6「力の胎動 ユウ VS イネア」

 俺の目をしっかりと見て、少し考える素振りしてからイネアは告げてきた。


「断る」

「どうしてだ。少しだけでいい」

「何か魂胆があるのだろう。私の目は誤魔化せんぞ」

「……へえ」


 瞬間、腰にかけた銃を抜き出した。

 躊躇いなく眉間を狙い、弾を打ち込む。

 本気の早撃ちだ。コンマ十数秒もかからない。

 だが気付いたときには――彼女は銃弾を二本の指で摘み取っていた。


「何をする?」


 その問いには答えない。

 無言のまま銃口を向けていると、彼女は睨みを強めた。


「この世界の武器ではないな」

「銃と言う。本来なら人を殺せる武器なんだけどな」

「私に並みの武器は効かないぞ」

「だが『防いだ』な」


 ぴくりと彼女の眉が動くのを、見逃さなかった。

 左手に銃を持ったまま、滑るような足捌きで一気に距離を詰める。

 すかさず、上段に向かって全力の蹴りを放った。

 だがそれも、彼女が軽く腕を添えただけで軽く受け止められてしまう。

 まるで鉄の塊でも蹴りつけたような鈍い痛みを足に覚えて、呻くのをこらえるのがやっとだった。

 彼女は瞳に怒りを滲ませながらも、表情には強者の自負と余裕が見える。


「フェバルとは言っても、まだろくに力の使い方も知らないようだな」

「そうだな。認めるよ。俺はまだ何も知らない」

子供ガキが。粋がるなよ」

「こうでもしないとやる気を出してくれそうにないからな」


 蹴り上げた足をゆっくりと下ろす。

 俺の意図を察した彼女は、怒りの上に呆れの感情をさらに付け加えたようだった。


「痛い目を見ることになるぞ」

「ぜひ見せてもらいたいものだな」


 やり方は強引だったが、これで合意は取った。

 踏み込むと同時、心臓を狙って貫き手を繰り出す。

 この女相手に手加減をする愚は犯さない。当然、殺すつもりの一撃だ。

 イネアはまったく動じていなかった。

 刹那、水の流れるがごとく滑らかかつ最小限の体捌きで、俺の攻撃を避ける。

 その人間離れした動きを辛うじて認識できたときには、肘の急所に手刀が叩き込まれていた。


「……っ……!」


 耐えがたいほどの激痛が走る。

 だが怯む隙など、決して見せるわけにはいかない。

 銃を撃って牽制をしつつ、態勢を立て直す。

 すっかり腫れ上がった右腕は、しばらく使い物にならないだろう。

 しかし。

 その気になれば、すぐにでも俺を昏倒させることができたはず。

 随分加減が見えるな。思ったよりもずっと甘い奴のようだ。


 そしてその甘さが――俺を打ち倒す機をさらに一歩逃してしまうことになる。


 神がかった速度で迫る彼女の横蹴りを、大きく身を屈めて、すんでのところで避け切る。

 当たると思っていたのだろう。彼女の顔にわずかに驚きが浮かぶのが認められた。

 俺には完全ではないが、心を読み取る力がある。

 お前の心を読めば、事前にある程度の軌道は予測が付くのさ。

 そして、三度銃を向ける。

 隙を突いた上での、最接近距離からの銃撃だ。どうする。

 トリガーを引く。


 銃声が耳に響いたときには――彼女の姿は目前から消え失せていた。

 なに!?

