3「ディースナトゥラ最大厳戒態勢」

 この男が、中央工場と中央処理場を完膚なきまでに破壊し尽くしてから、そう時間はかからなかった。

 街中にけたたましいサイレンが鳴り響く。

 ユウは眉一つ動かさずに、淡々と事実を尋ねてきた。

 答えなければ殺すと言わんばかりの威圧は、いつでもこちらに向けられたままだ。


「何が起きている」


 とてもではないが、普通なら直視できるものではない。怯え上がって声も出ないところだ。

 だがどういうわけか、わたしはまだ彼と話せていた。

 命知らずにも、叱り声さえ上げて。


「お前がいきなり滅茶苦茶なことをするからだ! おそらくディースナトゥラは最大厳戒態勢に入った。わたしにもどうなるかわからんぞ!」

「管理系統はあのざまだ。どこが鳴らしている」

「わからない。ディークラン辺りが指揮を執っているのではないか」


 言いつつ、わたしの脳裏には疑念があった。

 ディークランは巨大だが、あくまで一警察組織に過ぎない。

 最大厳戒態勢への移行のような、都市全体を管掌する機構は果たしてあっただろうか。


「なら、ディークランはどこだ」


 あくまでユウの声に感情はない。極めて冷徹に話を進めてくる。

 しかし、今の言葉の意味するところは。まさか。

 答えたくなかった。答えれば、この男は……。

 無言の圧力がわたしを締め上げる。

 言わなければ、もっとひどいことになる。確信的な予感があった。

 だが、言えば……。

 どうすれば。どうしようもない……。

 随分長い間、苦しいと錯覚する気分だった。

 実際、時間にして数秒もなかっただろう。

 とうとう、わたしの心は折れた。


「中央工場の付近にある……光線銃のマークが目印の、大きな建物だ」

「あれか」


 ユウは本部の建物を一瞥すると、無感動にそこへ向けて手をかざした。

 見下ろせば、屋上ではパトカーが出動に向けて空へ飛び出そうとしている。

 彼の指先に、わずかに力がこもった。

 やはり撃つつもりだ! 間違いなく、本部を跡形もなく消し去る一撃を……!

 ステアゴル。ジード。トラニティ。ザックレイ。ブリンダ。

 騙されていた可能性はあるが……プラトー。

 ディーレバッツ。仲間たちの顔が瞬時に脳裏を過ぎる。

 やめてくれ。

 まだ、あいつらが中にいるかもしれないのだ。

 それにディークランの連中。確実にまだたくさん残っている。

 お前がほんの少し力を込めるだけで。それだけで、皆が殺されてしまう!

 たまらなかった。

 身体が勝手に動いて、強くユウの腕を掴んでいた。

 後生だ。それだけは……!


「待ってくれ!」

「なんだ」

「あそこには、わたしの仲間がいるのだ! 頼む。やめてくれ……!」

「俺がお前の頼みを聞き入れる必要が、どこにある」


 暗く塗り潰された人ならざる者の瞳が。身を凍て付かせる恐怖の根源が。

 ただわたしにのみ向けられた。

 それだけで。ああ。なんて恐ろしい。

 勇んだ心が萎えてしまいそうになる。

 だが、ダメだ。挫けるな。

 ここでわたしが負ければ……! みんなが……!


「お願いだ……! わたしは……っ……何でもしよう! この身のすべてだって捧げよう。だから……!」


 自分でも何を言っているのかわからない。

 それほどに必死だった。

 この人が止まるのなら。いくらでも。何だって。

 それに……ユウ。

 お前なら話が通じるはずだ。先ほどまで、ちゃんと話に応じてくれたではないか。

 祈りにも似た想いは。

 しかしいかほども、この男の心を動かしたようには見えなかった。

 ただわずかに睨みだけが強まって、わたしの意識を雁字搦めに捕えてしまう。


「いいか。忘れるなよ。俺はいつでもお前を好きにできるんだ」


 聞き分けの悪い者へ諭すように、淡々と自明な事実を告げてくる。


「取引というものは、対価があって初めて成立する。お前のそれは、対価とは言わない」

「……くっ。頼む……お願いだ……! かけがえのない、仲間なんだ……!」


 それでも。引き下がれない。なりふり構わなかった。

 惨めだった。

 みんなを助けられるなら。わたしはどうなっても構わない。

 これほどの覚悟さえ、何の意味もないのか……?


 ――何の意味もないのだ。


 事実として、この男の言う通りだった。

 ユウは。この男は……わたしの、思い違いだったのか?

 やはりわたしを生かしたのは、戯れに過ぎなかったのか。

 話は、通じないのか……?

 いつまでも返答は来ない。

 絶望的な気分が、心を塗り潰していく。

 あらゆるものの時が凍り付いて、拷問のような時間が永遠に続くかのようだった。

 耐え難い責め苦。痛みにも似た感覚が胸を抉る。

 この場のすべてを握る破壊の神の審判は。

 果たして下された。


「……いいだろう。お前の覚悟に免じて、手加減してやる」

「ユウ……!」

「みっともなく泣くな。迷惑だ」


 わたしはナトゥラだ。

 決して涙など出ない。泣くための機能がない。

 しかしユウは、今のわたしを見つめて。なぜかこのように評したのだった。


「少し――意地悪だったな」


 ほっとして。全身の力が抜けていく。

 ぐったりする感覚が、はっきりとわかった。

 ユウに掴まれていなければ、もはや自力で立つこともできないだろう。

 彼はもう、わたしを見なかった。

 再度手をかざす。見た目は何も変わったように思われない。

 先ほどの凄まじい攻撃の記憶がこびりついて、どうしても脳裏から離れない。

 やはり怖くなる。何をするつもりなのだ。

 だがそこでユウは。一度構えていた手を、戻した。

 何かを考えながら辺りを見回して。呟く。


「どうやら、一般のナトゥラまで駆り出されているようだが」

「……な!?」


 何だと。そのようなことが……!?


