13「ユウ、気剣術指南に向かう」

「なんで俺が?」

「気剣術を使いこなせる者は少ない。私一人で教えられる人数にも限界がある。そこで、技を盗み取ってくれた誰かにも手伝ってもらおうと思ってな」


 じろりと視線を向けられる。そこを突かれると弱いな。


「だが俺に何の得がある」

「いつか約束していたな。転移魔法で連れて行ってやる。報酬はそれでどうだ?」

「……考えたな。わかった。乗ろう」

「これも触れ合いだと思えばいい。飯は奢ってやるぞ」


 イネアに笑って肩を組まれた。

 彼女が集中すると、空間を捻じ曲げる魔力場が生じる。

 一瞬の浮遊感が生じたと思ったときには、もう剣士隊の敷地内――だだっ広いグラウンドにいた。

 そうだと分かったのは、向こうに剣士隊の紋章が付いた本部の建物が見えているからだ。

 これが転移魔法か。よし。覚えた。


「さて。まだ連中が来るまでには時間がある。お前がどれほど力を付けたか、見せてもらおうか」

「言っとくけど、最初にあんたと戦ったときとは既に数段レベルが違う。あんたじゃもう相手にならないよ」

「はっきり言ってくれるな。わかっている。私も実力差が読めないほど愚かではない。ある技の錬度を見せてもらいたくてな」

「ある技というのは」

「《センクレイズ》。前に私がお前と戦ったとき、最後に使った技だ。気剣術の奥義でもある」

「ああ、あれか。中々の威力だった」


 と言っても、原理はそんなに難しい技じゃない。

 ただ気力を集中させて斬る。それだけのシンプルな技だ。


「そのくらいなら。まあやらないこともない」


 俺は左手に気剣を作り出した。

 気力を集中させると、気剣は白から目の覚めるような青白へ変わる。

 これがこの技を使うときに生じる気剣の変化だ。

 あまり威力を高めると、この辺り一帯を消し飛ばしてしまう恐れがある。このくらいでいいか。

 威力はかなり抑え気味に。狙いを上空に向けて、俺は放った。


《センクレイズ》


 剣を振り下ろすと同時、剣閃が生じた。

 気剣の色と同じ青白色の斬撃が、空を割いて直進していく。

 間もなく雲を切り裂いて、空の果てへと消えていった。

 イネアの方を見やると――彼女は目を見張ったまま、絶句していた。


「ユウ、お前……師とまったく同じ技を……!」


 やっとのことで、言葉を絞り出す。

 確かオリジナルの《センクレイズ》は近接技ではなく、このように剣閃を飛ばす技だったとか。

 しかしそれはフェバルの能力を持つジルフにしか使えないから、イネアは普通の気剣術の範疇――近接技のカテゴリとして使えるように改変したのだ。

 俺はそれをまた戻した形になる。

 驚嘆するイネアに向かって、俺は説明を加えた。


「気力とは、自己の内の要素を外界に取り出して利用する力のことを指す。イネア先生、あんたが言ってたことだ。別に自己の内の要素とは、生命エネルギーに限らない」


 俺の場合、『心の世界』に宿っている莫大な力も利用することができる。

 この力、そもそも精神エネルギーなのか何なのかもよくわからないが。とにかく使うことはできる。


「俺に宿っている力でも、同じことができるんじゃないかと思ってね。やってみたら、どうやらこちらは距離に関わらず使用できるらしいことがわかった」


 生命エネルギーのみだと、身体を離れるとすぐに霧散してしまう。

 だが『心の世界』のエネルギーを加えれば、そうはならなかった。

 先日使った《気断掌》は、その一例だ。

『心の世界』のエネルギーを生命エネルギーに加えて練り込んだ気力を使うことで、見えない衝撃波のようなものを発生させる。

 普通なら近付いて手を押し当てないといけないところ、俺の力をもってすれば、遠くから照準を合わせるだけで当てることができる。


「理屈の上ではその通りだが……。そんな真似ができるのは、お前たちフェバルぐらいのものだ。普通は生命力を表出させる程度のことしかできない。普通はな」

「フェバルというものがいかに特殊な存在か。わかった気がするよ」


