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物語をつらつらと

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三人の女神が舞を踊り、一人は歌を、一人は詩を、一人は他の二人が紡ぐ芸術の根源そのものに合わせて舞っている。
場所は山の上だろうか。場所は定かでは無いが、ミューズ、と名乗るその少女にとってここの山は自分の旅路の最初の出発点でもあった。この山はここにあるし、なんなら旅先のそこにもあるし、海を渡る船の先端からも覗けるし疲れた時に腰掛けるちょうど手頃な大きさの石があるのもその山だ。
ミューズという少女は、彼女ら三人の女神を知っていた。けどミューズは、その三人を知らなかった。知っているつもりではいたけれど、そこまで興味がなかったのがすべての原因だった。

「あなたの名前はなんと言うの?」

ミューズは舞や詩の合間をぬって、一人の女神に問いかけた。当然、その女神はミューズの問いかけに答えなかったし、ミューズもそうだろうと思っていた。
ただ、歌を歌う方の女神の歌を聴いているうちに、ミューズはふと、一人目の女神の名前に気がつくのだった。
ミューズはポンと手を打つと、湧いて出てきた女神の名前に納得をしたのだった。
「あなたはアエーデと言うのね!」

ミューズが言うと、言われた女神の一人がにっこり微笑んだ。彼女は歌を歌う女神の方だ。彼女は盲目で、心の底から湧いて出てくる歌声を……すくなくともミューズにはそう見えた、純朴で、古典的で、一人で歌い上げているのにまるで複数の男や女たちがすべてこの世に存在する形のないものやあるものたちの声や姿を、これである、と、歌と声だけで指し示しているような、情緒的で、激しく、時としてゆっくりと、あるはずのない鼓動を背後に伴うようにして朗々と歌っている。
目は見えていないはずなのに、なぜ彼女はこの世のすべてを知っているのだろうか。
ミューズは、布で目を隠している彼女の歌を聞き続けた。

「……あなたは、メモリア!」
ミューズはもう一人の女神を指差した。
こちらは詩を朗読している女神だ。メモリアはアエーデの歌に合わせて詩を詠んでいる。詩はすでにたくさん作られているのか、アエーデの歌は永遠に続きそうなはずなのに、メモリアの詠む詩も終わりはありそうにない。
でもメモリアが持っているのは、粘土板が数枚あるだけなのだ。
ミューズは、地面に座るメモリアのたもとの粘土板の枚数を、いち、に、さんと指をさして何度も数え直してみたが、それでもやっぱり、三枚以上あるようには見えない。
ただメモリアが詠み続けている詩は即興でその場で作っている訳ではなく、たしかに粘土板に書かれている文字を読み上げているようだった。

意地悪なミューズはメモリアが粘土板を交換するタイミングをじっと見続けてその矛盾を確かめようとしたが、メモリアはちらとミューズの視線を気にしただけで、特に何の不思議もないように新しい粘土板を地面から掬い取って新しく目の前にかざして読み上げた。
よく見ると、メモリアの周りには文字が影のようになって踊っている。三人の女神が芸の根源を魂のかがり火として燃やし、この暗い山の中に強くたぎる炎と熱を灯そうとしている、メモリアはその魂の光に吸い寄せられる影の文字達を詠みあげているのだった。

暗い山の中には木立がある。針葉樹と紅葉樹、枯れ木、若木、さまざまな木や草、命はあっても物を言わぬそれらたちが紡ぐ詩が、淡い風となって炎に吸い込まれていく。文字たちはその風に乗ってやってくるのだ。
メモリアと名付けられた女神は、にこりと笑った。

そして三人目だ。
彼女の名前はメレテー。それは口に出さなくてもミューズには分かった。
メレテーは、アエーデの歌、メモリアの詩に合わせて振り付けを伴い炎の近くで踊っている。
だが彼女の踊りは、人としての中身がまるでない、例えて言うならば、薄く半透明な絹織物でできた服飾だけが、アエーデの歌、メモリアの市が指し示すその場その瞬間よりほんの少しだけ遅れて……言い方を変えれば、優雅「風」に舞っているのだ。
女神の衣の中にいるはずであろうメレテーの姿は見えない。すくなくともミューズの目には見えなかった。
だからミューズは、メレテーの名前を言うことができなかった。ミューズはメレテーがいるのは分かったが、メレテーがどのような姿で、どのように今を、どのように表現しているのかを。
ミューズは、それを言葉にして捉えることができなかった。

「無理をする実用はない」
メモリアと名付けられた女神がミューズに言った。
「おまえにはあれを見つけることは、容易くないはずだ」
「でもそれでは挨拶もできません」
「挨拶をする必要はないだろう」
メモリアとなった女神は、朗々と詩を詠み上げながらミューズに応えた。
「おまえはあれを追いかけるのだ。あれが今からどのように舞い、何を表現して、どう紡ぐのか。おまえがそうしたいのならすればいい。メレテーはおまえの問いには何も答えないだろうが、メレテーはおまえのする事を知っている。耳を澄まし、意識を集中して、五感を研ぎ澄ましていれば、いつかおまえにも、メレテーの感じている事が分かるようになるはずだろう」
メモリアはミューズに言った。

「この山はおまえの故郷だ。決して頂上はなく、道に終わりはない。化け物や奇怪なものたちの巣窟でもあるが、目を向ければこの素晴らしい世界を一望に見渡すこともできるだろう。おまえが選ぶのだ。成すことを成せ。道はまだ続いているぞ」
メモリアと名付けられた女神は言う。

「おまえが進む道のその先に、メレテーは常に居続けるだろう。おまえが何かの道を選ぶとき、そこにメレテーはいるだろう。おまえが闇の中に見るものの中に、メレテーはきっといるだろう。私はそれを詩にする。アエーデの言うことは気にするな」
メモリアは不敵に笑い、半目でミューズの顔をを見上げた。

見ればアエーデは少しムッとした顔をしたが、またすぐに布で目隠しをしているその下で笑顔を作り、永遠に終わることのない夜の歌を歌い続けた。

ミューズは、自分はミューズであると自分に名付けた。名前がないのはさすがに可哀想だろうと思ったからだ。

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