36「究極の時空魔法《クロルエンダー》」

 すべてが終わった後。世界は既に動き出していた。

 俺は仰向けで身を投げ出し、空を見上げていた。

 何もする気になれなかった。

 ただ終わったという事実が、乾いた心にいつまでも重く響いていた。

 もう涙も出ない。今度こそ、二度と出ないだろう。

 アリスは死体も残せなかった。

 たった一片の肉体が残っていただけでも、恐ろしい破壊を巻き起こしてしまうから。

 跡形もなく消した。この手で。

 辺りを見回した。町はどこもかしこも瓦礫と血の匂いだらけだ。

 全壊している。人もどれほど死んだかわからない。

 確かに言えることは。

 サークリスという町は、今日この日、世界地図から消えてなくなったということだ。


 やがて、わずかな生き残りが姿を現した。全員ひどい姿だ。

 彼らは戦いを見ていたのだろう。俺に恐れと恨みがましい目をぶつけてきた。当然の感情だ。

 ただ睨むだけで、何もしては来ない。

 俺を相手にすることの無謀さを、嫌でも理解しているのだろう。

 石の一つや二つでも、ぶつけてくれれば良いのに。

 守れたものはこれだけか。いや、何も守れなかったな。

 こいつらの感情など、どうでもよかった。みんなはもういないのだから。

 何も感じない。心は氷のように冷え切って。からっぽだ。

 ここに居ては迷惑になるだろう。

 ゆっくりと立ち上がると、住民は恐れ慄き、蜘蛛の子を散らすように逃げていってしまった。

 ぼんやりと空を眺めた。

 そこに浮かぶ島は、今はなき主をじっと待つかのように沈黙を保っていた。

 エデル。そうだな。行ってみるか。


 今の俺は、空を飛ぶのに大掛かりな魔法は要らない。

 ほんのわずか力を込めるだけで、自在に宙を舞うことができる。

 身を包むオーラはずっと黒を保っている。心の色をそのまま反映したかのようだ。

 上空から、エデルの大都市を見下ろした。

 魔法実験の失敗で滅びたとはとても思えないほど、綺麗に原型が保たれていた。

 つい昨日まで人が住んでいたみたいだ。

 高層ビル群やよく整備された歩道、縦横無尽に張り巡らされた透明なチューブ。

 どれもこの世界らしさはなく、むしろ地球の匂いに近いものを感じさせる。

 地球よりもさらに高度な文明のように思えた。

 適当な場所に降り立ち、無人の街を一人で歩いていく。

 何も音はしない。この静けさが、今の俺にはありがたかった。

 途中、少し気になって寄ってみたが、透明なチューブはどうやら公共交通施設のようだった。電車のような乗り物が打ち捨ててあったことからそう推測できた。

 他にも目を惹くものはあったが、俺がここに来た理由はただ一つだ。

 まず向かったのは、王立魔法図書館だった。

 この場所は、研究者たちが求めてやまないロスト・マジックの宝庫である。

 特に失われた系統である光魔法と時空魔法について、右に並ぶものはないだろう。

 あるとすれば、ここにあの魔法に関する記述があるはずだ。

 一体何千万冊の本があるだろうか。すべてをつぶさに調べていけばいくら時間があっても足りないが、幸い俺には能力がある。

 それにもちろん、すべての本を調べる必要はない。

 魔法書のコーナーへ行き、手をかざして念じた。

 すると棚の本は一斉に取り出されて、一ページずつ高速でパラパラとめくれていく。

 意識を集中し、そのすべてをいっぺんに観察する。

 膨大な情報量が、一気に流れ込んでくる。

 地上では記述が少なかった超上位魔法、さらには存在さえ知られていなかった禁位魔法の情報が心にストックされる。

 作業はほどなく終わり、本の内容はすべて俺の中に記録された。

《クロルエンダー》について、『心の世界』で検索をかける。

 すぐに記述が見つかった。最先端魔法研究の271ページからだ。

 それによれば、王立魔法研究所という所で、研究と実験が繰り返されているということだった。

 まさか。本当に実在したのか。

 心がざわめく。

 幾分気持ちは逸り、急いで研究所へ向かう。

 案内を頼りに走ると、やがて白い立派な建物の集まりが見えた。

 近付いた途端、異常なほど膨大な魔力の集積を感じた。

 ヴィッターヴァイツの奴が使っていた技にも匹敵するほどの凄まじい力だ。

 力の発生源を辿ってみれば、四角い箱型の施設があった。正面に門のような重苦しい扉が付いている。

 一足で目の前まで瞬時に移動し、ざっと眺める。

 どうやら厳重に封が施されており、魔力が漏れにくい仕掛けがあるようだ。

 近くに来るまで魔力の反応に気付けなかったのは、そのためか。

 ぴったりと閉じられたドアを強引にこじ開ける。罠染みた封印術がかかっていたが、俺の力の前では無意味だった。

 中には何もない空間に、たった一つだけ巨大な丸い球体装置が浮かんでいた。

 球体装置の周りに、幾重も輪をかけるように、複雑な文字列の光が整然と浮かび上がっている。

 これは。魔法の、術式……?

