31「ユウ、怒る」

 …………。


 いつまでそうしていたことだろう。

 彼女を見つめて項垂れていた俺は、ようやく身を起こした。

 頬についた涙の痕は枯れていた。

 今度こそ、もう二度と泣くことはないだろう。

 カルラ。

 その身が残っていたのはまだ救いなのだろうか。わからない。

 イネアとアーガスは……死体も残らなかった。

 そうだ。せめて服を着せてやろう。傷も治してやろう。

 手をかざすと、彼女の傷と痣だらけの身体は、みるみるうちに元の綺麗な姿へと戻った。

 何度か抱いた、あの彼女の美しい身体だ。

 そして可哀想な裸身を、よく好んで着ていた服が包み込む。

 だが命は戻らない。


「すまなかった」


 俺のせいだ。

 三人とも、俺と出会わなければ。

 奴は関心を持たなかっただろう。こんな結末にはならなかったはずだ。

 俺に近づいた者は。親しくし過ぎた者は、みんな俺より先に死んでいく。

 この世界の人たちは、みんな優しかった。忌まわしい記憶を薄れさせてしまうほどには。

 もしかしたらと、無意識に期待してしまった部分もあったのかもしれない。

 思い知らされたよ。俺はそういう運命の持ち主だった。

 当たり前の幸せなど、望むべきではなかった。

 こんなことなら、俺一人でいればよかったのに。


 ラシール大平原で、大爆発が起こった。


 心は動じなかった。奴ならば簡単にやれてしまうだろう。

 目的は《クロルエンダー》か。わかっている。

 奴の手に渡すわけにはいかない。これ以上あいつの好きにはさせない。

 その前に決着をつけてやる。


 奴は化け物だ。そして俺もな。


 今の俺には、かつてないほどの力が漲っていた。

 あまりにも馬鹿馬鹿しいタイミングだ。

 かけがえのないものを失ってから、ようやく気付くなんて。

 わかりかけてきた気がする。

 カルラの決死の想いが教えてくれたのだ。

 あの野郎をこの手で打ち破る、唯一の可能性を。

 俺の能力の本質は、便利な学習記憶能力ではない。

『心の世界』の力とは、想いの力だ。

 心のありようでいかようにも強くなり、弱くもなる。

 これまで俺はどこかで、あいつに敵わないと思っていた。

 それでは、敵うわけもなかったのだ。

 今俺の中で、沸々と怒りが燃え上っていた。

 もはや一時の激情に過ぎないものではなく、時を追うごとに静かに力を増していく。

 俺は怒っていた。この上もなく。怒っていた。

 奴は強い。この世界の誰よりも圧倒的に強い。

 この感情の力に気付いたとしても、敵うかどうかはまだわからない。

 だからと言って逃げるのか。目を背けるのか。

 自明だ。

 このまま許すはずがない。許せるはずがない。

 勝算など、問題ではないのだ。

 戦う。そして、殺す。

 決めたことだ。俺がやる。

 やり遂げる。どんな手を使っても。何が犠牲になろうとも。

 俺はあいつを許さない。絶対にだ。

 必ず報いは受けてもらう。


 決意を胸に、彼女をそっと抱き上げる。

 力なくくたびれた彼女の身体は、悲しいほどに軽かった。

 俺は転移した。

 やって来たのは、町はずれの墓地だ。

 そこに彼女の亡くなった彼、エイク・ナルバスタの墓がある。

 俺は彼女を、彼と同じ墓に埋めた。せめて彼の隣で安らかに眠れと願って。

 それが彼女の最期の願いだったから。

 埋めている間、何か。ちくりと胸を刺すものがあった。

 彼女が最期に想ったのは、やはり彼だった。所詮俺は埋め合わせでしかなかった。

 わかりきっていたことなのに。正直に言えば、少し寂しいと思った。

 それでも。彼女の献身のおかげで、今こうして生きていることには変わりない。

 同情から始まった付き合いだったが。

 触れ合ううちに、愛のようなものを感じてしまっていたのかもしれないな。


「おやすみ」


 最期に彼女の顔を埋めて。墓に背を向ける。

 前を向く俺の暗い決意に、迷いはなかった。



 ***



「では行くとしよう」


 そう呟いた奴の背中に。容赦なく撃ち込む。


《セインブラスター》


 通常は放射状に広がっていくそれを。一発で町を消し飛ばしてなおお釣りが来るほどの威力の光線を。

 ただ一つの目標――あの男に向けて収斂させる。

 宣戦布告の一撃は、予想通り、当たらなかった。

 振り向いた奴の前で避けるように弾け、周囲の建物にぶつかる。建物のすべては、一瞬で溶けて消えた。

 中に住民がいたかもしれない。今ので何人死んだかわからない。

 だがそれも気にしない。

 この戦い。遠慮はできない。容赦なくやり切る。


「よう」


 声をかける。

 奴は――ヴィッターヴァイツは、退屈そうに眉をしかめて。


「来ると思っていたぞ。こんなにすぐとは思わなかったがな」

「あそこに行くのは、俺と決着をつけてからにしろ」


 今や上空に浮かび上がり、かつての壮大な姿をまざまざと見せ付ける魔法都市エデル。

 あの場所には行かせない。ここでお前は死ぬんだ。


「決着だと。くっくっく」


 馬鹿にした嗤いをこぼすヴィッターヴァイツ。


「そう言えば、なぜ動けるのだ。痛めつけてやったのはどう――」


 奴の問いを無視し。


「俺は――」


 一瞬の内に、奴の懐へ飛び込んでいた。

 胴を真っ二つにするつもりで、気剣を振り払う。

 鈍い衝撃。

 余波で大気が切り裂かれ、遠くで何か大きなものが崩れ落ちる音がした。

 剣は止められていた。だが手応えはあった。


「このオレに、手を……!」


 初めて戸惑いを見せた奴に向かって、静かな怒りをぶつける。


「俺は、怒っているんだ」

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