 言われて注意を地に向ければ。そこは暴徒と化した民衆で溢れかえっていた。

 傍目から見ても、とても正気とは思えない。明らかにおかしい。


「何なのだ。あれは……」


 言葉を失う。わけがわからなかった。

 まさか。ディースナトゥラ厳戒態勢とは。

 無辜の民すらも、使い捨てのように利用するものだというのか……!?

 思い至って、たちまち全身のオイルが沸騰しそうになった。

 何を考えているのだ。このシステムを創った奴は!

 熱く膨れ上がった激情は、しかしユウの一言で冷やされる。


「リルナ。俺にしがみついていろ。すぐ終わる」


 有無を言わせぬ迫力に、従わぬ道理はなかった。

 わたしは全身を使って、ただユウにしがみついていた。

 彼は物言わず、静かに気合いを入れる。

 大気が震える。ビリビリと伝わってくる。

 なんと凄まじい生命反応か。


 百万……千万……五千万……まだ上がる!

 レーダーがオーバフローして、いかれてしまいそうだ!


 次の瞬間。

 ユウの全身から、異次元に高められた生命波動が――全方位に向かって解き放たれる。

 性質として、わたしの《フレイザー》による全方位射撃に少しだけ似ていた。

 しかし、レベルが――規模が、圧倒的に違う!

 空から、建物から、地下へ。

 都市のあらゆる場所を逃げ場なく、丸ごと包み込むように。

 生命波動は、恐るべき速度で侵襲していった。

 そうして、彼の発するエネルギーに触れたすべての者は――。

 まるで感電でもしたかのように、たちまち制御を失い。何が起こったかもわからぬまま、次々と倒れていく。

 逃れられる者などいない。

 波動はディースナトゥラのあらゆる箇所を侵し尽くし、そして何もなかったように消えた。

 すべてが終わるまで、コンマ数秒もかからなかった。

 まさに一瞬の出来事。わたしが知覚できるギリギリの時間。

 たったそれだけで、事は済んでいた。


 無音の街。

 もはやディースナトゥラという都市に、立ち上がるナトゥラは一体たりとも存在しなかった。

 数千万は下らない我が都市の民が、一瞬で。

 年端もいかぬ姿の、この男が。

 改めてぞっとする。

 しかし、今は味方……なのか?

 少なくとも敵ではない。それだけが心の支えだった。


「今度こそ終わったか」

「……そのよう、だな」


 滅茶苦茶だ。道理も無理もない。

 どうにでもなってしまえという投げやりな気分に陥りそうだった。

 いかん。気をしっかり持たねば。


 そのときだった。

 大気を裂いて、青い一筋の光線が。

 ユウの胸目掛けて、飛び込んでくる。


 だがまるで意味がなかった。

 彼の体表に到達するより前に、ビームは綺麗さっぱり掻き消えてしまう。

 そいつの飛んできた方を見やる。

 空飛ぶ水色のオープンカーが、遠方より最大速度で迫って来る。

 あれは――わたしの車ではないか。

 右腕のビームライフルを構え、シートに仁王立ちするナトゥラの影。

 見間違えようもなかった。


「貴様! リルナを……放せ!」

「プラトーッ!」


 なぜだ。お前は百機議会と結託して、わたしを裏切っていたのではないのか!?

 十分混乱していた頭に、さらに追い打ちがかけられる。

 誰か。誰でもいい。事情をわかりやすく説明してくれないか。


「また新手か。いい加減しつこいな。次は何だ」


 まずい。ユウは――殺す気だ。

 何もかもわからないが。

 とにかく事実として、今プラトーはわたしを助けようとしている。

 今はそれで十分だ。死なせたくない!

 わたしは、あらん限り声を張り上げていた。


「プラトー! よせっ! わたしは大丈夫だ! ユウはっ! こいつは、お前の勝てるような相手じゃない!」

「そんなことなど、百も承知だ……! だが、大切なお前を……知らん男に預けておくわけにはいくまい……!」

「やめるんだ! プラトー!」


 決死の覚悟のプラトーと、必死の説得を続けるわたし。

 ユウはそのどちらもまったく意に介さず、ただ冷静に事実を観察していた。


「なるほどな。技の出力を弱め過ぎたか。お前もリルナと同じ、特別製というわけだ」

「そうだとも。ユウと言ったな……! 貴様、とんでもないことをしてくれた……! バラギオンが動き出すぞ……!」


 バラギオンだと!? なんだそれは!?

 矢継ぎ早に新事実が飛び出してきて、驚きの止む暇もない。

 一方のユウは、余裕綽々に口の端を吊り上げてみせた。


「へえ。お前、何やらかなり事情を知っていそうな様子じゃないか」

「待て! ユウッ!」


 制止の言葉など、この男は耳を貸さなかった。

 あくまでわたしを掴んだままだ。

 プラトーの目の前へ瞬間移動したユウは――そうだとしか表現のしようがない。

 彼のメインウェポンたる、ビームライフルもろとも。


 右腕を――粉々に吹き飛ばしていた。


 そうして戦う力を奪ってから、淡々と。

 しかしやけに耳にこびりつく冷たい声で。

 全身を戦慄かせるプラトーに向かって、告げた。


「なあ。少し――俺に事情を話してくれないか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る