第十四夜 上下
【Ⅰ】
「俺をお呼びじゃねぇのか?会いたかったぜ──“夜叉”」
「おいテメェ何しに来た」
何処から現れたのか、そもそも何処から奴は居たのか。
そんな事を考えている矢嶋と麻尾の声を無視して槙は山霧に言う。
「俺は始めからずっと観客だったが....どうにも観てるだけには落ち着かなくてなぁ、コーフンして仕方がねぇんだわ」
ゴキゴキと肩や腕を鳴らす槙は完全に臨戦態勢だ。
その矛先はただ一人に向けられている。
何時もなら麻尾に向けられるその切っ先は、最早麻尾等見えていないかの様だった。
何故だ?
矢嶋は思う。
槙の言うとおり、一部始終を見ていたのであればこの流れはおかしい。
槙という男の性質は、より強い者をその地位から引き摺り下ろすことに悦楽を覚えるような質だ。
ここでは麻尾が
矢嶋は槙の発言を思い出す。
槙が山霧と接触したかどうかはわからなかった。だが、槙は山霧のことを知っている。
つまり、先程山霧を“夜叉”と認識し、尚且つ麻尾に対して敗者であるにも関わらずこの様に食い付きが良いということは、以前少なくとも一度は接触があったということだ。
槙の性質の裏を返せば弱い奴に興味がない。
ということは。
「槙...........アンタ、一度“夜叉”に負けてるのか?」
フフ、と鼻で笑いながら矢嶋が
「煩い、黙れ。雑魚が」
まるで、興味の範疇外とでも言うように。
槙にとって、最早麻尾も矢嶋もどうでもよいのだ。
山霧は暫し無表情で槙を見ていたが、少しだけ笑みを浮かべると直ぐに表情を戻して槙に向かい合った。
「良かった。態々貴方を探す手間が省けました」
「だろ?」
「貴方の考えてることはわかってます」
「ならおっ始めようぜ?体が久々にウズウズしてんだ」
「その気持ちはありがたいのですが.............」
山霧は突然今まで脱がなかったコートのジッパーを下げた。
そして、前を広げると露になった腹部を示す。
「ご覧の通り、一戦交えた後で、僕は手負いです。勿論どうしてもというならお相手しますが、恐らく前回のような全力でお相手できないでしょう。貴方はきっと面白くもない筈だ」
槙のみならず、麻尾も矢嶋も驚いた。
今の会話で〈我牙〉と“夜叉”の接触は確定したが、それよりもインパクトのある光景を見せられている為だ。
山霧は、コートの下にインナーの一つも身に付けてはいなかった。
つまり、先程麻尾が『コートを脱がなくても良いのか』という発言に対し、山霧が脱いでいたとすれば上裸で戦闘を行う羽目になった訳で。
日の光りを知らない白い肌に浮かぶのは、鍛えられている事がわかる形のよい腹筋と赤さを帯びた痣。
喧嘩馴れしている三人には、その痣の酷さがわかる。時間が竜ほど痣は酷くなる。この時点でここまで赤くなる程の殴打を受けたということは余程のダメージと見てとれた。
二日後はより悲惨な見た目になっていることだろう。
その腹部をみて、槙は麻尾との戦闘シーンを今更ながらに思い出したのか、麻尾を睨んで舌打ちする。
そして、戦意を諫めて山霧に近付いた。
不意に山霧に近づいた真意が分からず麻尾と矢嶋は警戒するが、槙が手を出すことはなかった。
いや、文字通り、手を出した。
「おい、ケータイ寄越せ」
山霧の前に手のひらを差し出す槙。
普通、『寄越せ』等と言われて物を渡す人間は早々いない。
勿論、山霧も黙って携帯を渡す真似はしなかった。
「何故ですか。次貴方に会える保証があるのなら担保にお渡ししても構いませんけど」
「はぁ?タンポ?つかそーじゃねぇよ」
槙は自らの携帯電話をズボンのポケットから取り出す。
「テメーの連絡先教えろ。そして俺と闘え。
.......あまり焦らすような真似したら襲いに行くからな」
その発言に目の色を変えたのは麻尾だ。
「は?!槙何勝手に......!」
「るせぇ、関係ねぇだろ」
「お前こそ無いよな?勝手に乱入してきて山霧に絡むんじゃねぇ」
麻尾は槙と山霧のところまで行くと、山霧の肩を掴んで自分の後ろへやる。
それを見て、完全に気分を害した槙は吠えた。
「何しやがる俺はソイツに用があんだよ、テメーなんかどーでもいいわ、散れ」
麻尾はそんな槙を無視すると、背後にやった山霧を見る。
山霧はコートの内ポケットから携帯電話を取り出そうとしている動作のまま固まっていた。展開についていけていない様だ。
そんなことなど想像もしない麻尾は捲し立てる。
「おい、連絡先タダで教える気か。俺はお前に勝ったんだから槙の前にまず先に俺に教えんのが筋だろ、なぁ?」
「...........」
山霧は黙りとしたままだ。
そこに、槙が間に入る。
「お前、頭沸いてんのか?テメェ勝ったんならもう用はねぇだろが。俺はまだ勝敗ついてねぇんだよ」
それを聞いた麻尾は声高に嗤う。
「『勝敗』ィ?お前以前負けたんじゃねーのかよ?みっともねぇリベンジか?負けず嫌いの餓鬼がすがってるだけだな笑わせる。それで今夜もストーカーかよ」
【Ⅱ】
時は二十二時を回る。
麻尾対山霧戦が終わったのが二十一時十分。
槙が登場したのが二十一時二十五分。
そして、槙と麻尾の乱闘が始まったのが二十一時三十分。
引き金は麻尾のストーカー発言によるものだった。
