第三十六夜 黒点
【Ⅰ】
元橋を後ろに乗せた矢嶋のバイクは国道を抜けて住宅街に入った。
「矢嶋センパイ、もしかして」
「お前ん家、この辺りだろ?何処」
もしかして、俺の家に向かってます?
そう続けようとした言葉は、全くその通りの回答に遮られた。
振動が鳩尾に響いて吐き気を覚えながら、元橋は首を横に振る。
「そうですが、.....ここで平気ですから。降ろしてください」
バイクは減速し、やがて停車した。
ヘルメットを外した矢嶋は後ろにいる元橋を見る。
「質問に答えろ」
「.....」
「つって、殴りたいとこだけど。俺は身内にエスっ毛はあまり出さないことにしてるんでな」
「.....すみません」
「手負いの獣は棲みかを明かさねーらしいし」
言葉を発するのがキツイ。
それほどに、〈道化師〉の一撃は重かった。
サツが来なければ矢嶋は姿を現さなかっただろう。そうなると、自分は〈道化師〉こと角谷に潰されていたかもしれない。
完全に、実力が足らなかった。
話によれば、角谷は槙には敵わない。
そして、そんな槙は麻尾と略互角にやり合う実力者だ。
改めて知る。
麻尾等と、自分との圧倒的な力の差に。
そして歯噛みした。
そんな圧倒的な存在に立ち向かう人間が居ることに。
たった一人で。そして、今宵も尊敬に値する人の時間を独占していることに。
あの人は、アイツを認めているのか?どのような感情を抱いているのだろう。
許せない。そして悔しい。
そんな相手にすら、俺は太刀打ちできなかった。
〈夜叉〉に対する感情は、劣等感からくる嫉妬だ。
麻尾の他にも矢嶋の心さえ侵食しつつあることをよく知ってる。
邪魔だ。
アイツは、この地域におけるこの世界の“癌”だ。
「有難う御座います」
矢嶋は黙って元橋に降りるよう促すと、ヘルメットをかぶり、闇夜に消えた。
【Ⅱ】
今宵の山霧を中心とした愚劇を達観して居たのは矢嶋である。
角谷が山霧を連れてきた。
そして、それを麻尾が引き取った。
その後何処へいったかは知らないが、それに伴って元橋を中心とした〈鬼爪〉のメンバー何人かを引き連れていったことは知っている。
当然だ。
麻尾が、山霧と連絡が取れず苛立っていたその隣に居たのだから。
そして、漸く連絡がとれたと思ったら角谷のもとに居るだなんて言うではないか。
麻尾は単純に誰かのもとに居たことに苛立っていたみたいだが、俺は違った。
角谷の側にいて、お前はマトモに呼吸が出来ているのか?と。
角谷を取り巻く噂は聞けば聞くほど吐き気がする。嗜好のベクトルが略同じ方向に向いていることがより気分を不快にさせる。
『俺ならもっと、』
とか、
『俺はそんなこと、』
と思ってしまうことが、相手に振り回されているようで気に食わないのだ。
そして、そんな角谷の近くにいて、顔色を変えない山霧。
彼は目まぐるしいほどに様々な人間を巻き込んで行く。
山霧を倒した麻尾。
山霧と闘った槙。
山霧と接触した元橋。
山霧の側にいた角谷。
俺は?矢嶋は自問自答した。
山霧の心に引っ掛かるようなやり取りをしただろうか?
否、伝書鳩代わりにされただけだ。
「この俺を使いやがって.....」
呟く口角は上がっている。
この俺の存在を無視させてなるものか。
誰の心にも巣食う山霧。
だが、そんな山霧の心を巣食うのは誰なのだろう?
「どんな形でも構わない。勝手にズブズブと入ってきたのなら、簡単には脚を洗えないようにしてやるよ」
先ずは関係をハッキリさせたい。これは、上下社会にあるこの世界に住まうものの性だ。
そして、明らかにした後、俺はやつの心に根を下ろしていく。手段は色々あるが、その時考えても遅くはない。寧ろ今決めても早計すぎる。
だが、目的は一つだ。
この
興味本位で開いた扉に責任を持つべきだ。
そして、それを自覚させる。
お前はもう、真っ白ではない。
「元優等生、山霧卓弥」
もう二度と、戻れない。
俺と、同じように。
矢嶋はバイクの速度を上げた。
【Ⅲ】
自宅についた矢嶋は門を開ける為に鍵を挿した。
そして、ガレージにバイクを立て掛けると、綺麗に花の咲く庭を横切って玄関の前に立つ。
この家は嫌いだ。
家族を形成する唯一の目に見える形だが、唯一ならばいっそ消えれば良いと思う。
家の中に入ると、季節は夏だというのに冷たい空気がまとわりつくような錯覚に陥る。
パチッとスイッチの切り替わるような音がしてリビングルームの方が明るくなった。
「あ、.....お兄ちゃん...おかえり...」
そして、そこから玄関へと続く扉が開き、出てきたのは弟の
「............」
今年一応受験生である中学三年の瀬羅は、恐らく息抜きか集中力が切れたかでリビングにいたのだろう。だとすれば他の家族は少なくともリビングルームには居ないということになる。
何故なら、自分同様弟は両親を好ましく思っていないからである。
そして、俺のことも。
瀬羅は、矢嶋の機嫌を伺うような目付きで此方を見る。
そんな瀬羅を黙殺し、矢嶋は足早に自室へと向かった。
部屋に入ると、矢嶋は大きくため息をついた。
クソが、話し掛けんじゃねぇよ。
極力静かに戻ってきたかったのに。でないと、
「............沙羅ちゃん?帰ってるの?」
この“屋敷”で厄介な化物に捕まってしまう。
チッと矢嶋は舌打ちをせずには居られなかった。
「戻ったのね、良かったわ。そうそう、高校は何処にする?もうすぐ受験でしょ?良いところに行かないと。パパのようになってもらわなくちゃ」
出た。
ドンドンと時間帯を考えずに扉を叩く母親。
自分の言っていることの異常に何時まで経っても気が付かない母親。
高校はとっくに進学している。
なのに、それを態々蒸し返すのには理由がある。
否、蒸し返しているつもりは彼女には無いのだろう。
彼女のなかでは永遠に自分は受験生だ。
そう、四年前の冬から母親の時は止まったまま。そして、見詰める瞳は只一心に長男へと向けてくる。
鬱陶しい。
なんて精神的に弱い女。
だから男に逃げられるんだよ。
「ちょっと、沙羅ちゃん聞いてるの?お返事しなさいよ!怒るわよ!」
徐々にキーが高くなっていく雑音。
「お母さん、...やめて、お兄ちゃん疲れてるんだよ」
「なによっ!五月蝿いわね!アンタは少しでも沙羅ちゃんに近付けるようにしなさいよ!」
「...お母さ…」
流石に見かねた弟が制止にかかったようだが、意味をなさない。
この女は、次男にこれっぽっちも期待していない。
自室のドアを開けた。
「沙羅ちゃん!開けてくれたのね。お母さんとっても嬉しいわ、今から...」
「どけ」
母親と取り合う為にドアを開けたのではない。
シャワーを浴びるべく浴室に向かう為だ。
「...............」
弟が此方を見詰めている。
視線が合うことはない。
合ったところで意味がない。
コイツに用などないからだ。
弟は馬鹿だ。いつになったら目が覚めるのか。
あの女がお前を見ることはもう無いだろうに。
何時までも甘えた考えに吐き気がする。
遠くで女の泣く音がした。
あんたは利口だよ、親父。
頼むから、さっさとこの関係にトドメを刺してくれ。
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