22「その男、ヴィッターヴァイツ」

 次の日、カルラと別れた俺は議会所へ向かった。

 彼女にはまた何か用があれば通信機で連絡を取ると言ってある。

 門の前に着くと、前回と同様コクランに応接間まで案内された。


「お前、あのメモ書きはちゃんと渡したんだろうな」


 あの後まったく音沙汰がなかったからな。

 無視された可能性が高いが、もしやと思って尋ねてみた。


「メモ書き……ああ、渡したよ」


 薄い笑みを浮かべた彼からは、まるで感情というものが感じられなかった。

 なんだこいつ。前はもっと人間味があったはずだが。気味が悪い。

 応接間の前に、首相が立っていた。

 彼は俺に向かって深々と頭を下げる。俺も軽く一礼を返しておく。

 首相はすっかり様子が変わってしまったコクランと違って、普通の人間のようだ。

 ただ、以前ふくよかだった顔は肉付きが落ちて、げっそりしたように見える。


「随分やつれたな」

「近頃は執務が忙しくてね」


 嘘なのは明らかだった。

 首相の内心はひどく怯えている。それに、この国を守らねばという危機感が透けて見える。

 その原因が、奥にいるのか。


「あなたに一度お会いしたいという方がいらっしゃるのですよ」


 いよいよだな。さて何が出て来る。

 コクランがドアをノックし、彼の手によって開けられた。

 首相とコクランの二人は黙って引き下がる。

 あとは俺たちだけで話せということか。いいだろう。


「入るぞ」


 応接間の奥、眺めの良い窓を背景に、いかつい金髪の男が立っていた。

 彼を視界に捉えた途端、全身が強張るのを感じた。

 油断してはならない相手だと、直感が告げている。


「貴様がユウ・ホシミだな」

「そうだ」


 彼は俺に歩み寄ると、しげしげと見下ろして顔つきを観察した。

 近くに来てみると、随分でかい図体だな。俺より二回りは背が高い。


「なるほど。中々良い目をしている。人を殺すことに躊躇がない、そんな目だ」

「お前も人のことは言えないだろう」


 一目でわかった。この男も人殺しの目をしている。

 目的のためならどんな手段だろうと躊躇しない。そういう人間だと。

 金髪の男は愉快そうに笑った。


「生意気な小僧だ。気に入ったぞ。オレの名はヴィッターヴァイツ。フェバルだ」


 フェバルだと。

 ならこの男は、俺と同じ――化け物ということか。

 彼の言葉を疑う理由はなかった。

 今この身にひしひしと感じているプレッシャーが、彼の実力がただならぬことを言わずとも証明していたからだ。

 こいつは厄介だぞ。フェバルのいかれた力は、俺自身が一番よくわかっている。

 敵に回る可能性が高い以上、軽々に手の内を明かすべきではないな。

 そう考えて、俺はあえてとぼけた振りをした。


「フェバルというのはなんだ」


 ヴィッターヴァイツの眉が、ぴくりと動く。


「ほう。てっきり貴様もそうだと思っていたが。固有能力はあるか。言ってみろ」

「固有能力? 何のことかさっぱりだな」


 あくまで知らない体を通すと、相手はすんなりと信じたようだった。

 アリスたちの前だと調子が狂うだけで、こういうときの演技は上手いのだ。


「くっくっく。なるほど。当てが外れたかな。道理でフェバルにしては弱っちいと思ったぞ」


 弱っちい?

 聞き捨てならない言葉だった。

 これでも、この世界にいる他の連中を片手で下せるほどの実力は身に付けてきた。

 それでも弱いというのか。この男は。

 すると、ヴィッターヴァイツはにやりとほくそ笑み。俺に向けて手をかざした。

 ぞくりと、全身に悪寒が走る。

 頭の中に嫌な感情が流れ込んで、満ちていく。従えと。

 力が抜けていく。どんどん身体の自由が効かなくなっていくような空寒い感覚があった。

 この誘惑に耳を傾けてはまずい。耐えろ。

 必死になって抗っていると、突然頭が楽になった。

 前を見ると、奴はもう手をかざしてはいなかった。興味深そうに俺を見据えている。


「ほう。オレの【支配】が効かんか。どうやらただの人間というわけでもないらしいな」


 支配。

 もしや、それがこいつのフェバルとしての能力なのか?

 奴は独り言を呟くように続ける。


「しかし、星級生命体ではないのは明らかだ。ならば、突然変異――異常生命体か」


 星級生命体に、異常生命体。知らない単語が出てきたな。

 奴は勝手に一人で納得して頷いた。


「まあいずれにせよ、どうでもいい。殺しても死ななければフェバル。死ねば他の二つのどちらかということだ」


 不敵な笑みを浮かべた奴に、俺は戦慄した。

 やばいぞこいつ。殺すことに躊躇がないというレベルじゃない。むしろ楽しんでやがる。


「小僧。手短に聞こう。オレの手駒になる気はないか」

「手駒だって?」

「ああ。オレは退屈なんだ」


 それまでの楽しそうなテンションとは打って変わって、奴は心底つまらなさそうな真顔になった。


「異世界を気ままにさすらい。好きな物を食い。好きな女を抱き。好きな奴を殺し。好きなものを壊し。好きなものを支配する」

「…………」

「そのくらいしか楽しみがなくてなあ。どうだ? 貴様にも楽しみ方を教えてやってもいいぞ」


 心を読み取るに、どうやら本心からの誘いのようだった。

 ただし、暇潰し程度のものでしかないだろうが。

 大方この首都の中枢部も、自分の快楽のために支配しているのだろう。

 あくまで自分が上に立ち、世界を支配することを渇望していたトール。

 奴と違い、こいつは本心では世界もそこに住む人々も何とも思っていない。

 この男の支配は、何の目的も執着もない分、なおさらたちが悪い。

 こんな破壊的快楽者の下に付くなんてのは反吐が出る。死んでもごめんだ。

 つまり俺の返答は、最初から決まっていた。


「断る。俺は誰かの下に付く趣味はないんでね」

「そう言うと思ったぞ。ふはは。中々どうして若いじゃないか」


 愉快に高笑いを上げるヴィッターヴァイツ。


「だが」


 彼の笑いがぴたりと止まる。

 突然、息が止まるほどの激痛が腹部を襲った。

 腹に奴の拳がめり込んでいると認識できたのは、数瞬遅れてのことだった。


「お、お……」

「口の利き方には気を付けることだな。小僧」


 なん、だ……この、途轍もなく重い拳は……!

