第十八夜 誘引
【Ⅰ】
「...........ま、そういうことだから。呼んだら直ぐ来い」
麻尾は〈鬼爪〉に居るか否かを問わず、シンプルなルールを山霧に告げる。
それは拒否権がないことを示していた。
山霧にとって単独で動くかチームに所属するかということはあまり重要ではない。
この、闘うということに対して魅力的な体験を得られるかどうか....それにかかっている。
拳を交えることは楽しい。
一方的な暴力として出はなく、双方が納得した上でぶつかり合い、今後の己の立場を賭すというスリル。
背筋がゾクゾクする程の好機の入り口にいると思うだけで、山霧は興奮した。
知らなかった。
自分にこのような感覚があるなどとは。
勝者であるにも関わらず、それでもなお殺意に近いものをビリビリと発するその眩き黒の瞳は、より一層その感覚を高める。
しかしながら、山霧は冷静な部分において麻尾に返した。
「善処しますが、....学校と予備校は避けられません」
決して勉強を放棄した訳ではないのでここを疎かにすることはできない。
徐に山霧は鞄の中からルーズリーフ一枚とボールペンを取り出した。
鞄を下敷き替わりにしてカリカリと三行ほど書くと、その部分を指し示しながら麻尾に渡す。
「...........んだコレ?」
「少なくとも僕が電話にでることのできない時間です。当然、動くことも出来ません」
「...........」
「ああ、それと」
「...........ふざけてんのかテメェ」
「....いえ?わりと真面目ですけど」
何かを言いかけていた山霧を遮って麻尾は苛立ちを露にする。
ルーズリーフを握る手が皺をつくった。
首を僅に傾け、麻尾の目を真っ直ぐ見る山霧は何も知らない子供のような表情だ。
麻尾はその表情により苛立った。
び、とルーズリーフを山霧の前に突き出す。
「日中がダメとか....少なすぎんだろおちょくってんのか」
「あと、記載してる曜日は基本無理だと考えていただければ」
「....本っとに俺が誰だか未だに自覚ねぇな...........?」
麻尾のこめかみがヒクヒクと動く。
正直ここまでナメられるとは。
場所が場所だが、場合によってはぶん殴っていてもおかしくはない。
山霧は麻尾の苛立ちを悟ったように、少し思案する素振りを見せるとややばつの悪そうな顔をした。
「...........ですが、それ以外の時間は貴方のものですよ?」
「すくねぇーわ」
「....よく考えてみてください」
山霧は突き出されたルーズリーフを指差した。
「麻尾サンは身近な人...........例えば、矢嶋サンとはどれくらいの頻度で会うのでしょう?」
麻尾は考えた。
学校に居るときはクラスも同じなので、その後もつるむ場合も考えると半日くらいは同じ時間を過ごしていることになる。
そこまで考えてなんだか気持ち悪くなった。
なんとなくだが、矢嶋と距離を置きたくなる。
素直に答えようとして、自分の立場を思い出した。
「...........なんで言わなきゃいけねぇーんだよ」
ツン、と反抗心─というより、言いなりになることが気にくわず麻尾は睨む。
しかし、答えるかどうかは山霧にとってどうもよいことだったらしい。
「多くても一日半日が殆どではないでしょうか」
「!」
「これは、麻尾サンに限ったことではなく同学年の学生同士であればこのようなものです。多く感じるかもしれませんが、実は一日の半分がわりと限界なのです」
「は....ぁ....?」
「ここに記した時間帯、それより多くはありませんよ?
常識的な時間は含めず、それ以外であれば従うと言っているのです」
一般的な人の活動時間範囲で言えば少ないが、二十四時間という尺で考えれば確かにそうだ。
だが、それは数字的な問題であって、相手の都合を無視していることと同じだ。
この場合だと麻尾は呼び出すにしても山霧に合わせなくてはならない。
好き勝手出来る筈なのに、都合よく山霧に合わせさせられている気がしてならなかった。
麻尾はルーズリーフを片手でぐしゃぐしゃに丸めると、ポケットに無理矢理捩じ込んだ。
「じゃあ自発的に来い」
「と、言うと?」
「火曜、木曜、金曜、日曜は夜が空いてる。学校が終わったら直ぐに俺の
なんだ、このスケジュールのやり取りは....
