第十二夜 襲撃—東ノ陣—
【I】
「約束通り、来たぞ—“夜叉”」
当日午後九時。
公園が昼間とはとっくに姿を変えたフィールドのような空気を生む。
この場にいるのは、麻尾と矢嶋と—“夜叉”
“夜叉”の姿は相変わらず、といったものだった。
黒いフードつきのコート。見えるのは青い瞳だけ。
「.....いいですね。感じます。ココ何日かでは得ることのなかった雰囲気がたまりません。
約束しましたね、あなたにも経験をさせてあげると。そのために僕は準備してきましたから」
麻尾は鼻で笑った。
「言ってくれる」
「............始めましょう」
今にも二人がぶつかり合おうという雰囲気の中、慌てたように矢嶋が叫ぶ。
「ちょいまて、これ勝敗はどうするんだ。決めておかないと収拾がつかないだろ」
“夜叉”と麻尾は顔を見合わせた。
麻尾は口をへの字に曲げただけだったが、“夜叉”は「それもそうですね」とやや前かがみになった体勢を戻した。
相談の結果。
・制限時間十分
・若くはどちらかが動けなくなる、あるいは降参を認めるまで
このようなルールを設けることとなった。
相談とはいえ、ほとんど矢嶋が提案した内容に“夜叉”が同意した、問いう具合だが。
一度戦闘体勢を解かれ、不服な顔をした麻尾の心中としては、相手が再起不能になるまで痛ぶるのが目的だっただけにこのルールは不完全燃焼が気がしてこの上ない。
しかし、その旨を矢嶋に伝えたところ。
『お前、まだ“夜叉”の本気を知らないだろ。それに、お前があの夜にあった時と、元橋があった時から最低でも二週間は経ってる。“夜叉”の成長率は極めて高い。短期間での戦闘力が飛躍的に上がっているのが元橋の情報から察することができる。とにかく、相手のカードが見えてこない以上長期戦は避けるべきだ』
早口で却下された。返す言葉もなく、正論なだけに同意せざるを得ない。
正直、この内容だけでは納得しなかったが、
『おそらく、俺たちは
カード....つまり、あの夜の人物と同一人物だということの情報を持ち得ていることで再接触が容易であることを知り、しぶしぶ麻尾は承諾した。
表の姿と裏の姿がわかっているということは何も接触を夜だけに限定する必要はない。チャンスなどいくらでも今後ある。
だが、今後を語る前に、まずは今だ。
「矢嶋、さっきの発言が杞憂だと思わせてやる。この俺がそう簡単に負けてたまるものか」
矢嶋はフッとわずかに笑う。
そうだ。この男は
「そうだな....」
寧ろ、“夜叉”は止められるのか。矢嶋は興味がわいた。
【II】
麻尾は羽織っただけのジャケットを脱ぎ捨て、黒のタンクトップ一つになった。
制限時間のカウントダウンは始まっている。今回の“夜叉”との戦闘に正式な仲介人は設けていなかった。チームに属していない“夜叉”はノーカウント。代わりに仲介人なるものを矢嶋が務めることとなっている。
「お前、脱がなくていいのか?そんな重そうなコート」
一度“夜叉”は青の目が紺に翳るほど目を伏せると再び麻尾の方を向く。
「.....脱いで変わるほどの実力は実力ではないです」
「............大口叩ける割にコソコソ隠れてセコイってことを言ってんだ———よっ!」
先に動いたのは麻尾だった。
麻尾の武器はスピード。特に、小回りのきく細かな動きができる。
長い距離を瞬時に移動できるというよりは、モーションをかけずに行動を起こせるスピードどいったところだ。細かな指先、腕の振りといった動作を相手に目視させることを許さない。
だから不意打ちにも似た錯覚を起こす。
打撃一つ一つに威力はなくとも、相手が身構えていない部分への攻撃は、ダメージとともに恐怖すら植え付ける。
何発かの攻防戦が続いた。
攻撃を仕掛けるのは麻尾で、“夜叉”は避けるだけだ。
何も麻尾は避けるのが容易な攻撃を仕掛けているわけではない。そこらの気取りチンピラには到底避けることなどできないだろう。分かりやすい指標で言えば、元橋瑞樹が何とか回避できるレベルといったところか。
これでは“夜叉”には何もできない。
それを感じた麻尾は己の武器を出すことを決めた。
麻尾の繰り出した拳は“夜叉”の右頬めがけて繰り出される。
狙うはそのフードを剥ぎ、素顔を晒してやるため。
“夜叉”の下まで接近するスピードは避けようと思えば避けられるスピードだ。“夜叉”の持ち得るスピードならば。
だが、“夜叉”は避けなかった。そして、武器であり、麻尾の真価である音無き打撃を繰り出し、“夜叉”の頰を捉えた。
そんなものだったか........?“夜叉”。
矢嶋は眉を寄せた。が、すぐにその皺は解かれる。
そう、捉えたのだ。一瞬は。
そこから“夜叉”の動きは早かった。
力のかかる方向を瞬時に導き、その方向に寸分の狂いもなく体を傾けた。
素人目には麻尾の攻撃がクリーンヒットしたように見えただろう。
矢嶋にはわかる。そうではない。
証拠に、麻尾の目が驚愕に見開かれた。
「これか、元橋の言っていたのは.....」
思わず矢嶋はつぶやかずにはいられない。
勢いのある攻撃であればあるほど、空振りした時の身体にかかる負担は大きい。
その勢いを諌めなくてはならないため、余計な筋力を消耗する。それに、体勢を整えるのも難しい。
瞬時によろけた麻尾を“夜叉”は狙う。
麻尾の肩に手刀を繰り出し、それは見事に命中した。
「っ...」
接触した面積はほんの三センチ四方だ。だが、それだけで麻尾の腕は使い物にならなくなった。
そして、その恐ろしいまでの美貌が映えるほどの笑みを浮かべた。
「やってくれる............!」
