26「1対10000」
まずは先陣を「めくる」。出鼻を挫けば、進軍も鈍るだろう。
静かに左手を突き出す。掌を開いた状態で、前方に狙いを定める。
腕を伸ばしたまま、水平方向にゆっくりと弧を描いていく。
これは予備動作だ。掌の軌跡にしたがって、目には見えない気の塊を前面に作り出している。
莫大なエネルギーを宙に展開させたところで、一旦腕を引いて拳を握る。握った左拳に気合いを込める。
そうこうしている間にも、敵はもうもうと土煙を上げ、ただ一人立ち塞がる俺を押し潰そうと迫っていた。
焦るな。冷静に努めろ。
握り拳を開き、再度左手を突き出す。
《気断衝波》
既に前方くまなく展開してあった気力の塊が、不可避の衝撃波として撃ち出される。
地面を抉り取りながら、草土を巻き上げて、音を超える速度で敵へ向かっていく。
激突する。
千以上はあろうかという騎兵が、ハリケーンにでも吹き飛ばされたかのように、一斉に「めくれ上がった」。
ライノス共々、憐れな雑兵は望まぬ空の旅へ発っていく。
攻撃の余波は、背後の魔法戦車群団へも及ぶ。何十もの車両がひっくり返り、砲身はへし折れ、無用の長物と化した。
さらにその後ろの歩兵たちまでも多くが弾き飛ばされ、陣形は総崩れとなる。
まずはこんなものか。
突き出した掌を見つめた俺は、確かな手応えを味わうように拳を二、三度握り開きしてから、静かに下ろした。
大きく息を吸って、吐く。再度前方を注視する。
前列は綺麗にやっつけたが、後列の方にはまだまだ戦えそうな者が残っているようだ。
全力を出せばもっと巻き込めただろうが。
これ以上威力を上げれば、ぶつけた者の肉体を千切り飛ばして、皆殺しにしてしまう。
あの兵たちは、仮面の集団のように自分の意志で非道を働いているわけじゃない。
奴に操られているだけだ。できるならば殺すことは避けたい。
それにしても。
自分でも驚いていた。それなりに大技のつもりだったが、思った以上に余裕がある。
ヴィッターヴァイツにやられてから、気力の上がり方が尋常ではないらしい。
この成長力ならば――。
だが浸っている暇はない。
再び構える。二発目を撃ち出そうと、掌に気を込めたそのとき。
『ほう。少しはやるじゃないか』
どこからともなく奴の声が聞こえてきた。
だが妙だ。近くにいれば身が震えるほどに感じ取れる奴の気は、今はどこにも感じられない。
得体の知れない不気味さを肌で感じながら、辺りを最大限警戒しつつ尋ねた。
「どこだ。どこにいる」
『貴様の心に直接話しかけている。念話というものだ』
『……そうか』
俺も念じて返す。
『心の世界』を使う俺のやり方とは違うようだが、奴も同じような真似ができるらしい。
『やはり出て来たな。ユウ・ホシミ。そうでなくては面白くない』
『別にお前を楽しませる趣味はない』
『くっくっく。まあそう言うな』
奴の笑い声が頭の中に響く。むかつく声だ。
『貴様のためにこれだけ並べてやったのだ。中々の余興だろう?』
何が余興だ。ふざけやがって。
お前の暇潰しのために、何の罪のない人を操って。
『それにしても――随分と甘い戦い方じゃないか。誰も殺していない』
『だからどうした』
不機嫌な俺は、冷たい声で返した。
そんなことはどうでもいいだろう。
『おいおい。仮面の集団のときに見せた残虐ぶりはどうした?』
『無駄な殺しは嫌いなんだ。必要なら殺るさ』
すると、奴の声から笑いが消えた。
やや重い沈黙があり、次に聞こえて来たのは、冷酷な退屈さに満ちた男の声だった。
『フン。貴様の目とその面。オレと同類かと期待したのだがな。残念だ』
『勝手に期待しておいてよく言うよ。お前の下らない生き方なんか最初から願い下げだ』
『そうかそうか。口だけは立派なことだな』
明らかに空気が変わった。
こいつ。俺を殺す気だ。
直後。その確信を裏付ける台詞が、脳裏に響いた。
『貴様のような奴は要らん。死んでもらおう』
くたばっていたはずの雑兵が、まるで糸に操られるようにゆらりと立ち上がった。
まともな意識はない。
前の方の奴は、とても立ち上がれるようなダメージではなかったはず。
操った人間を、限界を超えて酷使している。人を人とも思っていない。
『ただ数を揃えたところで、俺には通用しないぞ。手前が出て来いよ』
これ以上雑兵を相手にするのは気が進まない。次はおそらく死ぬ奴が出てくる。
挑発に乗ってさえくれれば、奴だけを相手にできるのだが。
そう易々とはいかなかった。
『ふはははは! やる気だけは一人前だな。小僧! このオレと「戦う」だと?』
舐めた態度だ。こいつは、自分と俺とでは戦いにすらならないと言っているのだ。
そう思っている限り、こいつはいつまでもこのふざけた余興を続けるに違いない。
怒りが煮え立ってくる。
奴を睨み付けるつもりで、次々と立ち上がる兵たちのいる正面を睨んだ。
『だが確かに、普通に攻めたのでは失礼だったな』
『……なに?』