 力の使い方に気を付けなければ。常人には及びも付かないことが簡単にできてしまう。

 この成長ペースは確かに異常だと、自分でも思い始めているところだ。

 イネアは額に手を当てて、深く溜め息を吐いた。想像以上だったらしい。


「ユウ。それは連中には見せるな。絶対にできないことを見せても逆効果だ……」

「もちろんそのつもりだ」


 その後、やってきた数十人の若手たちに対し、イネアと共に気剣術の指導を始めた。

 俺は自分より明らかに年下の先生役だ。最初は怪訝な目を向けられていたが、そこは実力を見せることで黙らせた。

 気の練り方や剣の維持の仕方など、感覚的な部分もあるが、なるべく論理立てて丁寧に教えていく。

 確かにあまり物覚えは良くないが、何でも素直に聞いてすぐに実践してくれる気持ちの良い連中だった。

 イネアが気に入るのも頷ける。

 ただ、中には――。


「コクランと申します! 本日はよろしくお願い――」

「お勤めご苦労。新人のふりはしなくてもいいぞ」

「……なぜわかった」


 心を読むまでもない。

 他の若手とは明らかに鍛え方が違う。目の奥にある光が違う。


「何をこそこそ嗅ぎ回っているのか知らないが。首都の連中に伝えてやれ。別に逃げも隠れもしない。お望みとあらば、こちらから出向く用意があるってな」

「了解した。その言葉、確かに申し伝えておくぞ」


 コクランという男は、背を向けてきびきびとした足取りで戻っていった。

 様子がおかしいことに気付いたのか、イネアが寄って来る。


「どうした?」

「いるんだたまに。ああいうのが」

「お前も苦労しているのだな」

「まいったよ」


 まあそれ以外は概ね問題なく。

「ありがとうございました!」と元気の良い返事をもらって、指南を終えた。



 ***



 夕飯は剣士隊宿舎の食堂で取ることになった。

 約束通り、イネアの奢りだ。

 たまには魚が食べたくなり、焼き魚定食を頼んだ。


「一仕事終えた後の飯は美味いだろう」

「そうだね。同感だ」


 地球の裏社会で仕事をしていたときも、安全な所で飯を食っているときだけは生きた心地がしたものだ。滅多になかったが。

 たくさん動いてお腹が減っているからか、手がよく動く。

 イネアはパスタをつつきながら、こちらの様子を微笑ましい目で見ている。

 あまり見られると、食べにくいな。


「ふふ。よく食べるな。おかわりしてもいいぞ」

「じゃあお言葉に甘えて」


 おかわりを注文しようというときに。

 厳つい男が、食堂に入ってきた。

 短く整った銀髪と、強靭に鍛え上げられた肉体。右の頬にある大きな傷跡が目に付いた。

 年齢は中年くらいだろうか。眼光は鷹のように鋭い。

 入ってきただけで、かなり周りの注目を集めているようだ。

 それとなく期待を向けると、察したイネアが答えてくれた。


「あの男。クラム・セレンバーグだ。龍殺しの」

「あいつが龍殺しか」


 龍という存在が、この世界にはある。

 人間を遥かに凌ぐ気力と魔力を誇り。巨大な体躯から繰り出されるブレスは、一面を薙ぎ払うという。

 現在確認されているのは、七種。

 炎龍、雷龍、風龍、土龍、水龍、光龍。

 そしてあらゆる龍の中で、最上位種とされる黒龍。

 黒龍は以前、サークリス付近を襲撃したらしい。

 未曽有の危機に、そいつを一撃の下に仕留めたという龍殺し。

 サークリス剣士隊の英雄、クラム・セレンバーグ。

 名前だけは本で知っていたが。こんな奴だったのか。


「英雄ね。にしては、随分屈折した奴だな」

「そうなのか?」

「ああ」


 イネアのように、心から漲る自信というものが感じられない。

 普通ならもっと堂々としていても良さそうなものだが。どこか虚勢が見え隠れする。


「率直に言えば、あまり大した奴には見えないな。強いのだろうけど、黒龍を倒せるとはとても」

「実は……私も同感だ。黒龍は個人が簡単に倒せるような相手ではない。前から不思議には思っているのだが。しかし人は見かけによらないと言うからな」

「その通りだ」