馬鹿馬鹿しくて麻尾は苛々が増すばかりだ。首を立てに降り続けるなんてことはこれ以上譲れない。
そもそも丁寧に呼び出すなんてことをするのも考えてみれば面倒くさい。
山霧に呼び出す前にこさせればよいのだ。
俺の為に自分から進んで──
「わかりました、で。何時まで側にいればよいのですか?」
「俺が許したら」
少し、山霧は沈黙した。
ややあって口を開く。
「それは、許さなければずっと、ですか」
「当たり前だろ」
山霧は視線をさ迷わせ、唇を右手の人差し指で触れた。その撫でるような指の動きは山霧の癖だった。
山霧本人が自覚をしていない、自分に都合が悪くなったときの癖である。
麻尾ははじめて見せた山霧の負の感情に驚いた。
唇に触れながら山霧は続けた。
「...........家に、門限があるんです」
「は?」
「二十三時までには家にいなければならないのです」
門限という概念がない麻尾にとって、高校生にもなって時間の拘束があるというのは信じがたいことだった。
嘘つけ!と罵りたいくらいには。
だが、相手は山霧だ。こんな得体の知れない人間を生み出した家族の考えるルールなど自分が理解出来る筈もない。
人と話していてこんなにも思い通りにならないことは初めてだった。自分のペースに持っていけない。まるでマリオネットのように山霧に踊らされているようだ。
気にくわない。
「...................ガキかよ」
気にくわない、が。
麻尾は無意識ながら山霧をガキ呼ばわりすることで、少しでも自分を優位立たせ、気分が落ち着かせた。
それに改めて見ると、明らかに戸惑いを見せる山霧の表情や仕草も——イイ。
先程からの浮かない表情のやり取りは、まさに今まで自由気ままに暴れていた“夜叉”にとって門限という障害が唯一の制限となっているからなのだ。
少し麻尾は冷静になる。
だとすると、山霧は何も自分の意思で麻尾と距離を置きたがっている訳でなく、今までの規則で縛られている部分において負の感情を露にしていたのだ。
山霧の表情は、何かを思い出しているように渦巻いたまま続ける。
「先ほど矛盾になるようなことを言いました。それ以外の時間はあなたのものだと言いましたが、門限をクリアしなければそれは叶わない」
しかし、規則だろうが障害だろうが、そんなものの為に麻尾までそれに合わせるなんてことが許されるはずがない。
「じゃあ.....さっきのは嘘ってことかよ」
そう、このまま規則に縛られたままだとするならば、先程の発言は嘘になる。
「僕は嘘にしたくない」
ガリっと嫌な音がした。
いや、視覚的なインパクトがそのような音を錯覚させただけかもしれない。
山霧は唇に触れていた指の爪で、その皮膚を抉った。歯痒い思いが指先に灯る。
当然、山霧とて黙って嘘にするつもりはない。
唇の皮膚が抉られた部分から、血が滲む。
滴る前に、山霧はそこを舐めた。
「あれは......願望です」
「願望......?」
「僕はまだその世界を知らないことはわかっています。謂わば“夜の世界”だ。深夜すぎごろ聞こえてくる声と声と声と......」
「.........」
「何かが衝突し、そして粉砕する音」
だから、考えていた。
「いつか、どうにかしなくてはならない問題だとは思っていました。そのうちやりにくくなる障害だとね。
.......そして、とうとうその障害にぶつかってしまったわけですが、何も考えるところが無いわけではない」
難しいことは考えればわかるが、考えたくない、考えないのが麻尾。
どうにかする、と暗に言う山霧に対し、簡潔な答えを促した。
「テメェの都合なんか知らねぇよ、呼んだら来い。呼ばなくても居ろ。それがクリアできなきゃ死ぬだけだ」
この世界に居ることが生きることであれば、その対極は無論、死だ。
居るか否か。ではなく生か死かで問う麻尾と己はまだまだ同じ存在にはなり得ていないと山霧は感じた。
やはりまだまだここで踏みとどまるわけにはいかない。
より深淵へ麻尾の言葉は山霧を誘う。
「.......はい」
さて、マリオネットは一体どちらか。
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