16「仮面の集団の策略」
軍事演習の地オーリル大森林は、サークリスと首都ダンダーマのちょうど中間ほどに位置する林業の町オルクロックから少し進んだ先にある広大な森である。
あまりの広さゆえ、奥の方は人の手の届かない秘境となっている。何でもイネアの故郷であるネスラの里もそこにあるとか。
そういうわけで、イネアはオーリル大森林をマーキングしてあったので、彼女の転移魔法によって列車を使わずに一瞬で来ることができた。もちろんついでに俺もマーキングしておいた。
地図を見ながら集合場所に向かうと、百人ほどの兵士が既に揃っていた。
陣頭で指揮に立っているのは、頬に傷跡を持つ男。英雄クラム・セレンバーグだ。
彼は俺たち二人に気付くと、丁寧な物腰で挨拶してきた。
「イネアにユウか。よく来てくれたな」
「これから二日間、よろしく頼む」
イネアは大人の対応をしたが、俺はそれをする気にはなれなかった。代わりに毒吐く。
「何だってこんな日に演習をするかね。星屑祭の警備に人手が欲しい所だろうに」
「すまない。この日程しか都合が取れなくてな。明日は代わりの者に指揮を任せ、私はサークリスへ戻って警備に回るつもりだ」
……白々しいな。
だがこいつはあくまで英雄。確証のないうちに手を出せば、立場が悪くなるのは俺たちの方だ。
目を光らせていたが、その日は特に何も起こらなかった。
夜はテントを張り、警戒しつつイネアと共に眠りに就いた。
翌日。星屑祭三日目に当たる日。
クラムがいなくなった後に、事件は起こった。
兵士たちが何やら騒ぎ立てている。やがて悲鳴のような報告が上がった。
「ライノスが! ライノスの大群が、攻めてきますっ!」
ライノス・ビリガンダ。
額に大きな二つの角を持つ、十メートル級の大型草食獣だ。
縄張りにさえ近づかなければ大人しいはずだが、なぜ。
まさか。
俺はイネアと顔を見合わせる。
「クラムめ。けしかけやがったな」
「ライノスか……。数にもよるが、少々骨が折れる相手だな」
イネアの言う通り少し面倒ではあるが、所詮は草食獣。大した相手ではない。
こんなもので俺たちを始末できると思っているなら、拍子抜けもいいところだが。
それだけに何か引っかかる。
「イネア。手分けしてさっさと片付けるぞ」
「よし。半分ずつだ」
だがそのとき。
上空から、絶大な気力と魔力を伴った何かが高速で飛来してきた。
その姿を認めたとき、兵士たちはパニックに陥ってしまった。
それもそのはず。
「わあああーーっ! 炎龍だあああっ!」
「逃げろおおおおーーー!」
「なっ。炎龍!?」
空を覆う赤い影。広がった翼に連なる無数の棘。蜥蜴のような頭。
紛れもなく、あの炎龍ボルドラクロン。この森林の支配者にして、最強の生物だった。
「あっちが本命か! 龍とは厄介だな」
それまでどこか余裕のあったイネアが、一気に警戒を強める。
彼女は雷龍と戦った経験があるらしいが、あくまで試合としての経験だろう。
今度はそうはいかない。あの炎龍はどういうわけか正気を失っているようだ。
俺も龍とは未だ戦ったことがない。負ける気はしないが、確証は持てない。
「ひとまずライノスは後回しだ。あの龍から何とか――」
滞空する炎龍が、大きく息を吸い込んだ。
あの動きは、ブレスが来る。
このままでは、俺が無事でも周りがただでは済まないだろう。死人が出るぞ。
やるしかないか。
ブレスが来るよりも早く、神速で魔法を展開する。
水の守護。
《ティルアーラ》
本来この魔法は個人に対してかけるものだが、それでは間に合わない。
この場にいる全員を包み込むように、場の全体に水のバリアを張った。
直後、辺りすべてを焼き尽くさんばかりの猛火が、手の届かぬ上空から吹き落とされる。
間一髪のところで間に合った。
間違いなく死者多数を出すところであった炎のブレスは、俺の張ったバリアに弾かれて掻き消えた。
これほどの攻撃をほぼ溜めなしでできるのか。
