29「操り人形の饗宴」

「ユウ。すまん。すまん……!」

「悪い。身体が……言うこときかねえんだ」


 イネアとアーガスは、苦しそうにこちらを見つめている。

 ヴィッターヴァイツ。お前は。お前は、どこまで……!

 戸惑う暇も与えられなかった。

 意に反して動かされたイネアが、俺に向かって飛び込み、気剣を払う。

 俺は素早く気剣を抜き、彼女の剣を正面から受け止めた。

 重い。

 実力差は付いたと思っていたが……まるで初めて戦ったときに逆戻りしたみたいだ。

「特別製」と言っていた。これほどの無理な強化をすれば……。

 肌を醜く爛れさせて、使い捨てのように死んでいった兵士の姿が、嫌でも脳裏に浮かぶ。

 敵は一人ではない。間髪入れず、背後からバッサニアが斬りかかってくる。

 相手の振り下ろすタイミングに合わせて、後ろ蹴りを浴びせる。

 刀身と脚がぶつかり合って、鈍い衝撃が返ってくる。

 突然、身体が重くなった。重力魔法か。

 放置するとまずい。即座に反重力魔法を使用する。

 魔力の元を辿る。やや離れた間合いから魔法を仕掛けていたのは、やはりこの魔法を得意とするアーガスだった。

 身体から重みが消えると、イネアとバッサニアが同時に距離を取った。

 何をする気だ。

 身の危険を感じ、咄嗟に横へ飛ぶ。

 間一髪のところを、雷撃が通り抜けていった。

 撃ったはずのエグリフを視認する猶予はなかった。

 気付けばまた、イネアとバッサニアに挟み撃ちにされている。

 二人は左右から同じタイミングで剣を繰り出してくる。

 完璧な連携だ。奴が一人で操っているだけのことはある。

 右手にも気剣を作り出し、双剣をもって攻撃を受け止める。気剣が火花を散らす。

 必然、動きは止められてしまった。

 そこに、上から巨大な隕石ほどの火の玉が落ちて来る。

 あれは、アーガスの――。

 イネアとバッサニアは離れない。二人ごと魔法で焼き殺すつもりか!

 虚ろな操り人形と化しているバッサニアに対し、イネアにはまだはっきりと意識が残っていた。

 彼女と目が合った。


「いい。私のことは気にするな!」


 言葉を返せない。それよりも前に身体は動いた。

 剣を押さえたままの体勢で、強引にイネアを蹴り飛ばす。

 バッサニアは……ダメだ。こいつを助けてやる余裕がない。

 迫り来る火球を睨み、《ティルアーラ》を張って全力で防御を固める。

 恐ろしい熱と重さが襲った。

 熱い。息を止めろ。

 剣の圧力が消える。国随一の戦士が消し炭になった。彼にまともな意識がなかったことはまだ幸いだっただろう。

 火で周りが見えないが、この場に留まっていては追撃を食らう。

 防護が切れる前に脱出しなければ。

 地を蹴って、魔法の攻撃範囲を一足に抜け出す。

 火から飛び出した瞬間、すぐ横を大量の闇の刃がすり抜けていった。

 間一髪――。


「やめろ!」


 急に声がした方向を振り向く。

 イネアが、もう剣を振り下ろしていた。

 かわせない。この体勢で受け止めるしか。

 風魔法で自分の身体をスピンさせ、回転の勢いを付ける。

 剣先が肉を裂くギリギリのタイミングで、左の気剣は辛うじてイネアの気剣の威力を削いだ。

 額が切れ、生温い血が滴り落ちる。息の上がった口に垂れ落ちて、舌に嫌な味が張り付く。


「助けてやったのに。ひどいじゃないか」

「う、あ……どうして、こんなっ!」


 ――いつか。こんなことになるんじゃないかとは、思っていたんだ。


 だから、必要以上に関わることは避けようとしていたのに。

 甘かった。徹底できなかった報いが、これか!