若しくは『敗者』発言かもしれないが、それに対し槙は最早言葉では返さなかったのだ。
拳の動きが見えた途端、山霧は素早く後ろ一点五メートルの位置に飛び退いた。
それから今に至る三十分もの間、戦闘は均衡状態のまま続いている。
変化しているのはお互いの御髪が乱れていることくらいか。
多分、あの二人は気が付いてない。
「おい、いい加減にやめろ」
矢嶋にこの二人の相手は実力的に無理だ。
自慢の顔を潰すリスクを負ってまでそんなことはしたくない。
今まで幾度と東と西のトップが衝突する光景を見てきたが、完全なる勝敗がついた試しがなかった。
それは、分析するとお互いの長所がお互いにとって弱点となっているからだと矢嶋は考えている。
槙のスタイルは、四肢のリーチの長さを生かしたものだ。特に脚技優れているためなおのこと距離が詰められにくい。相手の腕が届く前に攻撃が出来るということは言うまでもなく有利だ。
だが、脚技である最大の利点はそこではない。大振りの拳技では脇や腹といった急所がガラ空きになるのに対し、大振りの脚技では殆ど隙が無くなる。
本来、四肢のうち当たり前の事だが脚にあたる二本は“立っている”だけで既に動きに制限がかかる。となると、常に自由なのは両腕の二本だ。しかし、その内片方を使うだけで急所の半分にどうしても隙が出来る。攻撃が大降りで強力になるほどリスクが高くなるのだ。
対して脚技は両腕の自由を維持したまま攻撃が仕掛けられる。何故なら“立っている”という自立行為を片足で賄うことが出来ているからだ。二本使うべき行為を、一本でこなし、もう一本を攻撃に宛がえば、両腕は来るかもしれない攻撃に備えることが出来る。
それに加え、槙は身体的アドバンテージとして身長からくる脚の長さがあり、相手は槙に接触することもままならないほどなのだ。
ここまで聞くと槙の完全なる優勢かと思われるが、麻尾相手では勝手が変わってくる。
麻尾は
麻尾の動きは読めないのだ。
避ける、攻撃する、防御する...........
それが、明確にならないことには対処の仕様がない。
槙がいくら攻撃をしてもスピードで劣るため麻尾に当たらないし、また麻尾も当たらないように一定の距離を保ちつつ動くため攻撃を仕掛ける範囲内に入ることが出来ない。
出来たとしても、常に急所をガードされている状態で攻撃を叩き込むことが中々できない。もし当たったとしても大したダメージにならないどころか攻撃を打つのに必要とされるその時間という隙をついてこちらがダメージを受ける恐れもある。
この様な均衡状態を招く力関係では、どちらかが流れを変えるべくハイリスクハイリターンの選択─つまり、危険を加味してなお一か八かで攻撃を仕掛ける
特にこの状況はどちらも譲りたくはないらしく、均衡状態を破る選択をとりそうになかった。
まさに、終わりの見えぬ状況。
矢嶋としては置いて帰りたいが、副総長の立場として東と西のトップの乱闘を放置するのはいただけない。それに、理由が理由だけにみっともない。
矢嶋はいまだに気が付かない二人に向かって叫ぶ。
「山霧は帰ったがまだ遊んでいたいのか?」
二人の動きはピタリと止まった。
【Ⅲ】
「帰った?!」
「ハァ?」
二人のトップにガンを飛ばされても矢嶋は涼しい顔をして己のスマホ画面を見せた。
そこに写るのはアドレス帳。
「山霧の家は門限があるとかで帰った。変わりに連絡先を預かったから教えてやる。だからもう今夜は辞めろ」
麻尾も槙もスマホを用意しようとするが、麻尾がここで抗議した。
「おい、何お前ちゃっかりうちの嫁さんからアドレス貰おうとしてんだよ」
“嫁さん”というのは、この世界でいうサブ。つまりナンバーツーの副総長を言う。
そういえば、と矢嶋は思う。
麻尾はわりとヘラヘラしてるタイプで挑発とかにも引っ掛からないが、今夜はやたらとカッカしている。槙の態度は通常運転に見えるが少なくとも麻尾はそうではない。
...........と考えていた所でまた殴りかかりそうな槙を止めるべく山霧からの伝言を伝えた。
「まてまて槙。お前にも教えるから辞めろ。一応言っておくと、教えるのは俺の意思ではなく山霧の意思だ」
「何故お前が山霧に従う必要がある?」と麻尾はまだ不服のようだ。
矢嶋は何度目かわからぬ溜め息をついた。
「山霧の意思に忠実なのは、まだ完全に俺が山霧の勝者になっておらず、その上先の麻尾との戦闘を見て自分より上であることを悟ったからだ。簡単に言えば実力的な上下間系は認めてる。だから、従う必要がある」
漸く両者落ち着き、矢嶋はアドレスを教えると、槙にはアドレスと共に山義からの伝言を転送してやった。
強い者が弱いものを統べる。これはどこでも共通する。
麻尾との実力差から、山霧との戦闘で己は恐らく敵わないだろう。
しかし、矢嶋はまともに山霧と戦闘をしたことがないからハッキリと断定することは出来ない。
今は目算的な上下関係にて甘んじているが、何時までもチームも持たないような新参ものの“下”につくつもり矢嶋にはなかった。
何時か、ひっくり返す機会を作ってやらねば。
そんなことを脳裏では思っていた。
【第一章 東奔西走編 終】
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