は何か違う。動きも何も研ぎ澄まされていた。何より山霧が評価するのは、その瞬間ごとの判断力である。


自分が動けるスピードが上がれば上がるほど、時間を多く使える。

というのは、同じ一秒間であってもその中で自由に動ける力があればそれだけ打撃を加えることもできるし、思考の回転も勝る。山霧は頭で動く男だ。感覚的に手や足が出る戦闘スタイルはできない。その戦闘スタイルは長年の感覚で培われるものであるからだ。そのため都度状況を頭で理解し、分析したのち攻撃として繰り出す必要があり、その思考時間というタイムラグをカバーするスピードをつける必要があったのである。


相手の攻撃力がどれほど高く、その一発がいかに重く破壊的なものであったとしても、それが脅威となり得るのは攻撃を受けてしまった場合だけだ。

ならば、受けてしまわないようにすればよい。


どう考えても自分の体を打撃に対抗できるものに改造することは不可能に等しいのだ。いや、可能かもしれないが、確実に高校生の間では時間が足りない。無理だ。


よって、山霧はスピードをつけることで分析時間を得て、人間の人体構造を知ることで少ない力で動きに対する致命的なダメージを与えるスタイルをとることに特化させることにしたのである。


このスタイルであれば、相手に重傷を負わせることもないし、自分の身体能力から見積もるに時間的にも間に合いそうだった。持ち前の頭を使うことで、通常よりも習得時間の短縮も見込まれていたし、当初の予定より早く動き出せている。


しかし、まだ見えてこない。彼らの目的とはなんなのだろうか。


「チーム......」


当然、今まで個人で動くしかなかったのだから仕方がないのだが、どうやら一人というのは...どうもおかしいことであるらしい。全くありえないことではなさそうだが、明らかに所属していたほうがメリットがある...誰しもの反応がそう言いたげだった。


『お前、どこのチームだ?』


今まで四戦ほど交えたあたりでわかったことだが、必ず同じ質問を投げかけられる。そこからもわかるように、チームに所属しているかどうかは問われていない。“所属している前提”なのだ。だからこそ、所属していないとわかると皆驚いたような表情を浮かべる。


だからこそ、チームに所属していることが当たり前であるほどの明確なメリットを理解するために今回擬似的なチーム参加を行ったのである。

一人で戦うことと異なるのは、誰が自分を狙っているのかわからないことだった。メリットとしては複数の敵に対して複数の人員を対峙させるといういたってごくシンプルな考えに基づくが、山霧にとってはあまり自由に動けなかったというのが本心であった。全員の動きを把握するのが難しい。誰を今狙うべきかを考えるという状況判断力がかなり求められた。

それもまた経験なのだろう。


けれどもやはり、最後の男とのやり合いが今までで一番───興味が湧いた。

否、興奮した、とも言えるほど。


山霧は頰を赤く染める。それは、湯船の熱か、冷めやまぬ興奮によるものか。


【II】

翌日、すれ違う誰もが驚いた表情で槙を見る。登校してきた槙に挨拶をすれば、人として当然顔を見る。そして皆驚くのだ。


槙の左の頰に走る赤い切り傷。長さは四センチメートルほどで、切り傷の周辺は擦ったようなような跡もあるので少し大げさに見えるが、全く大した傷ではないというのは言うまでもない。


ただ、西地区トップに君臨し、この高校においても絶対的な権力を持つ槙潮という男に傷が付いている。このことだけで驚愕に値し、周囲の人間にとってはとても考えられるものではなかった。槙の実力を知るものであればあるほど尚更だ。


—あの槙潮に傷をつけることができたのは誰なのか?


槙はまっすぐ教室には行かず、もはや全くこの学校では機能していない生徒会役員室に入った。暗黙の了解で、代々〈我牙〉のトップはここの牛皮性のソファを使用している。槙とて例外ではない特権の一つを遠慮なく私物のように使っていた。

そのソファに腰掛け無表情のまま虚空を見つめた。すると、一分としないうちに、桂が入室してきた。相変わらずマスクが暑苦しい奴だと槙は思う。


「皆、貴方のその傷で持ちきりですね」


桂が槙に対して敬語を使うのは、槙が序列的に上であることもそうだが、学年が異なるというともある。

槙は三年で桂は二年だ。だが、桂は槙が自由にできるようにそつなくこなしてくれる。だから槙はそばに置いていた。


桂は近くの机に荷物を置く。


「....どうせ、麻尾にやられたとでも思ってンだろ」

「皆昨夜が〈ラーテル〉解体だと知ってます。だからこそ不思議がってました」

「あのフード男......なんて言ったっけか」


桂が「〈夜叉〉と言ってましたね」と続ける。


「今は単独行動…となると、味方にも、敵にも成り得る存在ということでしょうか。ここではチームに所属してない人間など身分保証なく国外を歩くのと殆ど身の危険という意味ではさして変わりませんから。

ですが昨日の動き、改めて潮さんに言うほどでもありませんが──普通ではないです」


普通であってたまるものか、と槙は思う。この俺に傷を着けたのだ。

いや、のだ。


「わかんねェ.....なぜ今まで俺は知らなかった?...桂、テメェが知らねぇってのが信じられないんだがなァ?」


槙は疑わしげに桂を一瞥する。

この西地区のことを牛耳っているのは間違いなく槙率いる〈我牙〉だ。

つまり情報も一番に把握しやすい立場にあることは言うまでもなく、その槙が知らないということ...ひいては情報を管理している桂が知らなかったということ事態が考えられない。


「すみません、私も全く知りませんでした。..ですが」

「...」

「〈夜叉〉の発言から、チームの事に関して幾度か他の人間に訪ねられているようでした。ということは、槙さんと闘ったのは既に何戦目かに当たるということでしょう。私はこの地区での動向はほぼ確実に認識できる人間です。その私がしらなかった...つまり、西地区此所で動くのが初めてだったのではないでしょうか」

「奴はいままで東にいた…?」


そう考えるのが自然だった。

力を持っている人間が、誰の縛りもなくこの地区で動き回っているなど、


「桂」

「はい」

「あいつ─ぜってぇ逃がさねぇ」


許されるはずがない。

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