5「気剣術のイネア」
そろそろ新しい生活のための情報収集を本格的に始めようと考えた。
情報集めと言えば、やはり図書館が定番だろう。
というわけで、魔力を測った翌日。
俺はサークリス市立図書館に向かおうとまた外出していた。
この世界にはまだ大量印刷の技術はないようだ。本は貴重品なので、貸し出しはしていないとアリスから聞いた。
とは言え、完全記憶能力を持つ俺には関係ない。ざっとでも目を通しておけば、後でゆっくり『心の世界』から参照することができる。
それはさておきだ。
――さっきから、誰かに監視されている。
背後より何者かの強い警戒心をずっと感じていた。
誰かは知らないが、気配を隠すのが恐ろしく上手い。俺に他人の心を感じ取る力がなければ、おそらくまったく気付けなかっただろう。
それほど完璧な気配の消し方だ。相当の手練れであることは間違いない。
まさか。こんなに早く魔力のことがばれたのか。それで誰かを差し向けられたのか?
いや。昨日の今日だぞ。口止めもしている。
確証もない情報にここまでの奴が動くだろうか。おそらく別件だろう。
相手を警戒しつつ、人気のない路地へと誘導していく。
向こうも俺の意図には気付いているだろうが、あえて乗ってきた。
どこまでも迷いなく付いてくる。己の腕に自信がある奴の動きだ。
歩みを速めながら、腰の銃に目を落とす。
またこいつを使うことにならなければ良いけどな。そもそも、こんなものが通用する相手かどうか。
さあ。何が出て来る。
誰もいなくなったところで、俺は振り返った。
「何が目的だ。いい加減出て来いよ」
やや間があって、物陰から現れたのは、金髪を後ろに束ねた綺麗な女だった。
胸元の開いた服装や、どこか艶めかしさを感じさせるすっとした顔つきが、妙齢らしい大人の雰囲気を醸している。だが実際には、まだまだ若いようにも見える。
この女。できる。
彼女の全身から放たれる何か底知れない力強さと、まったく隙のない立ち構えを目の当たりにして。
俺は嫌な冷や汗が流れるのを感じた。
予想以上の手練れだ。おそらく、俺よりも強い。
どういうわけだろうか。彼女はまるで敵対する者に向けるかのような、そんな鋭い睨みをこちらに利かせていた。
あくまで初対面の奴に警戒されるようなことは何もしなかったはずだが。
そこで、彼女が重々しく口を開いた。
「お前は何者だ」
「ただの旅人さ。しばらくこの町に滞在することにしたんだ。別に何かをしようというわけじゃない」
両手を開いて肩を竦め、敵意がないことをアピールする。
「どうだかな……まあいい」
俺の言葉を聞いて、彼女は多少は警戒を和らげてくれたようだ。
身にかかる威圧がほんの少しだけ緩まった。
俺もわずかに安堵する。とりあえず話の通じない相手ではなさそうだ。
「用事が済んで町に帰ってきてみれば、人の身ではあり得ないほどの恐ろしい潜在気力を感じ取った。それで追ってみたら、まさかこんな子供だったとはな」
魔法の次は気か。次から次へと不思議な力が湧いて出て来るな。
「魔力も桁外れの高さとは……」
彼女の眉根に皺が寄る。
「相反する二つの絶大な力を、お前はたった一つの身で兼ね備えている。どういうわけだ? 本来ならば、絶対にあり得ないことなのだ」
よくはわからないが、魔力と気力は相反しているものなのか。
真剣な口ぶりからすると、どちらも高いというのは余程おかしなことらしい。
と言われても、俺には何のことだかさっぱりだけど。
返す言葉が見つからずに黙っていると、彼女はきっぱりと断言した。
「お前、ただの人間ではないな」
目が本気だ。適当な嘘で固めてお茶を濁せる状況でもないな。
それにこのままだんまりで切り抜けられそうな甘い相手でもない。
「どうだろうな。正直なところ、自分でもよくわからないんだ」
これは本心だ。こんな力があると知らされてからというもの、自分のことがさっぱりわからない。
こちらを品定めするように見つめる彼女に、冗談話でもするかのような調子で切り返す。
「例えば違う世界から来たと言って、信じるか」
「なに!?」
すると彼女は、予想していたところからは意外なほど大きな動揺を見せた。
一体何を突いてしまったのだろうか。
訝しむ間もなく、彼女はさらに思いも寄らぬ言葉を発したのだった。
「ではお前は……まさか、フェバルなのか?」
「知っているのか」
こっちがまさかだ。その単語をこんなところで聞くとは思わなかった。
「なるほど。道理で……」
彼女は一人勝手に納得したように頷くと、今度は妙に神妙な面持ちになった。
「一つ尋ねたい。ジルフ・アーライズという男を知らないか?」
「いや。悪いけど知らないな」
正直に答えると、彼女は「そうか……」と落胆した様子で肩を落とした。
察するに、大事な知り合いなのだろうか。
彼女はすぐに教えてくれた。
「ジルフ・アーライズは、かつて私の師だったフェバルだ」
彼女は何かを思い返すように遠い目をして、どこかもの悲しげに視線を落とす。
