8「ユウ、魔法図書館に行く」

 男子寮は三階建てで、隣の女子寮より随分汚くぼろっちく見えた。

 それは気のせいではなく、管理人に中を案内されてみればさらに差は歴然だった。

 どうなってるんだ。この格差は。

 それとなく管理人に聞いてみると、近年は女子学生の勧誘に力を入れているから、女子には修学しやすい環境を整えたということらしい。

 女子寮は、男子寮にはないカードキーでセキュリティは万全。内部にはサウナ、薬湯付きの浴場(男子寮はただの銭湯)、マッサージチェア付きのリラクゼーションルーム(男子寮にそんなものはない)と至れり尽くせりだそうだ。

 ああ。日本でもそういう取り組みがあった気がする。男子涙目。

 まあ路上で寝るのに比べたら随分とましだ。問題はない。

 寮では普通二人一部屋で生活することになっているが、俺は特別に一人部屋にしてもらえたようだった。

 イネアが何か口添えしたのかもしれない。相手を気にせず好きなことができるから、気が楽と言えば楽か。

 とりあえず荷物を置いて、目的の魔法図書館に向かう。


 途中、近くを歩いていた男性の声に呼び止められた。


「君。見かけない顔だけど、新入生かな」


 振り返れば、青い髪をした講師風の中年男性が、こちらへ柔らかく微笑みかけていた。

 人当たりの良さそうな、穏やかな顔つきをした人だ。

 見た目は。

 だが、こいつ……。


「こちらで学ぶことになった。ユウだ」

「ユウ君ね――あー、名前を聞いたことがあると思ったら。特別合格した子だったかな。君は」


 彼は得心がいったようにふむ、と頷いた。


「ああ」

「私はトール・ギエフだよ。魔法考古学を研究している。講義は魔法史を担当しているよ」

「魔法史か」

「うむ。それで君、試験が免除という話だったけど。学力の方は大丈夫かい。私の講義は厳しいよ?」


 実際講師だった彼は、少しからかうような調子でそう言った。

 彼のそんなフレンドリーな態度に応じることなく、俺は素気なく言葉を返した。


「問題ない。しっかり勉強するつもりだ」

「ほう。そうかい。まあ、期待しているよ。では失礼するよ」


 彼は軽くお辞儀をすると、正門を抜けて足早にどこかへと行ってしまった。

 あいつが魔法史の先生か。胡散臭い野郎だ。

 取って張り付けたような笑顔。その裏にどす黒い醜さと悪意のようなものを感じる。

 素直な奴なら騙されそうなところだが、心が多少読める俺には通用しない。

 あの手合いは、信用しない方がいいな。



 ***



 さて、魔法図書館に着いた。

 広大なフロア一杯にずらりと並ぶ蔵書に、気分が高揚してくるのを感じていた。

 さすが市内最大の魔法図書館だ。

 俺には完全記憶能力がある。これほど膨大な魔法の知識を得ることができれば、どれほどの力になることだろうか。

 とりあえず片っ端から読んでいくか。

 端の一冊から手に取り、素早くパラパラと紙をめくっていく。

 能力が目覚めてからというもの、何かを覚えるにはそれで十分だった。


 魔法には、火、雷、水、風、土、氷、光、闇。代表的な八つの属性があるという。

 これに時空魔法を加えて、俗に九大属性と言われている。

 うち時空魔法と光魔法は、現在はほぼ失われてしまっているロスト・マジックの二大系統らしい。

 どちらも共通した構成の難しさがあり、復元しようと研究が進められているようだ。

 あのトール・ギエフという教授は、ロスト・マジック研究においては結構名の知れた研究者ということがわかった。著書もいくつか出ている。「共に行こう。自由の空へ」が研究所のキャッチコピーだった。

