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雨傘をさしていると、傘の布部分に雨粒が落ちてくる。
私は傘の「音の音符」を聞きながら、腕に抱える楽譜の束が雨に濡れないよう袖の下に隠した。
私が持っている楽譜の譜面にいる音符たちは、色も散り散りにそれぞれ無秩序に入り乱れていた。
だが傘に当たって砕け散る音符たちの音は秩序だって耳に入り、脳を刺激し心に残るソロピアノの歌を、そう、例えるならばお祭りのときに出店としてやってくる射的屋さんのコルク銃の弾のように、鼓膜にあたってははじけ、耳の中に残り、転がって外に出ていく。
ぽろぽろと耳の中から音がこぼれ落ちていくのは実に妙な表現だが、音自身は鼓膜を震わせ、神経を震わせ、脳に入って心に吸われていく。下に落ちていくのは音という名の空薬莢だと思ってくれていい。
ただ秩序だったソロピアノの音はあくまでも傘の上に乱雑に降ってくる雨粒の音の解釈であって、本当に私が表したい音楽は、譜面の中にギザギザ状のダーツ、あるいは投げ矢、雷、子供向けの動物の人形、腕時計、バンドエイド、コーヒーの注がれたガラスコップとして封じられている。
無秩序な彼らは楽譜を開けば一斉に外に向かって飛び出していく。そして二度と元に戻ってこない。
縛り付けられている譜面上のそれらは小刻みに振動し、干渉し合い、不協和音や金属の衝突音などを不規則に発しながら無理やり5本線と5本線の間に縛り付けられている。
もし、これらが雨に濡れて溶け出すことがあったなら。
私は楽譜を閉じて彼らを元に戻すことはできないだろう。
ではずっと閉じ込めておけばいいのか?
そういうつもりはない。いつかきっと、私は今よりもっと美しい譜面を描けるようになるはずだ。
それとは別に、この譜を閉じている蝶番は頼りない。
今は、雨から凌げてはいるが、中に封じた音符たちをしっかり封じることができていない。
もし彼らが私の譜面から飛び出して行ったら、もう二度と彼らは私の手の中に戻ってこないだろう。
そんなことを考えながら、私はまだ傘をさしている。
規則正しく、秩序にそって正しく響く、小雨のソロを聞きながら。