が、すぐに顔を上げて俺の顔を見つめ直した。
「ラシール大平原。あそこにはかつて、エデルという魔法大国が存在していたことは知っているか」
「知り合いから聞いたことがある」
まあアリスのことだけど。
「三百年ほど前のことだ。あの国は、恐ろしく大規模な魔法実験の失敗によって、一夜にして破滅を迎えた」
「一体どんな実験をすればそんなことになるんだ」
「さあな。噂によれば、世界を繋げる実験だったとか」
「へえ。それで?」
促すと、頷いて彼女は続ける。
「実験の影響はあまりにも凄まじかった。エデルにいた者はほぼすべてが死に絶えた。そればかりでなく、危うく世界全体が無に飲み込まれてしまうところだったのだ」
「そんなとんでもないことになったのか」
「ああ。そのとき、命を賭して世界を救ってくれたのが他ならぬ師だった。師はフェバルとして全力を振るった。結果としてエデルは鎮まり、そのまま地下深くに沈んでいったが……師は行方が知れなくなってしまった」
「なるほど。それはお気の毒に」
「……フェバルは仮に亡くなったとしても、次の世界では蘇るという。私にはそれが本当かどうかもわからないが……ただどこかで無事に生きてさえいてくれればと、そう思うのだ」
……俺にもわからないな。わざわざ死んでみようとも思えない。
ともかく。彼女の事情は大体わかった。
心を読み取る限り、嘘を吐いているわけでもないだろう。
「生きているといいな」
「そうだな……。すまない。いきなりこんなことを話してしまって」
「別にいいさ。手がかりがあれば縋るのは当然のことだ」
「すまないな」
いつの間にか、お互いすっかり警戒は解けていた。
多少打ち解けてみれば、思ったよりも裏のなく親しみやすそうな人物ではあるようだ。
ただ鋭い目つきはそのままだった。これは元々のものらしい。まあ俺も人のことは言えないけれど。
この分だと、俺を付けてきた理由もそのままのようだな。単純に俺の力を警戒していただけだと。
とすると、測定器なんかに頼らずとも、魔力や気力なるものを察知する術があることになるわけか。気になるな。
あとそれにだ。考えてみれば、三百年も前のことをまるで実体験のように話しているのは、どうにも変じゃないか。
見た目からすればそんなに歳がいっているようにも見えないのだが。
俺は彼女に興味を覚えた。折角フェバルを知る者に出会えたのだ。じっくり話を伺っておきたい。
いつでも行ける図書館に行くよりは、ずっと有益な時間になりそうだ。
「そう言えば自己紹介がまだだったな。俺はユウ。君の予想通り、フェバルだよ。と言っても、実はなったばかりでね。この世界にも来たばかりだ。あまり事情には詳しくない」
「そうだったのか。私はイネア。サークリス剣術学校の気剣術科で講師をしている者だ。まあ講師とは言っても、このところ数十年は弟子を持ったことはないのだがな」
剣術学校の人間だったのか。確か魔法学校に併設しているんだったかな。
気剣術。気で剣術をすると。どんなものだろうな。
そしてやはりというか、長らく生きているような口ぶりだ。ちょっと尋ねてみるか。
「数十年と言う割には、随分と若く見えるけど」
すると、彼女は「ふふ」と初めて小さく笑った。
「若い、か。確かに我々の種族としてはまだ若い方だな。だが私は、エデルが滅びる少し前に生まれて、それからずっと生きている。ネスラだからな」
「ネスラというのは?」
聞いたことのない言葉に首を傾げると、彼女の眉根がわずかに寄った。
「知らないのか? まあ、私のように人里で暮らすのは珍しいからな」
「そういうものか」
「うむ。ネスラとは、人間たちが長命種に分類する一種族のことだ。平均寿命は千二百年ほどで、普通は森の奥深くでずっと暮らしている」
「へえ。そんな種族がいるのか」
エルフみたいなものか。と言っても――。
じろじろ見回すと、彼女が怪訝な顔をしたのですぐに止めた。
特に見た目に違いはないんだな。耳が長かったりするわけでもない。
さて。
「折角会えた縁だ。できれば色々と伺いたいんだけど、お願いしても良いだろうか」
「師は言っていた。自分と同じ運命を持つ者がもし現れたら、そのときはそいつを助けてやってくれないか、と」
そう言うと、彼女は改めて俺の目をじっと見つめてきた。
まるで俺という人物を余さず見透かすような、鋭く真剣な目で。
彼女はまた少しの間、何か思案するように目を閉じる。
再び開くと、静かに口を開いた。
「危ういな」
「何が」
「お前の目だ。必要な目的のためならば、どこまでも容赦をしない。そんな目をしている」
「だろうな。俺はそうやって生きてきた」
それが何か悪いとでも。そうしなければとっくの昔に死んでいる。
そんな俺の諦観を見て取りつつ、彼女は慎重に言葉を選ぶように言った。
「間違っているとは言わない。ただ……お前のような者に力を貸してやることが、果たして正しいのか。私にはわからないな」
