第十三夜 中毒

【Ⅰ】

「約束は果たせませんでしたね」


“夜叉”─山霧はやや悲しそうに眉をハの字にしてそう言った。


正直、麻尾は約束だの、お礼だの、した覚えもされる意味もよくわかってはいなかった。

だが、そうまで言うのを否定したりはしない。


感覚が戻りかけてきた片腕を麻尾は擦りながら溜め息混じりに言う。


「んなこたぁ、どーでもいいわ。どうしても気になるなら.....いつかやってくれりゃいい」


麻尾としては、やられっぱなしだった〈鬼爪〉の立場を立て直したことである種目的は達成している。


倒した相手は俺より弱い。

そんな奴に興味などわかない。


「...........」

「....好き勝手してたのは....まぁ、申し訳無いと思います。貴方方には貴方方のルール等もあるでしょうし」

「それについては聞きたいことがあるんだが、答えてくれるのか?」

「なんでしょう」


急に黙りとした麻尾と入れ替わるように矢嶋が山霧に訊く。


「何のために暴れまわっていたんだ」

「したことがないことをしたかったんです」

「『したことがないこと』......?」

「喧嘩です、口論ではなく拳を奮う方の」

「...........」


矢嶋は絶句した。

山霧の実力は並にいる者の実力ではない。明らかに戦い馴れ、経験を積んで尚も素質が問われるレベルだ。

なのに、まるで最近始めたような言い方である。それも、“したいから出来るようにした”というように聞こえるのは気のせいか。


矢嶋は襟足を掻く。


「山霧....だっけ?お前、喧嘩がしたいだけで“それ”か?」

「“それ”とは?」


矢嶋が言うのは、その異常なまでの基礎身体能力だ。

動機があまりにも単純で、例えるならお菓子を買うのに十万円を用意する様な.....

矢嶋はその逸脱した身体能力がどういう過程において培われたのか、そこに非常に興味があった。


「.....正直.....そこらの奴よりは.....いや、そこそこの奴よりよっぽど手練れと見受けられる。もともと武道か何かを嗜んでいたのか?」

「武道はなにも。只、割りとやればそこそこ出来るタイプの人間だと自負していますので、己の知力と体力の限りで取り組んだ次第ですね。思ったより時間はかかりましたが」


矢嶋は成る程、と思った。

山霧の説明全てに納得をしたのではないが、ウィッグを取った彼の雰囲気は確かに不良馬鹿には見えない。

寧ろ、良い子に賢く見える。


そして、納得のいかない部分をつついた。


「『思ったより』ねぇ.....ていうか、どうしてそもそも喧嘩したいだなんて思った?」


自分で言うのもなんだが、喧嘩なんて社会のフィルターでいえば愚かしい。物事の解決方法に暴力を使うなんてアウトローも良いところだし、それが今の時代別段と格好いいことでも何でもないことくらいわかっている。


比較的視野の広い見方の出来る矢嶋ですら及ぶ考えだ。

山霧が分からない筈がない。


一度前を認めた山霧は以前の接触とは異なり訊かれたことに対して饒舌に答える。


「僕は今まで勉強をずっとしてきました。寝る、食べる。それ以外の殆どの時間を勉強に費やしてきた。

勉強することは無駄にならないし、寧ろ僕にとって勉強以外にすることがわからな

い。だが、ここで言う勉強とは、机にかじりつきひたすら教科書とペンを相棒に行うことだけを指しているのではない。

例えば、テレビゲームというものをしたことは無いが、僕はあれが100%無駄だとは思わない。何故か。それはゲームという架空空間の疑似体験によることで創造力や、ある方面での知識、そして技術力を体験することにある。“ゲームをする楽しさ”から“楽しさを普及させたい”という願望変化はその分野の技術力向上の為の人材として、日本経済の助けになる一つの要素となり得りえる。

つまり、その行為そのものが無駄と端から断定されるものは限りなく少なく、そのなかで学びを得ようとする気持ちが貪欲であればあるほど日常の殆どは娯楽とともに勉学の時間としての価値も含まれる。