 どんな手を使ったのかも知れない。ああいう一見大したことがなさそうな奴ほど、驚くような裏技を持っていたりするものだ。

 イネアが頬杖を付き、笑顔を向ける。


「ちなみに私もな。世界各地を巡る武者修行の最中に、雷龍となら戦った経験があるぞ」

「ほう」

「楽しい戦いだった。最後は意気投合し、盃を酌み交わしたものだ」

「中々面白い経験をしているんだな」

「まあな。ああ。酒が飲みたくなったぞ。お前が大人なら一緒に飲み歩いたところだが」

「絡み酒は勘弁してくれよ」

「保証はできん」


 そのとき、ふとクラムと目が合った。

 彼はこちらの姿を認めると、不敵な笑みを浮かべたのだった。

 なんだ。

 やがて会計を済ませ、トレーに食器を乗せた彼は、堂々とした足取りで真っ直ぐこちらに向かってくる。

 そして、俺とイネアが向かい合って座っていたところの、すぐ隣のテーブルにつけた。


 ――この男。何の魂胆がある。


 近付いたところで伝わってきたのは、明確な悪意だった。しかしその中身まではわからない。

 しかも。

 デラックス焼き魚定食。

 こいつ。地味にわざと俺より良いものを注文しやがった。


 クラムはこちらを向くと、気さくに声をかけてきた。


「噂の新入生、ユウ・ホシミ。それに気剣術のイネアか」

「英雄直々に話しかけてもらえるとは。光栄だな」

「お初にお目にかかる」

「英雄だなんて。とんでもない」


 まんざらでもなさそうに笑った彼は。

 魚に一口手を付けて、ゆっくりと咀嚼する。

 よく味わった後、飲み込んだ。再び口を開く。


「日頃うちの若い連中を鍛えてくれているそうだな。感謝する」


 それにはイネアが答えた。


「いや、礼に及ぶほどのことではない。教師として、やる気のある連中を伸ばしてやるのは当然の務めだ」

「素晴らしい考えだ。私も後進の指導には苦慮していてね」


 腕組みをしてしげしげと頷くと、彼は尋ねた。


「時に失礼でなければ、お二人はどういったご関係かな?」


 イネアと目を見合わせる。

 警戒しろと視線で促すと、彼女はその理由まではわからないだろうが、無言のメッセージだけはすぐに察してくれた。


「イネア先生は俺の師だ」

「ユウは私の弟子だ」


 咄嗟に口裏を合わせる。

 クラムは俺の身体を見回しながら、感心したように頷いた。


「なるほど。道理でよく鍛えられているわけだ」


 少なくとも、お前よりは鍛えられているだろうな。

 やはり近くで見てみても。鍛錬の度合いで言えば、俺やイネアには及ばない。

 クラムの顔つきがわずかに真剣味を増す。本題を切り出すようだ。


「ところで今度、星屑祭の日と被ってしまうのだが――オーリル大森林で軍事演習が行われる予定だ。都合がよろしければ、是非オブザーバーとして参加していただきたいのだが。いかがだろうか」


 英雄から直々の誘いということで、周りからも自然と注目が集まっていた。

 突っぱねてやりたいが、この場で断るだけの理由がない。

 こういうのを断ると、後でかえって面倒なことになりやすい。

 小さく頷くと、代表してイネアが答えた。


「構わない。私たちの技術が役に立つというのなら。喜んで力になろう」

「礼を言う」


 それからしばらく他愛もない雑談をし、食事を終えたクラムは一礼をして食堂を出て行った。

 無言で考え込む俺に、イネアは心配するような調子で尋ねてきた。


「さっきは急にどうしたのだ。ユウ」

「悪意があった」

「なに?」

「あのクラムとかいう英雄――少し臭うな」

「そうか……。気を付けておこう」


 だが、どんな魂胆があるにせよ。

 俺とイネアがいるならば、さしたる問題はないだろう。

 念のため今度裏を取っておくか。

 それより。おかわりのタイミングを逃していた。


「……デラックス焼き魚、単品で追加してもいいか?」

「……食べたくなったんだな。よし。いいぞ」

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