第二十三夜 余興
【Ⅰ】
角谷は服に付着した誇りや、自らの流した血を洗うべく、校舎の外に取り付けられている手洗い場で上半身から水を被っていた。
髪から滴る水を払いながら、汚れたパーカーをみて舌打ちをする。
「っふざけんなよ槙ぃ~」
ちなみに、舌打ちはもう数え切れない。
角谷が切り傷、汚れまみれになっているのは槙が発端だ。
登校して直ぐヤろうと思ったら、構内が何やら騒がしいのでちょっと様子を見に行った。
結果、興奮した“蛇”に目をつけられて弄ばれたという訳なのだが。
勝敗など決まりきっている。槙の方が上だ。完全に体鳴らしに使われて、挙げ句この様。
舌打ちせずにいられる筈もない。
─いや、そもそもの発端は“夜叉”のヤローか......
一昨日買ったばかりのお気に入りのパーカーだったのに、と文句を言いつつ水滴を拭っていると、何やら高校の正門付近が騒がしいことに気がつく。
ほんの野次馬根性だった。
上半身裸で水滴を着けたまま、パーカーを肩に引っ掻けて洗ったシャツを絞りながら向かうと、カツアゲのような光景が見えてくる。
シワ一つない制服を確りと身につけた清楚感のある青年と、それを取り囲むここの連中。
中央にいる青年は何やら彼らに訴えているもののそれを聞き入れられず時おり首を傾げながらめげずに話をしているようだった。
「って、それで興味本位に近付いて痛い目に合ったからなぁ~」
しかしやはり気になる。
角谷は中央の青年を遠目から観察した。
黒く、艶やかな髪。
時おり吹く風に遊ばれて、揺れる髪は角谷の目を惹いた。
槙や向こうの麻尾等と言った桁違いの容姿をしている“化け物”程ではないものの、凛とした雰囲気を醸し出す容姿はそれはそれでとても趣があるとすら感じる。
ここの連中はどいつもこいつも浅黒いか、黄ばんだ肌をしているのに対して、その抜けるような白い肌はとても映えていた。
時おり乱れる髪を耳にかける仕草に角谷は己の心臓がどくりと打つのを感じて。
「─テメェもしつけーんだよ!槙さんに会いにきただなんて嘘も大概にしろ──」
囲んでいたうちの一人の腕がその青年に奮われそうになった瞬間、角谷の体が動いた。
それは、風を斬るように速い。
その青年に振るわれる筈の拳を角谷は腕で受け止めた。
自分より大柄な男の鉄槌を角谷の細腕が受け止めるなど端から見れば痛々しいもの。
だが、角谷は普通の人間とは違う。
西地区最大勢力トップ、槙の二番目に君臨する男。
見た目で判断すれば痛い目に合う。
─騙されるな、その外見から力を計ってはいけない─
それが、“道化師”と呼ばれる角谷の異名だった。
豪腕の鉄槌を受け止めた腕は、その威力がもっともかかりにくい筋肉と骨の隙間に沿うように宛がわれている。
「っ、角谷さん......?!」
周囲の野郎共は突然の角谷の存在に狼狽えた。
機嫌があまりよろしくない角谷。
「お前らなぁ、汚ねぇ体で触んじゃねぇぞ......」
猫のような瞳が豹を思わせる獰猛さに変わるのを感じた途端、その場は凍り付く。
だが、その雰囲気の中、一人が角谷に抗議する。
「で、でも角谷さん、そいつ、槙さんに会わせろって言うんすよ......?勝手に入れたら何をされるか......」
その言い分は最もだった。
だからと言って、目の前の青年が殴られるのも何故だか赦せなかった。
角谷は受け止めたままの拳を振り払うと、もう片方の腕でその青年の肩を抱く。
「成る程な。言い分はわかった。俺がなんとかするからお前ら─」
─さっさと散れ。
言い放つと、取り囲んでいた輩はすごすごとその場を去っていった。
【Ⅱ】
さて、思わず腕に抱いてしまった青年を角谷が見下ろすと、無表情ながらもやや驚いたような目と視線が合った。
思わず、息を呑む。
角谷は効くべきである内容を一瞬忘却するほど青年に釘付けになった。
形のよい瞳、それを縁取る少し長めの睫毛。
至近距離で見るほどその容姿は魅惑的に感じられた。
肩に抱いた腕はするすると体の輪郭を捉えるように腰に滑る。
「っ」
それに少し驚いたのか我に返ったのか、青年は身動いだ。
「あ、の…......?」
ああ、声もいい。
本能のままに体が動きかけて──
バシィッ!