だから僕は、そのような貪欲な姿勢においてある光景を考察、分析、そして実行してみたくなったのです」


麻尾が理解できるかできないか、のレベルの話を矢嶋は脳内で幾度か反芻した。

その結果、その話の指すものが何だったのか、を思い出す。


「それが.....喧嘩だってのか?」


山霧は周囲を見渡した。


「僕の家はここから近い.....毎日目にしていた光景でしたから。

そして見ながら思いました。

『僕は喧嘩という体験をまだしたことがない』とね。けれど、喧嘩するにはそれに相応する知識が必要だと思いました。泳ぎたいのに泳ぎを知らない状態と同等でしたから。

だから、まず自分という人間が目算どれだけ出来るかを想定した上で逆算からトレーニングにかかる時間を算出しました。

結果はご覧の通りです。

付け焼き刃のやり方ではやはり長期的な経験を積む相手には敵いません。

この結果は至極当たり前なのに、僕はそんな当たり前を理解はしても、納得はしていないようなのです。悔しいという反発的な感情を恥ずかしながら...抱いています。こんなことは初めてです。運動もやればそれなり。例え敗北しても何も感じなかったのに....」


山霧の脳裏に先日の球技大会が思い浮かぶ。

あの後、試合は準決勝まで行ったが決勝までは行けぬという結果に終わった。


状況は同じだ。

長年続けてきたエースナンバーをかかげる人と、その他実力者数人のチームとぶつかり負けた。

流石にそれは勝てない。だから負けても何も感じなかったのだ。


だが、今は状況は同じでも、自分は違う。

この日のために準備をしてきた。それが届かなかった。


なるほど、これもまた、経験なのかもしれない。


クスクス、と山霧は笑った。

それを見て麻尾も矢嶋も表情に出さないが驚いた。


「.....悔しいとはこういうことなのですね。でも悪くないです」

「................」


“夜叉”とは、この様な人間だったのか。


【Ⅱ】


「...........これからお前はどうするんだ」


少しの沈黙が訪れた後、麻尾が静かに言う。

山霧の視線は不自由なく動いている麻尾の腕の後、その瞳に向けられた。


その瞳の“黒”は、深淵のようなものではなく、黒曜石のように輝いている。

...........と、山霧は思った。

本来一般的な日本人の瞳の虹彩は茶色だが、この時山霧には麻尾の瞳が美しい黒に見えたのだ。

何かしらの意思のある“黒”の真意は何なのだろう。

しかし、そうは考えるものの、山霧はその答えを導くにはまだ軽率だと思い、問われた事へ返答した。


「僕は、もう一人会いたいひとがいるのです。

今日は一つの区切りでもありました。貴方と闘うことで得られるものとは何なのだろうと。それはあの時した約束とはまた別の話で個人的なことです。喧嘩─つまり、闘うことで得られることは何なのか。得られることは勉強することと同義。得られるものがあるからこそ貴方方は日常的に喧嘩これを繰り返している。僕はそう考えて、この世界に踏み入れた。

区切りは、まさにここでこの世界での自分に終止符を打つかどうかということです。僕の推測ではきっとどの様な末路であれ、ある一つの結果を経て得たものを“記録”として残し満足していたでしょう。

ですが、満足しなかった。それは僕のなかに生まれた“悔しい”という恥ずかしくも興味深い感情のせいです」


山霧は片方の口角を上げながら話す。

片腕を捲り、腕に注射を打つようなジェスチャーをした。


「僕の中で“闘い”は一種の“快楽”に。“悔しさ”は“依存性”として残ってしまった。

僕はまだこの世界からは抜け出せない。まだ、─僕には会ってがいる」


ざわざわと空気が揺れるような感じがした。

と、同時に背後から声が聞こえた。



「奇遇だなぁ、俺も会いてぇと思ってた奴が居るんだわ」



深い闇のなかで己の存在を誇張するような燃える赤の髪。

爬虫類のような瞳。


矢嶋が驚きの声を上げる。


「──槙!」


それは、ここにいる筈もない西の頭領、槙潮だった。








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