第十九夜 窮厄

【Ⅰ】

漸く山霧は麻尾から解放され、帰路についていた。


山霧が先程言いかけて、結局飲み込んだ言葉は、学業以外の第二の制限である門限のことである。

結果としてそれは解かなくてはならない鎖になった訳だが、遅かれ早かれ対処する必要のある問題。

それは家族の問題というより、ある一人の人間に対して掛け合うことにより解決する可能性が大いにあるものであることを山霧は理解していた。


大した足枷にもなっていなかったが状況は変わるものだ。


山霧は携帯の電話帳を開いた。

家族しかなかったデータと履歴が家族以外で埋まりつつある。


─これは使える。


帰宅後のシナリオをある程度描いていると、山霧は僅かな気配を後方から拾った。


「...........っ!」


瞬時に前に跳ぶ。

何故だろう、今日はやたらと構われる─


「.......お久し振りです、“夜叉”。

いえ、山霧卓弥さん」


背後にいたのは黒いマスクで鼻から首までを覆い隠した男。

山霧より少しだけ高い身長と、その細身の体には余る様な厳ついデザインのジャケットを羽織っている。

長い前髪から覗く瞳は猫を思わせる鋭さだ。


「...........名乗ったことが無いので私の名前を知らないと思うのですが、私自身のことは覚えていますか?」


見覚えはある。しかし、目の前の彼が言うように名前はわからない。

正直に山霧はコクリと頷いた。


「槙サンと一緒にいた方ですね。あの時は.......いきなりすみませんでした」


—何せ、ここでのルールを知らなかったものですから。

それは言い訳に変わりない。落ち度があったことは確かなので形式上謝罪をし、こちらから話を誘導させないことで相手が自分に何の目的があって接触を図ってきたのかを探るべく発言を促した。