 動揺が走った瞬間、背後から恐ろしいほどの気配を感じ取る。

 咄嗟に振り向こうとするが、まったく反応が間に合わない。

 速い。なんて速さだ。

 ようやく半身で振り返ったときには、目にも留まらぬ速さの拳が、既に腹のすぐそこまで迫っていた。

 ただ一つできたのは、攻撃を受け止める覚悟のみだった。

 重い拳が腹に深々と沈む。

 まるでトラックにでもはねられたような強烈な衝撃が、全身を一気に突き抜ける。

 為す術もなく吹っ飛ばされた俺は、道場の壁に激しく叩き付けられて、畳の上に倒れた。

 息ができない。気絶した方がマシだと思えるほど、地獄の苦しみだった。

 もがきながら、必死に地の藁を掴み、歯を食いしばって見上げる。

 するとそこには、冷ややかな目で俺を見下ろす彼女が仁王立ちしていた。


「手荒いことをさせてくれたものだ。後で壁の修理は手伝ってもらうぞ」

「うっ……げほっ……!」


 ようやく息ができるようになったが。

 身体が鉛のように重い。とても動かない。

 俺は、可笑しくてたまらなかった。

 はは。何てことだ。何て理不尽な世界なんだ。

 どれほど手を尽くしてみたところで、たった一撃でこの様か。

 これが異世界の強者。これが異世界で求められる強さ。

 効いた。


 ――本当に効いたよ。今のは。


 俺は、身の内から喜びが込み上げてくるのを止めることができなかった。


「覚えた」ぞ。


 気合いを入れると、全身を真っ白なオーラが包み込んでいく。

 もはや重さも気怠さも感じない。右腕もなんともない。

 羽が生えたように軽くなった身体をゆらりと起こして、これ見よがしに呟いた。


「なるほど。気はこうやって使うのか」

「お前……なぜだ!? どうやって!?」


 気力による身体能力の強化。まさかの事態だろう。

 戦慄に小さく身を震わせる彼女に向けて、不敵な笑みを返す。

 今や、彼女が身に纏っている気力のオーラがはっきりと視えるようになっていた。


 よくわかったよ。お前は本当に強い。

 さっきまでの俺では、絶対に勝てなかっただろう。


「教えてくれそうになかったからな。盗ませてもらった」

「馬鹿な!? あり得ない!」


 だが状況は百八十度変わった。

 もう一度言うが、イネアは強い。

 そんな彼女にさえ俺が恐れられた理由が、今はっきりと理解できた。

 元々の基礎気力値が圧倒的に違うのだ。

 彼女と比べても、まるで大人と赤子。いやそれ以上だ。

 いかに向こうが技と経験に優れていようとも、これほどの差を覆すのは極めて困難だ。


「素晴らしい力だな。礼を言うよ。これで一歩進むことができた」

「そうか。それがお前の能力なんだな……!」


 先ほどまでの余裕はどこへ行ったのか。冷や汗まで掻いている。

 ふとそこに落ちている銃が目に映った。壁に叩き付けられたときに落としたのか。

 もうこんなものは必要ないな。

 一瞥だけくれて、俺は彼女に向き直る。

 さて。散々痛めつけてもらったお礼だ。やられた分はやり返す。


「せっかくだ。もっと色々と見せてもらうぞ」

「なに?」


 最大限警戒を強めて身構える彼女に、俺は笑みを向けた。

 この力を振るうのが楽しみだ。


「大丈夫。あなたは強いから、そう簡単には死なない」


 次の瞬間、俺は彼女の首筋を狙って気を込めた手刀を叩き込んでいた。

 それも、彼女が全力を出せば辛うじて防げる程度の強さで。


「でも手を抜いたら死ぬかもな」

「くっ……お前……!」

「何十年も生徒がいなかったんだろう? 俺が久しぶりの生徒になってあげるよ。その代わり、とことん稽古に付き合ってもらうよ。イネア

「こ、の……! ふざけるな!」


 振り払うように放たれた拳も、今はしっかりと捉えることができた。

 悠々とかわしてみせる。

 リベンジだ。返す攻撃で、あえて上段に向かって同じように蹴りを放つ。

 彼女はやはり腕を上げて防ごうとした。

 その腕ごと打ち砕いてやるつもりだったが、返って来たのはまたもや硬い感触だった。

 彼女が腕に気を集中して、そこだけ防御力を上げたのだ。


「へえ。気を一点に固めて防御したのか」

「そう簡単にはやられん」

