第二十五夜 未熟

【Ⅰ】


「おもしれーもんが見れたな」

「ああ」


数多の観客の中、互いの耳だけに聞こえる声。


「“挨拶”しようと思ったら。あれだろ?ここの地区を賑わせてたって奴。なんつったっけ?」

「─さぁな」

「あ!思い出した。“夜叉”だ。つっても、対したこと無さそうだけど」

「............」

「けど、どーするよ?今日はなんか冷静に話を聞いてもらえそうになくねぇ?〈鬼爪〉と違って〈我牙〉は変人ばっかだしよ」

「......確かに、槙のあの様子じゃ興奮した虎に名刺を手渡しするようなモノだ」

「ぶ、ウケる。それも落語のネタ?」

「尊敬する師匠様のネタだ」


ゲラゲラとひとりは腹を抱えて笑う。


「うるさい」

「っ、はー。笑った笑った。

話戻すけど、また今度でいっか」

「......ああ」

「......何、さっきの青年が気にでもなる?」


少しだけ、間が空いた。


「......行くぞ、桂」

「え、シカト?......まぁいいや。

それよりこの間の賭け!俺が勝ったんだから奢ってよね、櫻木」


【Ⅱ】


角谷と桂は気を失ったままの山霧を保険医の居ない保健室に運んだ。


「うわっ、案の定だ......最悪」


勿論、山霧をベッドに運ぶ為であったが、こんな高校でベッドが綺麗に維持されている筈もない。


桂は角谷を冷めた目で見る。


「............角谷さんがそれを言うんですね」

「え?」

「......なんでもありません。とりあえず、替えのシーツはあるようなので最低限それだけ取り替えます」


薬品棚の隣には新品同様のシーツの替えがある。

月に一度は業者が来ているようだが、教員が管理を怠っている以上、保健室の衛生面は限り無く酷い。

まだ業者清掃から幾日と経っていないのが幸いした。


ちなみに、薬品棚に薬品は一つも並んでいない。

この学校で薬品などを放置していれば想定されうる事態など目に見える。

棚に鍵をかけたところで破壊されるのが落ち。

大怪我などの場合は教員唯一のオアシス職員室に乗り込む他ないのである。


桂が綺麗なシーツに取り換え換気をした後、角谷は山霧をベッドに横たえた。


こうして目を閉じて眠っているようだと、とても槙とやりあっていたとは思えない。

目の当たりにしたばかりだが、それでも信じられなかった。


─闘ってみたい。

そう思っていることは今も変わらないが、それを上回る気持ちが芽生えてしまった。


山霧の戦闘を見て思ったことなのだが、彼には惜しい点が幾つかある。

体ではなく頭で動いていた山霧だが、体で動くことを覚えればより化けるんじゃないかと。


角谷は、麻尾や槙が山霧に対して抱いている「潰す」という抹殺対象に掲げているのに対し、真逆の思いを抱いていたのである。


彼を、化け物にしてみたい。

俺の手で、槙をも返り討ちにするほどの人間に出来る気がしてならない。


自分好みに育てようと思っただけで、角谷はゾクゾクとした興奮が背筋を這うのを感じる。


「角谷さん」

「......何」

「何、考えてるんですか......?」


顔も表情も動かすことなく。

視線のみを一度桂に向けた。

直ぐに視線を山霧に戻すと、んー、と角谷は思案する仕草をして桂に答える。


「コイツ、何考えんのかなぁ~と思って」

「......」

「だって、喧嘩したいつって頭でっかちが馬鹿みたいに暴れまくって、槙や麻尾にまで目ぇ付けられちゃって......」

「......」


はは、と思わず笑ってしまう。


「とうとう気絶しちゃった」

「......」


桂はふとグラウンドに目をやった。

興奮が冷めきらぬ槙が観客を巻き込んで乱闘している。

歯向かう人間は誰も居ない。何故なら─


─敵わぬことを自覚しているから。


ハリケーンの如く巻き込み、薙ぎ倒していく槙から逃げ惑う様。

そう、これが普通だ。


なのに、この山霧という男は喧嘩に対して槙と似たような感覚を持っている。

強く、未知の相手にどん欲になる様を。


桂は視線を山霧に移した。


「桂、どう思う?」

「......何がですか」


角谷は山霧の瞼の上に手を翳す。


「コイツが目を覚ましたとき、槙に失神するほどの打撃を受けた事実にどう感じるのかね。

恐怖に戦慄くか、痛みに悶えるか、敗北という結果に項垂れるか...........」


翳した手を数回瞼の上で往復させる。

山霧は目を覚まさない。


「一つ言えるのは」


桂は角谷に視線を向ける。


「我がチームの存続を優先するならば、彼がどうであれ、抹殺すべきだということです」


まるで、角谷の感情を見透かしているように釘を刺してきた。


【Ⅲ】


「潮さん」


槙は、グラウンドの中央で肩より少し長い赤い髪を風に靡かせて煙草を吸っていた。


今日はやはり風が強い。


「..........」


ここにいるのは、槙と桂のみ。


「少しは興奮も落ち着きましたか」


荒れた人工芝。

所々剥げてしまっている。

そして血痕も。


この高校に通う生徒はなにもこの世界に属する輩ばかりでは必ずしもないというのに、共用物がたった数時間でこれほど荒らされてしまうというのはなんとも気の毒だ。


しかしそこは金持ち校。

恐らく二週間も経てば元に戻っているだろう。


髪ゴムを指先で弄びながら、至極残念そうに槙は呟いた。


「楽しい時間は続かない。必ず終わりが来る」


槙の中で燃えるように高められていた悦楽が、今風前の灯となっている。


「アイツを、山霧を、倒してしまった」


桂は黙って聞くだけだ。


「久しぶりの一時だったのになぁ............」


感慨深い、とでも言うように呟く槙。

短くなった煙草を口から外すと手のひらで握り潰した。


瞬間、声音が一変する。


「............だが、スッキリしねぇ、倒したはずなのに、足りない。まだ、アイツは動ける。動けた筈だった。

なぁ、あのままアイツを殴り続ければ俺は満足したと思うか」


愚問だ、と桂は思った。

だって、その質問はもう答えを知っている。


多分。角谷と思うところは同じだろう。



【Ⅳ】


今まで我らは悪戯を覚えたばかりの仔狼に踊らされてきた。

そして、怖いもの知らずで立ち向かってきたその体を破壊の寸前まで追い込んだ。


なにも知らない子狼。

きっと今まで温かい親に餌を与えてもらって育ってきたことだろう。


だから、彼は“森”安全な場所しかしらない。

“街”未知の世界にすむ人間の恐ろしさを知らない。

きらびやかな外灯に誘われた仔狼は初めて目にする何もかもに夢中だった。


おいたの過ぎる子。

奴を身に堪えるほどに追い詰めた。


このまま未発達の彼に棍棒を殴打し、己の勝利の美酒に酔いしれることは果たして可能なのか。


声が聞こえる。


─仔狼ごとき倒したくらいでなんなのだ?


そうだ、こんなもので満足など出来るものか。


彼が成獣になるのを待とう。


牙が生え揃い、

爪が鉛色に光るその時まで。



その時、俺は、息の根を止めに行く。



【第二章 右顧左眄編 終】

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