「そうか。頼ろうとして悪かった」
そんなことを言われてしまっては、仕方がない。相容れなかったということだ。
踵を返そうとしたところで、だが彼女は強く引き止めてきた。
どこか心配そうな顔をして。
「待て。そう拗ねるな。話ならしよう。道場へ付いて来い」
感情としてはもうどこかへ行ってしまいたかったが、それだけで背を向けるほど子供にもなれなかった。
とにかく話はしてくれるようだ。
俺は小さく嘆息して、彼女の後を付いていくことにした。
***
『サークリス剣術学校 気剣術科』
剣術学校のあるはずの大通りを過ぎて、脇の小道に入っていってしばらくしたところ。
古臭い木の看板には、そう書かれていた。
どうやらアリスに聞いていたのとは、まったく別の校舎のようだ。
簡素な造りの建物は、大きさだけは立派だったが、見るからに相当古びていた。所々塗装も剥げている。
校舎というよりは、まさに道場と呼ぶのが相応しい感じがする。
入り口の上には、光り輝く白い剣の絵が大きく描かれていた。
目の前の彼女が教えているという気剣術とやらのモチーフだろうか。
イネアに案内されて、中に入る。
すると、一面が畳に敷き詰められているだけの殺風景な大広間が視界に開けた。
奥には一つだけ控えめにドアがある。その向こうが生活用のスペースなのだろうか。
促されて、適当な場所に正座する。彼女も続いて正座し、一呼吸置いてから話し始めた。
まずは魔力と気力というものについて、一通りの基本的なことを教えてもらった。
アリスにも言われたことだが、この世界の常識では、魔力とは、魔素を己の身に受け入れて利用する能力のこととされていた。
だが世界を渡り歩くフェバルの基準によれば、この定義では狭いらしい。
地球のように魔素がない世界も存在するわけで、その場合にも適用可能な定義が採用されている。
すなわち魔力とは、外界の要素を自己の内に取り入れて利用する力のことを言う。
反対に気力とは、自己の内の要素を外界に取り出して利用する力のことを言う。
魔力だとか気力だとか呼んではいるが、これはあくまで慣習的な呼び方で、実際はもっと抽象的で広範な力のことを指すわけだ。
魔力と気力、二つの力のベクトルは真逆であるがゆえに、反発し合う。
ゆえに、魔力が強い者はその分気力が抑えられてしまい、気力が強い者はその分魔力が抑えられてしまうことになる。
だから、どちらも高いレベルで備える人間は本来あり得ない。それが世界の理であり、人間の限界だと教わった。
とすると、つまり俺は完全に例外ということになる。フェバルは世界の理を超えてしまう存在のようだ。
さらに説明は続く。
魔力は距離に関係なく作用させることができるのに対し、気力は一度使用者の手を離れれば大気中に霧散してしまう。
そのため、使用対象までの距離が長くなるにつれて、加速度的に弱まってしまうという弱点が存在するようだ。
ゆえに通常、気力は身体からごく近い距離においての使用に限られている。基本的には接近戦にしか使えないのである。
そこで、気力を用いて気剣という特殊な剣を作り出し、それをもって戦う気剣術なるものが、ジルフ・アーライズの手によって考案された。
気剣は手から直接繋がっているため、気力を最も強力な形で運用する一つの手段ということになる。
その術を師から受け継いで、一部の技をフェバル以外にも満足に扱えるようにアレンジしたのがイネアということらしい。
こう聞くと、距離による制限を受けない魔力の方が気力よりも優れているように思えるが。
気力には、魔力に対して優位な点が二つある。
一つは、身体能力の直接的な強化が容易いこと。
もう一つは、回復に使用するのが容易なことである。
これらの効果を実現するものは、魔法の中には直接は存在しない。
身体強化魔法も回復魔法もありそうだが、実際にはないようだ。
他にも様々なことが聞けた。
一応他の情報と突き合わせて裏付けは必要だろうが、おそらく嘘は言っていないだろう。
思った通り、非常に実りある時間を過ごすことができた。
俺が絶大な魔力と気力を同時に有していること。
この力をしっかりと把握し、使いこなすことができれば――どれほどのことができるだろうか。
これからどのような異世界が待っていようと、何が立ち塞がろうと。何も恐れるものはない。
もしそれだけの強さを手に入れれば。
少しは変えられるだろうか。自分の運命を。
「なるほど。色々とわかったよ」
「少しは役に立てたか」
「ああ。助かった。ところで、頼みがある」
「なんだ」
「少しだけでいい。ここで手合せをしてくれないか。強いんだろう」
「それなりにはな」
「この世界での戦いがどんなものか、一度くらい身をもって経験しておきたいんだ。頼む」
ここから一歩を踏み出す。
まずは目の前のこの女から――学び取る。
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