エピローグ1「リルナの祈り」
ユウという男がこの世界へやってきてから、わずか数時間。
それだけの時間で、この星のあらゆることは変わってしまった。
ヒュミテとナトゥラが憎しみいがみ合っていた偽りの歴史は覆され。
ナトゥラを表から支配していた百機議会、そしてすべてを裏から仕組んでいた旧文明の遺産は滅び去り。
何物にも縛られることのない、ニュートラルな世界が残された。
今後世界がどう進んでいくのかは、我々次第ということだろう。
わたしはヒュミテを殺し傷つけた者の最先鋒として、償いをしなければならないと考えている。
百機議会亡き今、わたしが先頭に立って、捕えたヒュミテの王――テオと講和を結ぶべきだろう。
もう誰も意味のない争いで傷付くことのないように。
やがてユウの攻撃を受けて倒れていたナトゥラたちも身体を起こし、自分たちが操られていたことも忘れて、何事もなかったように日々の暮らしに戻っていった。
彼らが意識を失っている間に繰り広げられた、想像を絶する戦い――いや、一方的な処刑は――わたしとプラトーの記憶の中にだけ深く刻み付けられている。
ディースナトゥラが元の活気を取り戻したのを見届けたユウは。
ほんの一瞬だけ。微かに笑ったような気がした。安心したように。
あまりにも短い時間。わたしの見間違いだったのかもしれない。
気付けば、もういつもの氷のような表情に戻っていたユウは。
「最後の後始末を付けてくる」
と、一言だけ言い残して。
わたしたちに背を向け、消えた。
そして、もう二度と帰って来ることはなかった。
後始末とは何のことだったのか。今となってはわからない。
わからないが。
今日も変わらない濁った空と少し冷たい風が、大事もなく世界が回っていることを実感させてくれる。
ユウがいなくなった後。
わたしとプラトーはディーレバッツを呼び付け、ディークランの連中も引き連れて事態の収拾に奔走した。
随分派手に戦っていたが、直接被害を受けたところはあまり多くはない。
ユウはきちんと手加減してくれていたようで、ここディースナトゥラにおいて明確な損害と言えば、最初に爆撃された中央管理塔と中央工場くらいのものだった。
とは言え、それでも犠牲者は数千人規模に達する。ここで働いていた従業員たちには、突然見舞われた災難にお悔やみ申し上げるより他ない。
それから、星が少々。
とてつもない事実に苦笑いしか出てこない。
ユウに付けられたどこまでも続く星の傷跡は、後に観光名所となる。
さて調査の結果、中央工場のナトゥラ製造プラントおよびその地下に存在していた「ヒュミテ製造プラント」は、滅茶苦茶に破壊されていた。
どちらもロストテクノロジーであり、今の我々には復旧する術がない。
あわやナトゥラ滅亡かと騒ぎになりかけたが、プラトーが当時のナトゥラ製造技術のバックアップを取っていたため、事なきを得た。
ヒュミテについては、人間のように生み増えることができるため、今のヒュミテさえ絶滅しなければ問題はない。
わたしは即日ヒュミテの王テオ――テオルグント・ルナ・トゥリオームを釈放した。
拷問を受けた彼の回復を待った上で、対等な講和条約を結んだ。
テオは元々ナトゥラとの和解の道を探っていたようで、喜んで申し出は受け入れられた。
地下街ギースナトゥラの住民も沸き立ち、この一件は歴史的大ニュースとして取り上げられた。
ナトゥラの反ヒュミテ感情は深く植え付けられていたものであり、ヒュミテの反ナトゥラ感情は、たくさんの仲間を殺された事実に基づいている。強い抵抗がなかったとは言えない。
だがとりあえず、重要な一歩を踏み出した。歓迎する者も少なくなかった。
なぜこれほどまでに上手くいったのか。
プラトーによれば、さすがに二千年も経つと計画の通りに動かないエラー因子が生まれることが多発したという。
テオもまたエラー因子、つまり本来のナトゥラへの憎しみを焚き付ける役割を忘れて生まれてきてしまったというわけだ。
「オレ自身もエラー因子さ。駒ではなく、いつしか自分の意志を持つようになっていた」と語ったプラトーは、どこか愉快そうだった。
ナトゥラとヒュミテ初の共同作業となった復旧作業は急ピッチで進み、数か月後には、新中央平和記念塔が建て直っていた。
***
そして、数年後。
わたしはこっそりと。感謝の証として、私財を使ってとある像を立てさせた。
厳しくも力強いあの目を、ほんの少しだけ丸くして優しさを添えてある。
もしかしたら本当は――という、ささやかな期待も込めて。
リルライト。わたし自身の装甲にも使われている、わたしの名を冠した金属が何かのはずみで出回ってしまったことは、どうしようもなく恥ずかしいが。この最高級の金属をふんだんに使って創られた。
ユウの像は、ディースナトゥラ外れの丘から、これからの世界を静かに見守っていくことになるのだろう。
わたしが故障して亡くなった後も、朽ちることなく。
そうしてすべてが過ぎ去った後。
物言わぬ像を見つめながら、振り返ってみて、わたしは正直に思うのだった。
「あいつ。何だったのだろうな……」
あれほどにも冷たくされたのに。強引だったのに。何も気にかける必要などないはずなのに。
ほんの少しだけ、わたしには優しくしてくれた。勝手な頼みを聞いてくれた。気にかけてくれた。
どうしてか、わたしの心に塞がらない穴が空いたままになってしまったような気がしてならなかった。
今わたしは、「泣いている」のかもしれない。
わからない奴だと思っていた。違う。
わたしなら、いつかわかってあげられる気がした。
あの男なら、いつかわかってくれる気がした。
なのにわかり合えなかった。触れ合いかけたと思ったら、もう手が離れている。
なぜだろう。どうしようもなく悔しいのは。
無理にでも引き留めればよかった。
切れてしまった繋がりが、戻ることはない。
彼はもう帰って来ないのだ。おそらく、二度と。
わたしたちは結局何も始まらず、そして彼の行く道は終わらない。
あまりにも強過ぎる力が。あまりにも深過ぎる闇が。
彼をますます畏怖させ、孤独に塗り固めていく。
救いはないのか。かわいそうではないか。
だからわたしは。心を閉ざしてしまった彼のために。
もはや泣けない彼のために。代わりに「泣いた」。
そして、心から祈った。
願わくば、彼にいつか幸せと安らぎが訪れんことを――。
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