23「ユウ、大怪我を負う」
『うええーん! おかあさーん!』
『あちゃあ。また転んで帰ってきたな。どれ、ちょっと見せてみろ』
『うん……ねえ。いたいの、なおる?』
『大丈夫だって。このくらい。痛いの痛いのぶっ飛ばす! ってね』
『おかあさん。それをいうならとんでけー、じゃないの?』
『そうだったっけ? でもユウ、ちゃんと泣き止んだじゃないか』
『あ、ほんとだ』
母さん。
『急な仕事が入った。遅くても夕飯までには帰ってくるから、いい子にしてるんだよ』
『はーい。いってらっしゃーい』
『いい子にしてたらお土産買ってきてやるぞー』
『わーい!』
いつも強くて、明るくて。
『しっかり背中に掴まってな。三分で片付ける』
『うん!』
俺には、母さんが眩しかった。
『どうだ。私の自信作は!』
『うっ。え、ええと……とと、とってもおいしいよ。ね、おとうさん!』
『あ、ああ。ユナの料理はいっつも最高だな!』
『ふふん。だろ? やば。私って天才かも』
……料理の腕だけは、からっきしだったけど。
『ねえ、おかあさん。どうしておれはユウって名前なの?』
『うん? 急にどうした。一丁前に悩んだ顔しちゃって』
『みんなおれのこと優秀だって。優れた子だって言うんだ。ほら、字がいっしょでしょ? だからそうなのかなって思ってさ』
『ほほう。さてはあんた。友達にでも聞かれて困ったか?」
『う、うん……』
『よしよし。そりゃあもちろん優れた立派な子に育ってくれたら、私だって親さ。自慢しちゃうわね~』
『ふーん。やっぱりそうなの?』
『そうだねえ。でもそれだけじゃなくて、私たちは――おっと。ごめんね。ったく、こんなときに仕事の電話かけんなっつーの』
結局その後の言葉は、母さんが生きている間には聞くことができなかった。
実際のところ、あまり大した意味はなかったのかもしれない。
父さんと母さんが死んでからずっと。
俺は名前の通り、常に優秀であることを求め続けられた。
隙を見せれば、親戚どもから嬉々として虐待を受け。
泣いていても、あの施設で手を差し伸べてくれる者はどこにもいない。
強くなければ、あの薄汚れた日々を生き抜くことはできなかった。
『ユウ。この世は理不尽なものよ。大きな困難がある。普通にやったら通用しない相手がいる』
そうだな。この世はどこまでも理不尽だ。
『それでも、立ち向かわなくちゃならないとき。どうしても負けられないとき。本当に負けないためには、まず何が必要だと思う?」
『うーん……なんだろう。わかんないよ』
『いいか。ここさ。決して負けない頭を持つことだ。それをもってすれば――』
なら、どうして。母さんは負けたんだよ。
俺なんかに、どうして負けたんだよ。
……そんなこと、わかってるじゃないか。
母さんは、撃てなかったんだ。
俺だけは。
あの日。俺の手には、銃が握られていた。
決して持っているはずのないそれが。
気が付いたら、俺は。俺は……。
――そうだ。あのときの感覚。
何かに支配されるような感覚。
ヴィッターヴァイツ。あいつの【支配】とは違う何か。
もっと大きな何か。
『そうさ。それがお前の運命なんだ』
***
うっすらと、目が開いた。
冷たく固い土の感触。
温かい。火の当たる感覚。
「気が付いたのね……!」
カルラ。彼女が覗き込むように映っていた。
「よかった……っ! もしあなたにまで死なれたら、わたし……っ!」
彼女は言葉を続けられず、俺に縋り付いて泣き出した。よく泣く女だ。
あやしてやろうと思ったが、手は思うように動かなかった。
されるがまま、彼女の温もりを感じる。
さっきから温かいと思ったら、横には火が浮かんでいた。今は不安定に揺らいでいる。
「ここは……?」
「ここはね」
『我の住処だ』
心に響いてきたのは、普通の人間には聞こえない炎龍の声だった。
首は上手く動かないが、確かに向こうには彼の気配を感じる。
『獣に食われそうになっていたのでな。乱暴ながら、くわえて運ばせてもらった。それから、死にかけていたからな。我の気を少し分け与えてやった』
『そうか。助かった。礼を言う』
『なに。礼には及ばんよ。懸命に看病していたのは、そこの小娘だ』
言われて、カルラに目を向ける。
なるほど。横の火は、彼女が俺を温めるために作り出していたものだったか。
この冬の季節だ。彼女の助けがなければ、俺は凍死していたかもしれないな。
ずっと魔法を維持するのは大変だっただろう。大した献身ぶりだ。まったく。
「カルラ。手当てしてくれたのは君だな」
「はい。助けなくちゃって、とにかく必死で……」
「ありがとう。本当に助かった」
彼女ははっと目を見張って。
目の端に涙を溜め、心底嬉しそうな顔で頷いた。
「は、はい! 当然です。わたしはあなたのしも――いいえ、協力者ですもの」
心なしかうっとりした表情で、自分の胸を撫でるカルラ。