龍と言うのは、さすがに人間を超えた存在のようだ。
隣で気を高めて身構えていたイネアが、ほっと一息吐く。
「今のは危なかった。助かったぞ。ユウ」
「この一帯に水の守護をかけた。しばらくは火のブレスの威力が相当弱まるはずだ」
「そのうちに、あいつを空から引きずり下ろす方法を考えなくてはな」
「ああ」
しかし、そのとき――。
悪いことは重なるものだ。
懐に忍ばせておいた鉱石が、ぶるぶると震え出した。
はっとする。
アリスかミリアの身に、何かがあったということだ。
そこで俺は、自分のお気楽さにようやく気付いたのだった。
何かおかしいと思っていたんだ。
「しまった。本命はここじゃない。向こうか!」
「どうした!? ユウ」
「アリスとミリアが助けを求めている。サークリスが危ない」
クラムは、俺たちをどうにかする気なんて最初からなかった。あわよくばという程度の考えしかなかったのだろう。
ただ足止めしておけば十分。その隙に向こうで何かをしようという魂胆だったのだ。
悪意を直接向けられていたから、てっきり俺たち自体がターゲットだと思い込んでいた。
――やってくれたな。
俺は、強く拳を握り締めた。
「様子を見て来る。悪いが少しだけ持ちこたえていてくれ」
「ああ」
転移魔法。サークリスへ。
…………
なに!?
ところが、転移魔法は発動しなかった。
何度試してみても、転移特有の浮遊感がまったく発生しない。
「どういうことだ。転移魔法が使えない」
「なんだと!?」
イネアも試してみたが、うんともすんとも言わないようだった。
一体どうやったか知らないが、使えなくしてくれたらしい。
イネアが転移魔法を使えることを知っていて、先に手を打ったとしか考えられなかった。
「……ふざけやがって」
なら直接向かうまでだ。
「かあっ!」
事は急を要する。
俺は今まで目立たぬように抑えていた魔力を、一気に全解放した。
大地が震えたような、そんな錯覚があった。
森の生物たちは本能的に恐れをなしたのか。命の息吹が、死んだように動きを止めてしまった。
自己の内に抑え切れなくなった魔素が溢れて、濃縮した魔素本来の色――空と同じ濃緑色のオーラとなって、体表に漏れ出す。
これが、今の力か。
自分でも驚いていた。自分自身、その可能性に恐ろしいものを感じていたほどの力だったが。これほどとは。
イネアが目を丸くして、信じられないという表情を向けている。
「お前。それほどの魔力を……!」
苦笑いしたくなる。
確かにこれはもう、人間のレベルには収まらないかもしれないな。
「まずはあいつからだ」
上空を睨み上げ、手をかざした。
狙いを定め、両手から同時に風魔法を放つ。
斬り落とせ。
《ラファルス》
一対の風の刃が、空を切り裂く。
ほんの瞬きをするほどの間だった。
それが過ぎる頃には、巨大な炎龍の両翼が根元から綺麗に斬り落とされていた。
龍の魔法抵抗は非常に高いとされているはずだが、そんな抵抗など一切ものともしなかった。
翼を捥がれた龍は苦しみの咆哮を上げて、木々の間へ真っ逆さまに墜落していく。
木のへし折れる音と地鳴りと共に、さほど遠くない地点へと落下した。
「あれでもう空は飛べないはずだ。手負いの龍なら一人で戦えそうか」
真剣に問うと、イネアがこくりと頷く。
地に落ちた蜥蜴ならば、気剣術をもって勝機があるはずだ。
慎重な彼女のこと。少なくともやられはしまい。
「この場は任せたぞ」
「うむ。任せろ!」
飛行魔法。
俺は木々を突き抜けて、空高く飛び上がった。
サークリスへ向けて、全力で飛ばす。
莫大な魔力が生み出す速度は、音さえも軽く置き去りにした。
轟音を立てて。地を越え山を越え、列車で半日以上かかる距離を、みるみるうちに縮めていく。
すぐに行く。覚悟しろ。
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