 鍔迫り合いを続ける。

 呼吸を整えつつ、奴へ念を送る。

 いくら手練れとは言え、一人減って、たった三人だ。

 さっきの軍隊と龍の総攻撃に比べれば、もう大したことはなかった。

 何より。


『ヴィッターヴァイツ。無駄なことはよせ。こいつらではもう俺には勝てないぞ』

『どうだかな。殺してみろ』


 くそ。わかっている。俺が躊躇っていることを見抜かれている。

 これ以上鍔迫り合いを引き延ばすのは無理だ。また魔法が来る。

 やるしかないのか。

 力を引いて、イネアの剣を受け流す。

 とりあえずターゲットをエグリフと定め、時空魔法で一気に加速する。

 突然速くなった俺の動きに、遠くから『観戦』しているであろう奴の対処は一寸遅れた。

 奴の操るエグリフは、雷魔法で応戦する。

 その攻撃を見切って最小限の動きで避け、至近距離に踏み込んだ。

 腹部に手を押し当てて。

 悪いな。心の中で詫びた。


《気断掌》


 一撃必殺。衝撃が臓物をずたずたに破壊する。

 全身のありとあらゆる箇所から血を噴き出して、彼は物言わぬ死体になった。


『あと二人。くっくっく』

『何が可笑しい。いい加減出て来たらどうだ』

『ああ。望み通り出て来てやるとも。あとの二人も殺せばな』


 あと二人だ。戦いは楽になったが。これからが問題だった。 

 前方のアーガス、後方のイネア。

 どうする。どうすればこの状況を打破できる。二人を救える。考えろ。

 しかし、そんな都合の良い打開策は一向に見い出せなかった。

 奴の思惑通り、状況は膠着するばかりだ。俺が手を出せないのを楽しんでいる。

 迷いのまま、形ばかりの攻撃を仕掛けたとき。

 突然、イネアの動きがぴたりと止まる。


「うっ……!」


 慌てて剣を引き止め、引き下がる。

 危うく首を刎ねてしまうところだった。


『なんだ。せっかく殺しやすいように首を差し出してやったのにな』


 こ、の……!


「もういい……! 私を殺せ……! 殺してくれ!」

「オレもだ。命が惜しいとは思わねえ! これ以上何かしちまう前に、オレを止めてくれ……っ!」

「言うな。そんな頼みなんか……俺は、聞きたくない!」


 もうたくさんだ。たくさんなんだ。知り合った人間をこの手にかけるのは!

 くそ。くそ! どうしてだよ。

 さっきから何度も【支配】をかけ直そうとしているのに。オリジナルの方が強いのか。まったく効果がない!

 何度目か、イネアの剣が俺の肌を浅く傷付けた。


『おいおい。どうした小僧。随分動きに精彩がなくなっているじゃないか』


 黙れ。ゲス野郎。


「はあっ……はあっ……」


 このままでは、いずれ俺の体力が先に尽きてしまう。

 俺が殺されれば、結局は同じことだ。こいつがこの二人を無事に返すわけがない。

 どうすればいいんだ。どうすれば。


『……フン。どうやら思っていた以上に甘い奴らしいな。拍子抜けもいい所だ』


 やけに冷めたトーンだった。

 俺はぞっとするような予感を覚えた。


『なあ』

『もういい。飽きた』


 ――イネアとアーガスの瞳から、理性の光が消え失せた。


『おい。何を……』

『なあ。オレはな、最初から貴様ごとき簡単に始末できたのだよ』


 そんな御託は――


『なぜそうしなかったと思う? 呆気ないからさ』


 その言葉が終わった瞬間、イネアが目の前から消えていた。


「なっ!?」


 気が付くと。彼女は俺の背後に回り込み、肩に組み付いていた。

 なんて馬鹿力だ。がっちりと極められ、引き剥がすことができない!

 必死にもがく俺に、奴のほくそ笑む声が頭にガンガン響いた。

 目の前で、急激なエネルギーの高まりを感じる。異常な密度のそれに、恐怖すら覚えた。

 発生源の位置には、アーガスが――。


「あ、あ……」


 彼に異変が起きていた。

 指先から、彼の肉体がみるみるうちに溶け出していく。

 引き締まっていた筋肉質の身体は異様な赤みを帯び、表面から泡を立てて膨らみ始めた。

 おぞましく変わり果てていく人の姿に、見知った彼の姿に。

 自分の中の何かも、一緒に壊れていくような気がした。

 信じたくなかった。目の前の光景を。嘘だと思いたかった。


『体内に満ちる魔素を、すべてエネルギーへと変換する』


 やめろ。


『するとどうなる?』


 やめろ! それ以上は聞きたくない!


『人間爆弾の出来上がりというわけだ。核兵器にも匹敵するほどの威力さ』


 ついに顔まで醜く膨れ上がっていく。

 身体は変色し、赤身の混ざったグロテスクな緑色へと変じた。

 アーガスが、人でない「化け物」に変わっていく……!


『この距離だ。防ぐ術はない』

『やめろ! あいつを、これ以上!』

『聞くと思うか?』


 耳元で、泡の弾けるような音が聞こえた。


「イ、ネア……!?」


 自慢の金髪は焼け爛れて、丸く膨らんだ顔。

 抜け落ちて空洞になった目が、こちらをぎょろりと覗いていた。


「う、あ、あ……!」


 こんなこと……!

 こいつらは、いつだって。俺を。それが、こんな、こんな……!

 動けない! もがけばもがくほど、おびただしい熱を発するイネアが身体に食い込んで、この身を焦がしていく。


『お前っ! おまえっ……! 許さないぞ! 殺す! 殺してやるっ!』


 くそ! ちくしょう!


『じゃあな。小僧』


 アーガスの内側から、緑色の光が溢れ出す。

 それは、爆発的な勢いで広がり始め――。



「おおおおおおおおおおおおおおーーーーーーっ!」



 !



 ――世界から、音が消える。風が消える。


 時間停止魔法を発動させていた。無我夢中で「使ってしまった」奥の手だった。

 拘束がなくなったので、力任せに脱出する。

 同時に、溶け出していた彼女の腕も捥げてしまった。

 そうして、直視せざるを得なかった。

 イネアとアーガス「だったもの」。

 球状に膨れ上がった緑色の血肉の塊。エネルギーの塊。

 逃れられない現実が、そこにはあった。


「あ、あ……うああっ……!」


 耐え切れず、短い呻き声を漏らした。

 まただ。どうしてこうなるんだ。

 躊躇いが、最悪の結果を生んだ。

 ただ余計に苦しめて、見殺しにするだけになってしまった。

 あのときは、できたじゃないか。殺せたじゃないか。

 また同じことをするだけでよかったのに。

 それだけのことだったのに。


『イネア、アーガス……すまない』


 俺は――君たちを、助けられなかった。


 時間がない。この魔法で止めていられるのは、ほんの数秒程度。

 このまま放置すれば、俺ごとサークリスまで消し飛ぶ。それだけは。

 重力魔法を二人に向けて、使用する。

 遥か上空――サークリスへ爆発が及ぶ範囲の、確実に外へと弾き飛ばした。

 冷静にそれをやれてしまった自分に、薄ら寒いものを覚えながら。


「さようなら」


 やり切れない気分で、時間停止を解除しようとした。


 そのとき。



「ほう――時間停止を使えるのか」



 はっと気付いた瞬間、とてつもない衝撃を受けた。


 激しく地面に叩き付けられる音。

 その音を生み出したのが自分だと認識するのは、鈍い痛みが全身を隙間なく襲ってからだった。


「あ、あ、ぐ……!」

「ほらよ。約束通り出て来てやったぞ」


 奴の声が聞こえる。どこだ!?


「どうした。貴様の仇はここにいるぞ?」


 顔を上げると、やや離れた位置に俺を見下ろす奴の姿があった。


「が、があ……!」


 ちくしょう! 動けっ! 動けよ!


 意志とは裏腹に、身体はまったく付いていかない。

 全身の骨という骨が折れているようだ。

 たった一撃でこれか。実力差があり過ぎる。


 これじゃあ、この前と何も変わらないじゃないか!


「はっはっは! だから言ったではないか! オレと貴様では戦いにならないと!」


 ヴィッターヴァイツ! お前は、お前を……!

 許すものか。この手で……!

 歯を食いしばって、奴を睨み上げる。執念で腕を突き立てようとする。

 そんな俺を、奴は嘲笑っていた。


「実はオレもなあ。使えるんだよ」

「なに、が、だ……!」

「せっかくだ。身の程知らずに教えてやろう。さらなる【支配】の力を。格の違いというものをな」


 そして奴は、言った。


「《時空の支配者》」

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