生きようという気力があるだけ、一時期に比べたら少しはマシになってくれたか。
身体を起こそうとしたが、ほんの少し動かしただけで激痛が走る。
「……っ」
「無理しない方が良いわ。あなた、生きてるのが不思議なくらいの大怪我してるのよ。本当に死んじゃうかと思ったんだから」
カルラが、心配そうな目でこちらを見つめている。
「君と別れてから、どのくらい経った」
「一週間よ」
「そんなに長い間、くたばっていたのか」
「ユウ。あなた、どうしてこんな怪我を……」
「やられた」
彼女は驚いて、口を手で押さえた。
「まさか。あなたほどの人が、こんなにひどくやられるなんて……。信じられないわ」
「相手も俺と同じ――いや、それ以上の規格外ってことだ」
これまで相手にしてきた奴らとは、わけが違う。
奴は、本物の化け物だ。
破壊的快楽者。人を踏み躙ることを生き甲斐にしているような男。
俺が一番嫌いなタイプだ。親戚や、俺をこき使ってきた裏社会の連中を思い出す。反吐が出る。
あんな奴にだけは、《クロルエンダー》を渡すわけにはいかない。
どんな胸糞悪いことになるのか、容易に想像が付く。
それに、嫌な予感がする。
このまま放っておけば、必ず俺の知り合いにも被害が及ぶだろう。
そして奴を止められる可能性があるのは、俺だけだ。
「ヴィッターヴァイツ。俺は、あいつを殺さなくてはならない」
身体に力を入れて、無理に起き上がろうとする。
カルラが抱き付いて止めてきた。
「ダメよ! お願い。無茶はしないで」
……確かに言う通りか。
すぐに動いたところで、勝算があるわけじゃない。むしろ余計に分が悪い。
この怪我、どうする。
気力による治療は結局、自分の気力を使って治すわけだからな。
ここまで怪我で消耗していると、応急処置的に治したところでかえって完全回復が遅れてしまうだけか。
身体の内側で気を練って、自然回復を待った方が良いだろうか。
この具合だと、最低でも動けるまでにもう一週間はかかるか。まいったな。
「わかった。しばらく怪我を治すのに専念するよ」
無理はしないと聞いたカルラの顔が、ぱっと明るくなった。
「そうよ。それがいいわ。わたしもずっと付いているから」
『炎龍。悪いが、しばらくここを借りても良いか』
『構わない。好きなだけ滞在するといい』
カルラが胸を張ってトンと叩いた。
「動けない間のお世話は任せて。食事から下の世話まで、全部してあげる」
そうか。世話してもらわなくちゃいけないのか。情けないな。
「そう言えば、この一週間は」
「もちろんわたしが」
嬉しそうに、少し恥ずかしそうに頬を赤らめるカルラ。
なんかこっちまで恥ずかしくなってくるじゃないか。
『中々……その、凄かったぞ』
炎龍が気まずい調子で首を背ける。
俺は思わず咳払いして、尋ねた。
「カルラ。お前、何してたんだ」
「ナニって、全部よ」
恍惚の表情を浮かべる彼女を見て、俺は溜息を吐いた。
外面的にSっ気がありイケイケな女が実は……ということはままあるが。
それにしても、こんなに献身的でMっ気のある女だとは思わなかったぞ。
肩には大きな穴が空いていたらしい。
カルラ曰く死にかけていたほどのダメージは大きく、実際まともに動けるようになったのは十日後のことだった。
彼女は毎日三食手料理を作っては、動けない俺に食べさせてくれた。
水も飲ませてくれたし、下の世話もしてもらった。自分では何もできなかったので、正直非常に助かった。
他にすることがなかったので、自然と会話やスキンシップが増えた。
他の人には話していないようなことも、つい話してしまったかもしれない。
不覚にも、どこかで幸せを感じていた。随分長く感じられた、濃密な十日間だった。
それから、どうやら俺の心を読む能力は、相手が俺に対して心を開いているほど効果的らしいということがわかった。
嫌でも伝わってきてしまうのだ。カルラがこちらに向ける好意やら、色々な記憶やらが。
どうも元彼ほどではないにしろ、好きにさせてしまったらしいことは間違いない。
どうしてこうなった。なぜ俺なんだ。
俺は彼女を殺しかけたし、ずっと冷たくしていたはずなんだけど。
動けない間、奴とどう戦うかをずっと考えていた。
こちらの能力と切り札は、どうにか隠すことができた。
奴が俺にもっと興味を持っていればわからなかったが、俺を遥か格下としてさほど眼中になかったことが理由だろう。
実際今の時点では、あまりにレベルが違い過ぎる。まだ勝てる材料は一つもないが。
俺の成長力を甘く見るなよ。
この身に受けたお前の能力【支配】と、あの動き――蹴りの威力は覚えたぞ。
しばらく俺は死んだことにしておく。対策と修行をこの森で存分に積ませてもらう。
余裕を見せて俺をあの場で殺さなかったこと、必ず後悔させてやる。
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