 立つことができない。

 その場に膝をつき、込み上げてくるものを吐き出した。


「うっ! ごぼっ! おええっ!」


 吐瀉物に混じって、大量の血がまき散らされる。内臓をやられたらしい。


「お前ごとき、その気になれば一瞬で殺せる。オレとお前は、対等ではない。よく覚えておくことだ」


 苦しんでいるところ、胸倉を掴み上げられる。

 目の前に、俺を冷たく睨み付ける奴の顔が映った。


「くっ……!」


 全身がわなわなと震え出すのを、抑えることができなかった。

 馬鹿な。この俺が、震えているのか……?


「ついでだ。もう一つ聞こう。究極の時空魔法《クロルエンダー》を知っているか」

「そんなもの、知るかよ……!」

「あくまでとぼけるつもりだな。時を超える魔法。この世界にあると知ってわざわざやってきたのだ。オレの予想では、昔滅びたというエデルにあるのではないかと睨んでいるのだが。どうだ」


 こちらの心を抉るように、氷の瞳が覗き込んでくる。 

 まずいぞ。敵が予想より遥かに上だった。

 もし本当にそんな魔法があれば。こんな奴に、もし時を超える魔法なんて渡ったら――。

 滅茶苦茶だ。誰にも止められなくなるぞ……!


「あくまでしらを切る気か」


 ヴィッターヴァイツは、不機嫌なしかめ面をした。


「ぶっ……!」


 気付けば再度、腹に拳がめり込んでいた。

 息が、できない。

 何度も執拗に腹を殴り付けてくる。全身が痛みに悲鳴を上げ、口の中は生臭い血が一杯に広がっていた。

 俺は昔、拷問を受けたときのことを思い出していた。

 こういうときは、情けない絶叫を上げないように耐えることだ。もしそれをすれば、敵は面白がって余計に嗜虐的になるだけだからだ。

 この野郎……殺さず気絶させない程度の痛めつけ方を心得ている。

 よくわかった。

 こいつは、絶対に生かしておいてはいけない奴だ。

 この世界に災厄を生む敵だ。

 殺す。殺さなくてはならない。

 左手に気剣を作り出す。一瞬で、白から鮮やかな青白色へと変わった。


《センクレイズ》!


 だが、油断して隙だらけのはずの首筋に叩き込んだ渾身の一撃は。

 首の皮一枚傷付けることはなかった。

 余裕の笑みを見せる奴に、俺は愕然とした。


「それが、貴様の返答というわけだな?」


 頭から乱暴に、壁へ叩き付けられる。

 激しい音を立てて壁が崩れ、俺は隣の部屋の床を転がっていた。

 くらくらする頭を押さえて。すぐに跳ね起き、戦闘態勢へと移る。

 視界を血が真っ赤に濡らしていた。かなりのダメージを受けてしまっている。

 気剣を両手で構え、正面にいるはずの敵の姿を捉えようと――

 奴が――いない――!?


「本当に生意気な奴だ。ますます気に入ったぞ」


 後ろ――


「また返答を聞こう。よく考え直すといい――もし、生きていればな」


 馬鹿にするような嘲笑を、視界の端に捉えた直後。

 腹の中心に、穴が空いたような凄まじい衝撃を受けた。

 視界が、目まぐるしく回る。何度も全身を激しい痛みが打った。


 なに、が――

 俺、蹴られて――吹っ飛んで――


 わけがわからなかった。

 このまま身を任せてしまえばいいと、どこか突き放した頭の中の声が囁く。

 死に直結する、恐ろしいまでの浮遊感。


 エメラルドの、空――なぜ、空が――


 首都――街並みが、遠ざかっていく――


 やがて、激しく地面を削る音。

 身体が幾度も何かを突き破っていく衝撃と音がして。

 全身を滅多打ちにされていた。


 ――う――ここは……どこだ……?


 木……森……。


 そうだ。オーリル大森林。


 そんなはずが、あるものか。

 理性が否定しかけたが、かすかに感じる森の匂いに、俺の心はここがそうだと理解していた。


「ふ、くっく……」


 絶望的な調子で、苦笑が漏れる。

 なんて、ことだ。

 首都からこの森まで。一体何キロあると、思ってんだよ……。

 これが、フェバルの……奴らの、強さなのか……。


 身体が、動かない。

 痛みすら感じなかった。

 むしろこのまま、眠ってしまいたくなるような心地良さが。

 生暖かい。血。

 血が流れ落ちていく感覚。

 そうだ。身体は、どうなってる……。

 枝が、突き刺さって。穴が開いている。

 まるで他人事のように、大きく穴の開いた肩を見つめていた。

 まずい。目が霞んできた。


「ちくしょう。やってくれた、な……」


 寒い。血が、抜けていく……。

 くそ。死んで、たまるか。このまま、死んでたまるかよ……!


 震える手で、腰に手を伸ばす。

 奇跡的に壊れていなかった、通信機のスイッチだけを入れて。

 俺は意識を闇に投げ出した。

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