 意外なものに思わず目を見張った。

 この世界の魔法はどんなものであっても、脳内発声や直接発声により構成され、発動する「宣言魔法」だ。

 だが今、目の前にあるものは……。

 言うなれば「術式魔法」。魔力を込めた文字によって魔法を構成している。

 当たり前のように「宣言魔法」を使っていただけに、目から鱗だった。

 術式の構成という手間は最初にかかるものの。これを用いれば、確かに「宣言魔法」よりも遥かに高度で複雑な命令を魔法で行うことができる。

 時間停止魔法なら、「宣言」によって実現できたのだ。

 究極の時空魔法と言えども、この「術式」によるならば。あるいは。

 どうやら魔法式は今も勝手に紡がれているようだ。

 誰もいなくなった今でも、研究は自動で続けられているということか。

 装置の表面に備え付けられた時計が、膨大な術式の完成予定までの時間を延々と刻み続けているのに気付いた。

 それを覗き込んだとき。一縷の望みは潰えた。


 約千年。


 目眩がした。

 あまりにも。あまりにも長過ぎる。

 ちくしょう。中途半端に希望を見せておいて、これかよ。こんな仕打ちかよ……!

 おそらくないだろうとは思いつつも、心のどこかで期待してしまっていた。

 今を変えられる奇跡のような可能性を。だが現実は非情だった。

 いや――。

 可能性はまだ残されている。

 俺がやるんだ。ここにある術式を参考に、俺自身の力で魔法を完成させることができれば。

 たとえいくら時間がかかったとしても。

 だがしかし。そんな決意を奮い立たせたところに。

 早速俺が術式を解読しようと手を伸ばしたとき――。

 まるでそのタイミングを狙ったかのように。


 ――上空から、一筋の光線が容赦なく装置を貫いた。


 何が起こった。

 動揺する間もなく、砕けた装置から魔力が溢れ出し。空間を捻じ曲げて穴を開け始めた。

 まずい。あれに巻き込まれれば。

 考えるよりも先に、身体が動いていた。

 転移魔法で地上へと避難する。

 すぐに空に浮かぶ島を睨み上げた。

 空間の歪みは、瞬く間に膨れ上がっていく。

 そして、時空に大きな穴を開けて――エデルの一切を異空間へと呑み込んでいった。

 いとも簡単に。あっけなく。

 俺はがっくりと膝を付いて、項垂れた。

 今度こそ、完璧に望みが断たれてしまったのだ。


 もう二度と。みんなには会えない。


 誰が。誰がこんな真似を――。



「時々出て来るんだよな。ああいうバグみたいなのが」



 声がした。

 頭にずっとこびりついていた嫌な声。あの声。

 まさか。

 顔を上げて、そいつの姿を目にしたとき。


 心の奥底で燻っていた殺意が、瞬間的に爆発した。


 ~~~~~~~~っ!


 全力で打ち込んだ剣先は――。

 しかし、こいつの肌でぴたりと止まっていた。

 頬を浅く傷付けて、そこから一筋の血が流れ落ちる。

 身体が固まったように動けない。まただ。

 だがそんなことは関係ない。


「随分物騒な挨拶じゃないか。傷が付いてしまった」


 黒髪の少年が頬を撫でると、傷は簡単に消失してしまった。


 会いたかったぞ。ずっと。

 お前は。お前だけは。


 動けないままでも、強引に剣を突き刺そうとする。

 殺す意志の力がこいつに勝ったのか。少しずつだが、剣はこいつを傷付けようと押し進んでいく。

 こいつはそれを意に介さず、余裕の表情で口の端を吊り上げた。


「落ち着けよ。僕はお前と戦いに来たわけじゃない」

「お前は……! お前だけは許すものか!」


 こいつは。俺の――!


「聞き分けのないガキだ」


 ほんの一睨みで、気剣が消失した。

 身体の自由が効かないまま、空中に縛り上げられて。

 首を絞めつけられる。


「……っ!」

「この短期間でかなり力を上げたらしいな。並のフェバル以上だ。少し驚いたぞ」


 やはり。こいつは。

 フェバルを知っている。


「ア、ル……!」

「久しぶりだな。ユウ」


 目の前で不敵に嗤う人物こそが――俺が最も憎む仇だった。

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