「ってェェー!!」
「............お待たせしました、山霧さん」
頭を抱える角谷。
その足元に転がるバケツ。
いきなり角谷の支えを失い、よろける青年─
もとい、“夜叉”こと、山霧。
バケツを角谷の頭にぶつけたのは、山霧を迎えにきた桂だった。
桂は侮蔑するような視線を先輩である角谷に向けると、その角谷の横を素早く通り過ぎ、山霧の目の前に行く。
「申し訳ない。思ったより早い御到着で何よりですが............何やら御迷惑をお掛けしたようで」
「ハァ?!ちげぇし!」
先輩と言えど、流石に桂は事の重大さを天秤にかけ、声を荒げた。
「何が違うんです、御言葉ですけどこのまま貴方の好きにさせたら潮サンが収集つかなくなるんですよ?今朝の比どころではない、血祭りでしょうね?メインディッシュは間違いなく貴方だ」
桂の言葉に角谷は瞬きする。
「─槙?なんで......」
「......ああ、そういえば角谷さんはお会いしたことはありませんでしたね」
しゃがんだまま、角谷は青年を見上げた。
そして、昨日の槙の会話と、今朝の桂の言葉を思い出した。
『来賓』
「え、嘘、まさか」
まだ、見るたびに角谷の鼓動を刺激する青年がまさか。
「では我が校を御案内しますよ。“夜叉”」
此処最近周辺を荒立てていた張本人、“夜叉”だなんて。
角谷はあんぐりと口を開けたまま視線で山霧の背中を追う。
「......ちょ、まじか......?」
自分よりも“道化師”なんじゃないか。
そう思うほどだった。
【Ⅲ】
先頭を歩く桂。
後ろから頭を擦りついてくる角谷。
そして、その間で澄ましたように規則正しい足どりで桂に続く青年、山霧。
その異様な光景に構内の人間は訝しげな表情を向ける。
桂はまだいい。
だが、その後ろの男はここに似つかわしくない綺麗な制服を正しく身に付けているし、
更にその後ろ、この構内ナンバーツーの角谷はいつもの澄ました雰囲気はなく、狐につままれたような複雑な顔をして歩いている。
何だかおかしい。
そんな空気を誰しもが感じ取っていた。
周辺馬鹿高校の中でも私立の名前を一応掲げ、それなりに金持ちの高校にあたるこの学校では、設備は相応に整っていた。
人工芝とトラックが備え付けられている第二グラウンド。
その中央で立つのは槙。
周囲はお祭り騒ぎか何かと賑やかだった。
周囲に行き渡っている情報としては、
『槙があの“夜叉”とタイマンをはる』
という注目を集めるには充分な程の要素が盛り込まれている内容。
まるでコロッセオの様な雰囲気すらある場所に招かれた山霧はその状況に物怖じする気配を見せなかった。
寧ろ、口角を上げ、瞳は期待でたぎっている。
そんな山霧をみて、角谷は今だ混乱していた。
一度会って、闘ってみたいとすら思っていた男が......ほんとうにコレなのか?
そんな角谷を放っておいて、桂は山霧を槙のもとへと案内した。
山霧の姿を確認するなり、槙は表情を一変させた。
胸が高鳴る。興奮と期待に深く息を吐いた。
「待ってたぜ............山霧」
ウォーミングアップは十分すぎるほどにやった。
その犠牲になった人間は数多といるが、そんなことはどうでもよい。
「僕もです............でも、少し待ってもらえませんか」
槙のもとに行く前に、持っていた鞄を下ろすと中から学校指定のジャージを取り出した。
「............あ?」
槙は思わず声を漏らす。
「一分でいいので」
そう言うと、山霧はいきなりジャケットを脱ぎ、シャツのボタンを外し始めたのである。
声を荒げたのは角谷だった。
「............っ、おい!お前!何考えてる!!」
浮き出た鎖骨と、引き締まった腹筋。
日の光を知らない白い肌に、イケナイモノを見てるような錯覚に陥る腰。
上半身が露になった時点で角谷はまだ若干湿っている自分のパーカーを山霧に被せた。
山霧はまたもやポカンとして角谷を見上げる。
はぅっ、と角谷は心臓を鷲掴みされるような感覚を覚えたが、いきなりとった山霧の行為にこう言わざるを得なかった。
「おま、いきなり、そんなっ、なんで服を脱ぐ必要があるっ!」
被せたパーカーをきゅっと前に寄せて、目を白黒させながら角谷は怒鳴った。
しかし、そんな角谷に臆することなく当たり前のことを山霧は言う。
「何故って…流石にこの制服は動きづらいですから。ジャージに着替えるんですよ?何か問題でも?」
「問題、............って............」
鞄からジャージを出した時点で桂も槙も山霧がどうするか等わかっていた。
だが、その過程が角谷にとって許せないことだったらしい。
「こんな、大勢の前でお前、裸になるつもりか!?」
流石に山霧はくすりと笑った。
「大勢、って。なにも素っ裸になるわけないじゃないですか。パンツは流石にそのままですよ。それに女じゃあるまいし、騎馬戦や棒倒しなんかは大勢の前で皆が裸も同然じゃないですか」
山霧の笑顔に見惚れて角谷は脳内にダメージ。
そして、『パンツ』発言で更に大ダメージ。
あれ、なんか調子狂う............!
「桂ァ!」
槙が声を荒げて桂を呼んだ。
「はい」
「鬱陶しいからさっさとソイツどっかにやれ」
槙もそろそろ苛立ってきた。
目の前で茶番を繰り広げる角谷を、あともう少しで不能にしてやろうかと思うほどには。
「はい」
槙の言うことには忠実。
桂は「い、いたいっ、いてぇってば!」という角谷の髪を鷲掴みにして山霧から離した。
余計なモノが居なくなった所で着替えを続行する山霧。
その姿を見ながら槙は近付いた。
「おい」
「すみません、あと上だけ............」
「見せろ」
腕をつかんで、ぐいっと頭上にあげた。
槙の視線は山霧の腹部─
麻尾の殴打した後に向けられていた。
淡い朱色に染まるそれは、殆ど完治していることを示している。
「痛くねぇな?」
その問いに、山霧は挑発的に返した。
「ええ。
─負けても、言い訳にならないほどには」
槙は、それを聞いて満足げに喉を鳴らした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます