28「狂気と混乱の支配する町」

 あたしはユウと別れて、すぐにおばさんの家に帰った。

 こんなときに、おばさんは外出中でいなかった。

 庭で羽を休めていたアルーンに、急いで事情を説明した。


「アルーン。空からおばさんを探して! あたしはミリアのところに!」


 賢いアルーンは任せろと頷いて、空へと飛び立っていった。

 ありがとう。頼んだわよ。


 そしてあたしは、ミリアの家に全速力で向かった。

 何の前触れもなく突然攻めてきた首都の軍隊。

 ユウはあの人たちがやって来た事情を知ってるみたいだけど……結局ほとんど何も話さずに行ってしまった。

 また。たった一人で。

 なによ。水臭いじゃないの。

 本当はそう言ってあげたかった。最後まで引き止めてあげたかった。

 あたしだって、力になりたかった。

 ユウが戦いではものすごく強いのは知ってる。

 でもだからって、何でも一人でやろうとするのはダメよ。ぜったい、ダメなのよ……。

 だって。あなたは孤独に耐えられるほど強くはないもの。

 それにもし耐えられたとしても、あなたにそんな強さは似合わない。

 最初はね。ちょっと怖かった。

 コロシアムの事件のときも。容赦なく敵を殺すあなたを見て、やっぱり怖いと思った。

 でもね。これだけ付き合ってたらわかるよ。

 ユウは……本当はとても繊細で、打たれ弱くて、優しい人。

 昔とてもひどいことがあったのかもしれない。それで素直になれないだけなのよ。

 さっきだって、あんなに心配してくれた。

 あなたに一人ぼっちなんて、これっぽっちも似合わないわ。

 だから、あのまま放っておいたらいけないような気がするの。一人にしたらいけない気がするの。

 嫌な胸騒ぎがして。ユウが本当に手の届かない所へ行ってしまいそうで。

 それが一番怖いの。


 ……あたしたちに、もっと頼ってくれればいいのに。


 確かに、一緒に肩を並べては戦えないかもしれない。

 でも、話すだけでもいいじゃない。吐き出すのだって大事よ。

 一緒に作戦を考えることだってできた。想いを分かち合うことだってできた。


 ねえ。友達って、そういうものでしょう!?

 バカ。ユウのバカ!

 そうよ。あたしたち、友達じゃないの!

 あなたは「知り合い」のつもりでも、もう立派な親友じゃないの! 違うの!?

 なのに。なのに……っ。

 あたしは、頼られなかった。頼りになれなかった。

 足手まといだから。


 ううん。きっとそれだけじゃない。

 もっと根本的な部分で、ユウは誰も心からは頼りにしていないんだ……。

 本当に辛いときに、誰にも頼れないなんて。

 そんなの、可哀想だよ。辛過ぎるよ。


 視界が潤んだ。涙が零れそうになる。

 いけない。こんなときに泣いてちゃ。

 首を振って気を紛らわせようとする。気持ちの整理が付かないまま、周りの様子を窺った。

 会う人会う人が、みんな大慌てで逃げてる。すっかりパニック状態ね。

 昨日まであんなに平和だったのに。何がどうしてこんなことになったのかしら。

 夢だったらよかったのにと思う。

 こんな事件なんかなくて。ユウと元気なミリアと、いつものように学園生活を過ごせたら。


 物思いに沈みながら、走っていたときだった。

 急に恐ろしいものを感じて、あたしは立ちすくんでしまった。

 向こうからとてつもない魔力を感じる。あまりに強大過ぎて、そう表現することしかできなかった。

 ラシール大平原とは反対の方向――ちょうど軍隊のいる場所。ユウが戦っているはずの場所!

 そんな。ユウ……!

 気が付くと、震えてその場から動けなくなっていた。


 町一帯を埋め尽くすほどの光の奔流が、こちらに真っ直ぐ向かってくる。

 あんなもの食らったら、みんなひとたまりもない。


「なによ……あれ……」


 ぽつりと口から言葉が漏れた。

 あまりに現実離れした光景に、自分が死にかけていることも、まるで他人事のように思えていた。


 でも――町を呑み込むはずの攻撃は、その手前で止まっていた。


 我に返る。

 ここからでもわかった。光と光が、ぶつかっている。

 何かが対抗しているんだわ。

 いや、そんなの一人しかいない。

 ユウが頑張ってるんだ。


 ユウ……!


 無力なあたしには、ただ祈ることしかできなかった。


 大きな影が、一、ニ、……、六――あれは、まさか、龍!?


 六頭もの龍が、同時に飛来してくる。まるでおとぎ話か何かのような光景だった。

 彼らは同時に、プレスを放った。

 拮抗が崩れる。

 突然、大爆発が起こった。地鳴りと轟音が耳をつんざく。

 そして、巨大な光の矢は。

 町から遠ざかるように空の彼方へと消えていった。

 再び、静寂が戻る。


 何が起こったの……? 助かったの? ユウは、無事なの?


 龍が次々と墜落していく。

 あたしは、吸い込まれるようにその光景を見つめていた。


 そのとき、近くで何かが割れる音がした。

 はっと地上に意識が向く。

 女性の悲鳴と、男の唸り声が聞こえてくる。

 一か所だけじゃない。あちこちで聞こえてくるわ。

 今度はなに。何なの!?

 次々と民家に火が付き始めた。もうみんなパニックになって、わけもわからず逃げ惑っている。

 人が襲われている。襲っているのは、同じ町の人。

 さっきまであたしたちと同じように震えていたはずの人たち。

 あたしまでどうにかなりそうだった。頭の中にぐるぐると思考が駆け巡って。わけがわからない。


「ねえ……おかしいよ。何がどうなって……どうしちゃったの、みんな!?」


 気付けば、大の男から女子供に至るまで、みんな狂ったように暴れ始めていた。

 暴れている人たちは、誰もが生気のない虚ろな表情を浮かべていて、とても正気には見えない。

 あたしはとにかく走り出した。足が逸る。


 ミリアは、無事なの!?


 途中、血まみれになった女性が、ふらふらとこちらに歩み寄ってきた。

 あたしの姿を見つけると、そこで倒れてしまう。

 彼女に屈み寄って、声をかけた。


「あなた! しっかりして!」

「た、助け……」


 目に涙を浮かべた女性は、もう事切れてしまった。

 女性の瞳をそっと閉じてあげる。

 泣き叫びたい気分だった。


 どうして。どうしてこんなことに。

 あたしたちが一体何をしたって言うの!?

 でも。何とかしなくちゃ。何とか……!


 立ち上がる。必死で何とかしてくれそうな人を探す。

 剣士隊や魔法隊の人たちなら、きっと力になってくれるはず。

 向こうに男の剣士が立っている。剣士隊の紋章。見つけたわ!


「兵隊さん! あっちの方で、突然人が暴れ出したの!」


 振り返った彼の顔を見たとき――寒気がした。


 この人も、正気じゃない!


 何か、きらりと先端が光ったような気がした。本能的に身を引く。


「きゃああっ!」


 何かが肩の肉を抉る感触。痛みより先に、熱さを感じた。

 生温かいものが流れ落ちる。あたしの血だった。

 前を見ると、抜き身の剣にべったりと血が纏わり付いている。

 ぞっとする。

 あとほんの少し身体を引くのが遅かったら。思いっ切り斬られていた。

 理性を失った兵士は、剣を上段に構え直して、振り下ろしてくる。殺す気よ。

 あたしは身も竦み上がりそうな恐怖を覚えながら、勇気を振り絞って魔法を構えた。


「ごめんなさい!」


 轟け。雷鳴よ。


《デルシング》


 両手から、一対の雷撃を飛ばす。

 とにかく速度に優れた雷魔法は、見事相手に命中し、痺れさせた。

 相手はびくんと痙攣して、その場に倒れ込んだ。


「はあ……はあ……」


 斬られた肩を確かめつつ、乱れた息を必死に整える。

 傷はそんなに深くないわ。

 でもまさか。兵隊さんまで……。

 絶望的な気分になる。

 もしかして、もうまともな味方はいないのかな。

 とにかく。くよくよしてはいられない。

 その場を後にしようとしたとき、いきなり背後から掴まれた。


 壁――


 頭から、家の壁に乱暴に叩き付けられる。


 誰……!?


 確かめる間もなく、何度も何度も壁に擦り付けられた。

 そして胸倉を掴み上げられる。


「あっ……あっ……」


 顔が合った。倒したはずの兵士。

 口から泡を吹いた状態で、こちらに白目を剥けている。


 あなたは、確かに……どうして!?


 息が、できない。


 なんて、馬鹿力……! 普通じゃない……!


 必死でじたばたする。掴む手を外そうとしても、がっちり喉に食い込んで、外せなかった。


 くる、しい。ダメ……殺される。

 助け――


 心が折れそうになっていた、そのとき。

 今も必死になって戦っているユウの顔が浮かんだ。ミリアの顔が浮かんだ。

 ここであたしが死ねば。きっと二人はすごく悲しむ。

 そんなこと。許せるわけ、ない!


 こ、の! 舐めんじゃ、ないわよ……!


 無駄にもがくのは止め、両腕に目一杯魔力を集中する。

 正気を失っている相手は、高まる魔力に一切気付いていない。

 男の両耳に掌を押し当て、雷魔法を直接頭に叩き込んだ。

 どんなにタフだって、頭に直接ダメージを食らえば動けなくなるのは道理。

 男は全身を痙攣させて、今度こそ動けなくなった。


 九死に一生を得たあたしは、その場にへたり込んでしまった。

 頭がくらくらする。お気に入りの服は肩から切り裂かれて、滅茶苦茶に乱れていた。

 少しだけ落ち着くと、激しい痛みが襲ってきた。

 自分を斬り付けた剣が近くに落ちていたので、それを杖代わりにして、何とか立ち上がる。


「こんなの……」


 こんなの、絶対納得いかないわ。許せない。

 あたしの大好きな町を。みんなを、めちゃくちゃにして。

 誰なのよ。こんなことをしてくれたのは。誰なのよ!

 大きく息を吸い込んだ。

 弱音を吐いてしまいそうな自分の心。

 泣いてしまいそうな心を奮い立たせるように、叫んだ。


「あたしは、負けないわよ! 負けるもんですか!」


 生きてやる。みんなで生き延びて、ユウにも帰る場所を作ってあげるんだ。

 思いっ切り叫んだら、不思議と心が落ち着いた。決意が固まった。

 まずはおばさんとミリアたちを連れて逃げなくちゃ! 急いで!


「そこ! 塞いでんじゃないわよー!」


 雷魔法を連発して、暴徒と化した民衆を強引に突破していく。

 一番得意なのは火魔法だけど、いま町がこんなに燃えているときに使う気にはなれなかった。

 貴族街に差し掛かると、道路が舗装されたものに変わる。歩道に設置された電灯も華美なものになった。

 ここも混乱に満ちていた。一部の人たちが正気を失って、逃げ惑う阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。

 あたしは申し訳ないと思いながら、立ちはだかる人たちを死なない程度に蹴散らして、真っ直ぐに彼女の元へ走った。

 ミリア。もう少しよ。一緒に逃げましょう。

 こんなことした奴に、きつい一発をかましてやるの。


 そして、彼女の家のある場所が見えたとき――。


 あたしを辛うじて支えていた決意が、崩れ落ちた。

 だって。だって……っ!


 ミリアの家が、炎上していたの。


「うそ、でしょ?」


 燃えてる。ああ。彼女の家が、燃えてる。

 嘘よ。こんなの嘘よ。嘘に決まってる。


「ミリア! 姿を見せて! ミリア!」


 出て来てよ。お願いよ!

 反応は返ってこなかった。

 代わりに返ってきたのは、バキバキと音を立てて、天井が崩れ落ちる音だった。


「ミリア! あたしはここよ! ここだよ! 一緒に、逃げようよっ……! ねえっ!」


 何も反応はない。考えられるのは、最悪の予想ばかりだった。

 いや。いやよ! そんなのいや!


「ミリアーーーーーーっ!」

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