『では――これではどうかな?』
魔法使いたちが、一斉に魔法を構え出す。
それだけではない。
驚くべきことに、残りの剣士たちが――全員気剣を抜き出したのだ。
気剣だと。あいつらはほとんどそんなものは使えないはず。どうやって。
『この程度、オレの力をもってすれば造作もないこと』
支配。フェバルというのは、どこまで――。
それになんだ。この異常な力の高まりは。
彼らに漲っていく力は、雑兵の域を遥かに超えていた。
各々が一流の戦士並み、それこそアーガスやイネア、下手すればそれすら上回るほどに力を充実させている。
明らかに無理をさせている。こんな真似をすれば。
制御し切れなくなった魔力と気力が、たちまち暴走を始めていた。
彼らの中で弱い者から、腕が熱を帯び、炎症を起こし、さらに泡を立てて膨らみ始めた。
遠目からでもあまりに痛々しい姿。なのに何も感じないかのように、平然としてパワーを高め続けている。
耐え切れず、途中で力尽きて死ぬ者まで現れ始めた。
熱暴走を起こした肉体が、ぐずぐずに溶けていく。
見るもおぞましい光景だった。
そんなことを遊び半分でやらかして、男はまったく愉快にしている。
さすがに湧き上がる怒りを抑えられなかった。
『お前。ただでは済まさないぞ』
『できるものならやってみろ』
急速に高まるエネルギーが、隊に向かって猛風を巻き起こす。ビリビリと大気が震えていた。
こうして向かい合っているだけでも、ぞっとするものを感じる。
俺は黙って右手を構えた。掌に魔力を集中させ、静かに高めていく。
『どうした。避けないのか。別に避けてもいいんだぞ?』
憎たらしい嗤い声が、ガンガン頭を揺さぶってくる。
黙れ。
わかっているくせに。ふざけるなよ。この野郎。
俺はぶち切れそうだった。
真後ろがどこだと思っている!
ここで避けてみろ。サークリスがただでは済まない!
それをわかりきった上で、こいつは……!
しかしいくら敵が憎くとも、今対処すべきは目の前の相手だった。
この場は奴のいいように動かされても――迎え撃つしかない。
構えた手に、さらに思い切り魔力を込めていく。
風の超上位――いや、ただの魔法では、威力がまるで足りない。
最近編み出した魔法に賭けることにした。
《セイン――
約五千人分の魔法と、約五千人分の気力。
足して一万の高まりが、まるで地上に太陽と見紛うほど強烈な光を創り出す。
太陽と違うのは、各属性の魔力が合わさって、まるで虹のような美しい輝きを描いていることだろうか。
これが見せ物なら、どれほど良かったことか。
各々の限界を超えて搾り取られた力は、サークリスを消し去るに足るだけの圧倒的な破壊力を有していると見て間違いなかった。
躊躇いなどは一切ない。
操り人形たちから、絶望的な攻撃が放たれた。
七色の光が絡み合い。そこへさらに莫大な気の白光が加わって。
激流が、あらゆるものを飲み尽くす。
ブラスター》!
迎え撃つは、たった一本の光。
高度に凝縮させた魔素が灯す、大気と同じ魔素本来の濃緑色。
あえて変化させないことで。そのまま圧縮することで。エネルギーロスを極めて少なく抑えることができる。
最もシンプルかつ、最も強力な威力を持つ原始魔法。
ただの魔素エネルギー波。
途轍もない面積に対抗するため、掌の先で出力を上げ、強引に広げた。
ぶつかり合う激流。光と光。
一万人分の攻撃を、一手に受け止める。
凄まじい反動が、全身を襲った。
「ぐ……ぎ……!」
きつい。押し込まれそうだ。
手が、焼けるように熱い。
懸命に踏ん張る。
大地にひびが入る。徐々に土へ足がめり込んでいく。
俺と隊列。その中央でぶつかり合ったもの同士が、膨らみ、激しいスパークを散らしている。
他は何もわからなかった。必死だった。
これを押し込まなければ。負ける。
サークリスも。俺の運命も。
さらに魔力を絞り出して、光線にありったけ込める。徐々に持ち直して――。
――悪寒が走った。
空――嫌な気配が――
いつの間に――
俺を取り囲むようにして、彼らは鋭く空より舞い降りてきた。
雷龍、風龍、土龍、水龍、光龍。黒龍。
この星で最強の自然生物たち。
おいおい……全部同時かよ。
警戒して身を潜めるように強く言っておいた、炎龍を除いて。
すべて操られている。
彼らに意志はない。誇りもない。
ただ命ぜられるままに。身動きの取れない俺に向かって、同時に息を溜める。
雷、風、土、水、光。そして最強の黒炎のブレスが、一斉に襲い掛かった。
全方位同時攻撃。逃げ場はない。
『これはさすがに死んだか』
奴の嘲笑が聞こえたとき。
俺はもう、激しい怒りを堪え切れなかった。
舐めるなよ。こんなところでやられるか!
「ああああああああああああーーーーっ!」
無我夢中で叫ぶ。
内に眠る魔力を、爆発的に解き放った。
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