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着々と泥の時代が近づいてきていると痛感する。
だが悲観することはない。土は土に、泥は泥に還るだけのことだけだ。我々は作られし泥人形。いつかは母なる泥に還っていくのだ。願わくば、その過程が苦しみなく平穏であればよいと思うだけである。
と言う、汚らしい格好をした怪しい禅僧のような男が立っている辻がある。
ここは辻なので道が幾重にも分かれていて、まあ最終的にはどれも似たような場所にたどり着くのだろうがその過程で出会う人々が違うといったところか。
もう片方、別の道には汚らしい乞食の格好をした男が藁を敷いて座っていて、段ボールに「私は仕事がうまくいかず、今日寝る場所もありません。どうか愛とお恵みをください」と書いてあぐらをかき、腕を組んで瞼をつぶっている。
私はと言うと、もう乞食みたいな格好をしていた。
いや乞食よりも酷いかもしれない。今日の私は、大きな泥の塊であった。
なぜこんな姿かというと、世の中の本当にくだらないところに躓いて、うまくいかないことが何度も連続してあったからだ。
世の中には調子がいいとウサギのように軽やかに飛び跳ねてなんなら背中に羽が生えて頭にも王冠がついてしまう人がいると言う。
かと思うと足元につまずいてカエルのようになったり、飛び跳ねられなくてみみずみたいになってしまうらしい。
私はミミズではなく泥スライムになったようだ。
昔のように夕闇にワクワクしなくなったし、目をキラキラさせて星空を見ることも無くなった。
若い少女のように世界に希望が満ち溢れるなんてこともなくなった。
ただ諦めというか。ギラギラした出刃包丁を胸元に持っていると自分に言い聞かせ長rし、過去に描いた地図を懐かしそうに何度も見上げ、それがまるで懐かしい自分の過去の思い出写真だなどと思いながら段々と足が重くなっていくのを、ちびりちびりと水を舐めながら楽しんでいる。
楽しいもんか。あの日あの時の自分はもう少しだけ色々できた。これからもできると無責任に思っていた。
なのに見てみろ。今じゃあ無責任に、あれもできないこれもできないと自分に言い聞かせているだけではないか。
こんな気持ちをどうやって消化すればいい?
誰にぶつけて、どう解決すればいい?
自らの胸に手を当てて、今まさに少し考えてみたんだ。
すると、自分には腕があることに気がついた。
泥スライムからふたたび腕が伸びた瞬間だ。