「手を抜かないで下さい.....こんなものではないですよね?貴方の本気」
囁くように“夜叉”は言う。
言う通り、麻尾は本気を出していなかった。
それを見破られた。
バカにするな、ということだろう。
もし、記憶が確かなら、あの夜“夜叉”は『殴られる側の気持ち』を麻尾が問うた時に目的を見出した。
—“
にもかかわらず、痛みを与えるということとは逆に正攻法ではない、動きを止めるといった手段に出た。
これは本気を出さなかった麻尾への罰なのだろう。
“夜叉”は今熱が冷めかけている。麻尾が本気でないことに静かな怒りをたたえている。
「怒るなよ、これからだ」
「動かない腕でそう仰ることができるのであれば、始めからそうあって欲しかったです」
「前菜、からのメインだろ?」
「そうですね。お腹が空いて仕方がないのでペースを上げていただけませんか。ゆっくりと堪能できる時間が...........申し訳ありませんが、あまり無いので」
矢嶋は時間を確認した。
半分を切っている。優勢なのは“夜叉”だ。
だが、俺は見限っていたのかもしれない、と矢嶋は思う。
そういえば久しく麻尾の本気は見ていなかった。
間髪入れぬ連打、というものを“夜叉”は初めて体験し、先ほどまで冷めていたテンションが一気に上昇した。
切るような打撃はさすがに受け流すことができない。避けるのみ。
しかも、相手の方が四肢のリーチが長いため、攻撃をすることができない。
実のところ追い詰められている“夜叉”はこれ以上ない高揚感に満たされていた。
だが、約束は違えてはならない。
そのために、“夜叉”はとある手段に出た。
何発かのうち、殆どは顔を狙っているが、それ以外の肩や腹、脇腹に意識を集中させる。目立つような傷を負うことは、この勝負に負けることより“夜叉”にとっては困ることだった。
数少ない中部の攻撃のうち、食らっても致命傷にならない打撃が来るのをひたすら待つ。
「—————っ」
腹筋に力を入れて、打撃を受け止めた。
同時にその腕を素早く掴み、一瞬動けない隙を麻尾に作らせる。
そして、鳩尾に一発蹴りを入れた。
「っぐ......」
麻尾はかはっと唾を吐き捨てた。
そして口元をすぐに拭うと立て直しが取れていない夜叉の胸ぐらを掴み、地面に叩きつけた。
麻尾は馬乗りになると、前かがみになる。
「やぁーっと捕まえた」
「そのようですね.....
やはり、短期間ではあなたに勝つことは叶いませんか」
矢嶋は驚きが隠せない。
“夜叉”の動きを封じた麻尾もだが、麻尾に一撃—それも
これは元橋が手も足も出ない。自分も果たして“夜叉”に攻撃を仕掛けることができるかどうか....
ふと気がついて時計を確認する。
「あたりめぇーだろが。これでもトップ張ってんだよ」
「...............」
「さて。その面拝ませてもらおうか?」
麻尾はまだ同一人物だと信じていなかった。
声は同じで、発言にも一致するところがある。
だから、ここで確実に身分が知りたかった。
麻尾は立てられた襟のジッパーを下ろし、まず鼻から口を露わにする。そして、フードを捲った。
「......ヅラ、とるぞ」
麻尾は、抵抗しない“夜叉”を不思議に思った。
「お前、少しは暴れたりしないのか」
「ルール違反になりますので」
「は?」
矢嶋が少し離れたところから叫んだ。
「もう終了だ」
タイムアップした。だから抵抗はしない。
動けない状況にされた。自分は負けたのだ。
相手の要求を飲むしか、ない。
「あなたに僕は負けました。僕の姿が見たいのであればお見せします。今まで隠していたのに理由がありましたが......それより何故かあなたと対等でいたくなった」
“夜叉”は上半身を起こしてコートのフードを頭から外す。そして、金髪のウィッグを取る。
自分から仮装を解いていく姿に麻尾はなんだか変な気分になった。
(.....いや、待て。変な気分てなんだよ)
“夜叉”は言う。
「いや.....対等でいるための条件に過ぎませんね....対等であるためにはまだまだ、でしょう。
.....あ、視力矯正のスペアを持ってきていないので目の色は勘弁してください」
「じゃあ、やっぱりその青色も嘘か」
「よくいる日本人の色と変わりませんよ」
それは、あの日あの夜に見た高校生と同じ顔の造形だった。
だがなんだろう。あの動きと見た目にギャップがあり、麻尾は少しだけ凝視してしまった。
だが、凝視してしまったのは、それだけが理由ではなかった。
「...........」
「とりあえず、もう逃げませんから退いていただけると助かるのですが」
「あ、ああ......」
それだけではない理由だと?
いやいや、そんなものなど存在しない。なんだこれは。
「お疲れさまです、お二方」
自分の感情に思案仕掛けた麻尾は矢嶋の声で我に帰る。
「それで、話は変わるが、“夜叉”。今度こそ名前を教えてもらおうか。姿が割れたのだから今隠していても時間の問題ですぐに知るところとなるぞ」
矢嶋はそう言うと、“夜叉”は「おや」と呟いた。
「確かに、貴方には教えていませんが、アサオさんにはお名前を伺った時に教えました。すでに伝わっているとばかり思っていたのですが」
「は?そうなのか麻尾」
「え.......ッと.......?そうだったか?ワリィ覚えてねぇ」
麻尾は忘れていた。
ふう、と“夜叉”は打撃を受けた腹部をさすりながら答える。
「僕は山霧卓弥と言います。高校二年生です」
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