 それから、魔法にはレベルがあり、初等、中位、上位、超上位の四レベルに分かれている。

 例えば火魔法であれば、初等の《ボルク》、中位の《ボルクナ》、上位の《ボルアーク》と言った具合だ。

 超上位魔法だけ、まだ載っている本が見つからないが、失われた魔法大国エデルには数多く存在していたとされている。


 一列分の棚にあるだけの本の内容をすべて覚えた辺りで、いつの間にか日が暮れかけていることに気付いた。

 アリスを心配させてもいけないし、そろそろ帰ろうか。

 本を戻そうとしたとき、他の人と手がぶつかった。


「あっ……」

「おっと。すまない」


 相手と目が合う。可愛らしい顔をした、銀髪の女の子だった。

 ただ何だろう。どこか自信がないというか、おどおどした印象を受ける。


「え、と……」


 彼女は何か言いたげに、俺の顔と胸元の間でふらふらと視線を彷徨わせている。

 しかし中々言葉が出て来ないようだ。


「どうした。何か言いたいことでもあるのか」

「ひっ……すみ、ません……っ!」


 彼女は俺に背を向けて、


「あ、おい」


 そのまま振り返ることなく、足早で逃げるように向こうへ行ってしまった。


 ……何なんだ。いったい。



 ***



 家に帰ると、アリスが明るい笑顔で出迎えてくれた。


「おかえり。どうだった?」

「まあまあかな。男子寮なんかより、女子寮の方がずっと立派そうだったよ」

「あらまあ。それは楽しみね」


 彼女はそれを聞いて、機嫌が良さそうである。


「そうそう。ご飯できてるわよ。イネアさんも食べてくって」

「その様子だと結構仲良くなったみたいだな」

「えへへ。まあねー」


 今日はたまたまおばさんの仕事が夜遅くなるようで、夕食の食卓には俺とアリスとイネアの三人だけが並んだ。

 アリスとイネアが隣同士で、俺がテーブルを挟んで向かいという配置だ。

 食事中、イネアが尋ねてきた。


「魔法図書館はどうだった。ユウ」

「中々素晴らしかった。しばらくは通い詰めだろうな」

「そうか。お前ならきっとすぐものにしてしまうだろうさ」

「かもな。ただ、本に書かれている知識というのにも限度はある」


 超上位魔法やロスト・マジックに関する情報が少なかった。

 あそこの本は、あくまで使い古された一般的な知識が集積されているものに過ぎない。

 そこにないものは、個々人などから別に習得するしかない。例えば。


「そうだ。イネア先生。今度転移魔法を教えてくれないか。本でそういうのがあると見た」

「ふうん。そんなものがあるのね」


 興味があるのか、アリスが食いつく。

 転移魔法とは、遠く離れた二地点を特殊な魔力のマーキングで結び、一瞬にして移動できる強力な時空魔法だ。

 覚えておけば絶対役に立つ魔法であることは間違いない。


「あれは我々ネスラの固有魔法で、お前には……と言いたいところだが、お前ならすぐ身に付けかねんな」

「教えてくれ」

「……嫌だと言っても、どうせあの手この手で使わせようとするんだろう?」


 うんざりした顔でイネアが目を細める。

 こちらは表情を変えずに見つめ返すと、彼女は呆れたように溜め息を吐いた。


「はあ。わかった。今度見せてやる」

「感謝する」

「しかしだ。一つ聞きたい。なぜそこまで、貪欲に強さにこだわる?」

「当たり前だろう。力がなくては、ろくに自由に生きることもできない。大切なものも、人も守れない」

「大切な人?」


 アリスが真剣な顔で尋ねてくる。

 俺は首を横に振った。


「もういない。過ぎた話だ」

「それって、どういうことなの?」


 アリスの顔色が不安気に染まる。

 俺は答えた。


「殺した」

「えっ……?」

「両親も親戚も親友も、みんな――俺が殺した」


 力が足りなかったために。力を制御できなかったがために。

 すべて、この手で。殺すことになった。

 アリスもイネアも、あまりのことに言葉を失ってしまったようだ。血の気の引いた顔でこちらを見つめている。

 それはそうだよな。いきなりこんな話をしたら大体そうなる。


「悪い。飯がまずくなったな。席を外す。二人でゆっくり食べていてくれ」

「ちょっと待って! あなた……」

「事情なら聞くぞ。話してみろ」

「言っただろう。過ぎた話だ。一度過ぎた時間が戻ることはない」


 どんなに願ったところで、亡くなった人が蘇るわけじゃない。

 地球でまた一緒に暮らせるわけもない。

 席を立ち上がる。去り際に俺は言った。


「あまり俺の事情に関わらない方がいい。きっとろくなことがない」


 昔からそうだ。

 親しくなった人ほど。大切な人ほど、あっけなく死んでいく。不幸が起きる。

 そういう運命の下に生まれてきたのかもしれないとすら思い始めている。

 お前たちはお人好しだ。

 俺にはわかる。お前たちが持つ心の温かさが。

 ほとんど見ず知らずの俺をそこまで親身に考えてくれる人間は、そうそういるものじゃない。

 地球の人間は、どいつもこいつも。

 俺を利用しようとするか、恐れるか、馬鹿にしようとする連中ばかりだった。

 だから、あまり関わるな。俺なんかに深入りするな。

 その方が幸せだ。きっとな。


「ユウ……」


 二人の浮かない顔を一瞥して、俺はリビングを出た。


 何となく気分が浮かない。そのまま家を出て、郊外へ向かう。

 人気のない場所で、深夜までずっと、覚えた魔法の訓練に打ち込んだ。

 知識として知っているのと実際に使うのとでは、やはり色々と勝手が変わってくる。使用感覚を掴むための訓練だった。

 というのは建前で、とにかく体を動かしてすっきりしたかったのだ。


 ――また嫌なことを、思い返してしまったな。



 ***



 忘れもしないあの日。大雨の日だった。


『おかあさん、どうして……?』


 俺と母さんは、向かい合っていた。

 高速道路の上。なぜそんな場所にいたのか、自分でもわからない。

 母さんは、傷だらけだった。血まみれだった。


『どうして……おれに、じゅうをむけるの……?』


 そして俺は、母さんを殺した。

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