「いいな。それも覚えた」

「くそ。なんて奴だ」


 ここから先の戦いは一方的な展開になった。

 俺の圧倒的な身体能力の前にイネアは為す術もなく、防戦一方だ。

 俺も俺で、あえて一思いに倒し切らずに、彼女の持てるすべてを引き出して吸収しようと試みた。

 彼女は必死に抵抗したが、下手すれば命を落とす「稽古」の中で、徐々に力を出していかざるを得ない。

 おかげで概ね狙いは上手くいった。


「お前は危険だ。ここで止めさせてもらう!」


 そして追い詰められた彼女は、とうとう本気を出した。

 これまで無手で戦ってきたのが、気剣を抜いたのだ。

 彼女の右手に、見るも鮮やかな白の刀身が現れた。それはちょうどこの道場の表で目にした看板の絵に瓜二つのものだった。

 煌々と輝きを放つ気剣を腰に落として、やや引くような形で構える。


「そうやって見せていけば、それだけ俺も強くなる」


 俺もそのまま真似をして、一切遜色のない出来栄えの気剣を創り出す。

 左利きである俺は、彼女とは逆に剣を左手に持って同様の構えを取った。


「いたちごっこもこれで終わりだ」


 彼女は剣を構えたまま、こちらに向かって神速で駆け出した。

 駆けながら、剣にさらに気を込めていく。白の刀身は一層眩いばかりの光を放ち、青白く色付いていく。

 気迫でわかる。彼女はこの一撃に勝負を賭けているのだ。

 なるほど。下手に小出しして剣まで学ばせる前に、大技の一撃で決めてしまおうというわけか。 

 初見の技を真似する場合、俺はどうしても後手に回る。今からあれを真似する余裕はない。

 このままで迎え撃つしかない。

 一瞬でそう判断し、俺も白のままの気剣を振り上げ、彼女に応じて駆け出した。


 ついに接触する刹那、彼女の心の叫びが聞こえてくる。


《センクレイズ》!


 二つの剣が交わるとき、大気を揺るがすほどの衝撃が炸裂し――収束する。


 そして、決着がついた。


「……それが奥義か。恐ろしい威力だった」


 まとも当たっていれば、負けていたのは俺かもしれないな。

 そう思わせるほどに、凄まじい技だった。


「だが、あと一歩及ばなかったな」


 彼女の身体が、ぐらりと崩れ落ちてゆく。

 ほんのわずかだが、俺の峰打ちの方が先に入っていたのだ。


 俺には元々自身の戦闘経験と、母さんから受け継いだ天性の戦闘スキルがある。

 それに、この戦いで吸収した「イネア自身」の動きのセンスをプラスしてやれば――負ける道理はない。


 先とは対照的な構図だった。

 まったく動けずに地にうずくまる彼女を、俺が見下ろしている。

 無様を晒す彼女を見つめながら、俺はこの戦いで得られたものに心から満足していた。

 これほどのものを与えてくれた彼女には、素直に敬意を表したい。


「感謝する。おかげで大分強くなれた」

「…………待て……」


 ……気絶したと思っていたが。まだ意識が残っていたのか。


「何か言いたいことでも」

「こんな真似をして……お前は、これからどうする気なんだ……」

「別に何もしないさ。この力もどこかで必要になるかもしれないから、ただ欲しかっただけのことだ」

「ふ、ふ。この、欲張りめ……!」


 欲張りか。確かにその通りかもしれないな。

 手を伸ばせば手に入るものなら、何だって掴みたいさ。

 世の中には、思い通りにならないことの方が多い。

 ……あまりにも多過ぎた。

 力はあるに越したことはない。手持ちのカードはいつだってあるに越したことはない。


「俺はしばらくこの町にいる。仕返しをしたいなら、いつでも会いに来てくれて構わない」


 もうここには用はない。踵を返そうとしたところで――。


「お前は、哀しい奴だな……」


 彼女の心には、怒りはもうなかった。

 ただ哀しみと同情に満ちていた。


「……そうか。じゃあ、さようなら」


 なぜだろうか。あんなことは言われ慣れているはずなのに。

 どこか寂しいような気分が込み上げるのを感じながら、俺は道場を立ち去った。

 最後まで一度も、彼女に振り返ることはしなかった。

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