対する黒いマスクの男は筋を通すために順番に情報を与えていく。


「私の名前は桂大河。〈我牙〉というチームに所属する者です」

「......ああ、そういえば、チームというものがあるのですよね。僕はそれを知らなかった」

「そうですね、ですからあなたの行動は非常に不可解でこちらも意図を汲むのに時間がかかってしまいました」


マスク男─桂は一歩前に出る。

条件反射で山霧の体が僅に揺れた。


桂はそれを見てかすかに笑う。


「安心してください、貴方とここで争う気はありません。それよりもお伝えしたいことがあって」


山霧は恐らく桂にしかわからないであろうごく僅かな警戒心を緩めた。


「伝えたいこと、ですか」

「ええ。明日の都合が良い時間に此処へ」


桂が示したのはスマホの画面。

そこには聞いたことのある高校のホームページ


有名な高校だ。

勿論、悪名高い、という意味で。


「この高校の門の前にでも居てください」

「それは、槙サンから.......ですか」

「無論、同様の件ですよ。場所を指定していませんでしたから。時間はいつでも構いませんよ。只し、キャンセル料は高く付きますがね」


マスクによって黙視はできないが、山霧には桂が笑みを浮かべているのが手に取るようにわかった。


山霧も感情の向くままに表情をつくる。

それは、笑みだ。


「キャンセル等しません。僕も楽しみにしてるのですから」

「それは良かった」


桂は一歩踏み出していた足を戻す。


「そうだ、一つ貴方に忠告です」


桂は既にくるりと山霧に背を向けている。


「—どちらに付くのか、早く決断した方がいい」


言い終わるや否や、桂の姿は闇に溶けていた。


桂の言う“どちら”という選択肢が何を指しているのか山霧にはわかっていた。

麻尾の発言を思い出す。


〈鬼爪〉こっちに来い』


どちらにつくのかどうか、そもそもつかなくてはならないのかというのは、少なくとも今考えるべきことじゃない。

明日の結果を見てから考えることだ。


只、何故そうした方がいいのかはわからない。

麻尾が自分を側に置きたがる理由。来い、といったのはつまりそういうことだ。

自分を潰したいと言っていたがそれは別にチームに入っていなくとも出来ること。

連絡先だって知っているのだから、準備が整えば呼び出せばいい。どうせ逆らう権利は無いのだ。

自発的に来させてまで、そうさせてまで山霧に対して麻尾が何を思っているのか本人にはわからなかった。


わかる必要はないか。


山霧の目的は、いかに彼らに近づけるかどうか。

まだまだ彼らの色に染まりきってない。

麻尾に負けたままという燻った思いも残っている。


麻尾がどうか、というのではなく。

自分がどうか、だ。

麻尾は麻尾で、自分は自分。

それぞれの目的のために動いているにすぎない。


【II】


この地域では一二を争う敷地面積を有する一軒家。

その門をくぐるのは山霧だ。


「ただいま帰りました」


制服のジャケットを脱ぎながら山霧は二階の自室に行く前に居間に顔を出す。

そこにはソファで紅茶を飲んでいる母親と、テレビを見る父親。


時刻は門限のギリギリだった。

ギリギリであって過ぎたわけではないのでいつもなら怒られることはないのだが、今夜は違った。


「卓弥」


いつもならここにはいない人間がそこにいたのだ。


いかにも仕事帰り。だというのに、ワイシャツには皺一つ感じさせず、ストイックな雰囲気を惜しげもなくこの穏やかな居間で醸し出す成熟した男。


丁度、十離れた兄の燈也トウヤだ。


漆黒の髪をオールバックに整え、その整った容姿は見るものを威圧するとともに魅了さえする。まさにカリスマ性を持ってこの世に生まれた、人を統べるべく存在するような男だった。

ベクトルは異なるものの、麻尾や矢嶋といった人間と同じ類の人間である。


頭の出来は同じでも、容姿は比較のしようがない。

兄にはかなわないと幼い時から自覚していた。そもそも優るつもりもないのだが。


そんな非の打ち所のない兄の燈也は父親と同じく法務省に努める所謂エリート。

父の息子であるとともに、学歴も仕事ぶりも申し分ない燈也は三十路手前にして出世コースまっしぐら。

そんな多忙な男が実家にいるという珍しい状況に山霧はため息をつきたくなった。


「塾が終わる時間から帰宅時間を差し置いてもこの時間はおかしいぞ。どういうことだ」


腕を組んで居間の入り口で仁王立ちになる燈也。

涼しげな目元が今、不愉快を示して吊り上っている。

そんな兄に対して酷く無感情な声で対応する。


「どういうこと、といたしましても。途中で予備校の館内に筆箱を忘れてしまったことに気がついたのです。急いで取りに戻ったので門限前に帰宅することができましたが......それでも問題がおありで?」


厄介。非常に厄介だ。

両親よりもこの兄が今の山霧にとって厄介以外の何物でもなかった。

正直に話せば必ずややこしいことになる。というより、兄どころか奥にいる両親ですら血相を変える様子が想像に容易いので口が裂けても言わないが。


つっかえることなく嘘をさらりと述べた山霧に燈也は疑うことなく表情を緩めた。

先程のピアノ線が張るような空気から、鬱陶しいほどの甘さに一変する。


燈也はやや身を屈め、山霧の目線近くに合わせる。

そして、猫っ毛の柔らかな髪を撫でながら言った。


「卓弥....それならそうとなぜ親父やお袋に連絡をしない?門限を決めたところでそれまでに帰って来ればいいなんてのは意味がないんだ、わかるか?」


—始まった.....

山霧は決して表情に出さないが、うんざりとして兄を見つめる。

それを何と勘違いしたか、燈也は視線のあった弟に対してより距離を詰めた。


「お前には守ってくれるような人間が普段そばにいないだろう?私は心配なんだ。今お前と会うことがあまりできないからな。いつ血迷った人間がお前に手を出すか...それがとても悩ましい」


思うに。

兄は俺を女か何かと勘違いしているのではないかと思う。


「お言葉ですが兄さん。僕は男です。守るとかどうとかと言うのはおかしいですし、そんなに弱くありません」


そう言うと、突然母親が嬉しそうに手を叩いて言った。


「そう、聞いてちょうだい燈也。卓弥は最近体を鍛えているのよ」

「......それはどういうことだ?お袋」


しまった。と思った時にはもう遅い。

自分は失言をしてしまった。山霧はまだヒリヒリと痛む唇に爪を立てずにはいられない。

そんな山霧をよそに母親はどんどん状況を悪くしていく。


「最近、ここら辺がとても物騒でね?あなたも知っているでしょう。夜は荒れた高校生が騒ぐものだから。もし襲われた時のためにと三ヶ月ほど前から鍛錬をなさっているのよ」


この時ほど、おしゃべりで心配性の母親を恨むことはなかっただろう。

燈也は再び般若のような顔をした。


「鍛えている....だと?」

「ええ......まあ.......」


思わず燈也から目をそらす。それにさらに気を悪くした燈也は山霧の腕を掴んだ。


「お袋、親父。

—少し、卓弥と話をしてくる」

「っ、兄さん......!」


まずい。

久々にまずい。


こんなことになるなんて。


自分を制限する足枷。

それは、この兄にあった。

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