夏祭り(3)

 結局、ほのかが夏の課題を終わらせたのはお祭り最終日。

 それもお昼ご飯を返上して課題に取り組んでの正午過ぎだった。


「お、終わったあぁっ! 良かったぁ! 一瞬、間に合わないかと思ったよぉ」


 あたしとトキが見守る中、最後まで残していた読書感想文に最終の一行を書き入れ、ほのかは手放しで達成感に震えている。


「どれどれ」


 完成した読書感想文を手に取って見てみれば、それはなかなかユニークな仕上がりだった。

 内容は至ってシンプルで『心優しい登場人物達が可愛かった』といった本の内容に対する素直な感動が書かれている。

 しかし、半べそ掻きながら書いた文字には鬼気迫るものがあり、一見すると人の世の恨みつらみについて書かれているのでは? と、思うような字だった。

 けど、まあ、字面の凶悪さが課題の不可に繋がる筈もない。


「お疲れ、青丹さん。じゃあ、お祭り行こうか!」

「うんっ!」


 万歳して喜んでいたほのかの腕を掴んで引っ張り上げて立たせる。

 お祭りに行く準備だけは勉強会が始める前から終わらせていた。

 後は、お祭り会場まで走るだけだ。


「トキ、急ごう!」

「早くしないとお店しまっちゃうかもしれないです!」


 あたし達がバタバタと慌てて足踏みを始める中、トキは、落ち着き払って財布の中身を確認していた。


「そんなに慌てなくても、お祭りは夜までやってるみたいだから今からでも十分間に合うぞ」


 そう言って、忙しなく動き回るあたし達を彼は落ち着かせようとする。

 けど、トキは一つ思い違いをしていた。

 あたし達は、確かにお祭りに間に合うかと言う心配もしていたけど、それ以上に、一刻も早くお祭りに行きたくて仕方がなかったんだ。



 ◆



 商店街のお祭りということもあって、概観は華美なものではなかった。

 けど、普段見慣れた商店街に小さな出店が軒を連ね、提灯が吊るされ並ぶ様はお祭りという特別なイベント気分を十分に掻き立てる。

 まだ日も高い中売られるかき氷や、野外で冷水に浸かっているラムネ等の飲み物。

 屋台から熱気と一緒に芳ばしい匂いを漂わせる焼きそば、たこ焼き、フランクフルト。

 入り口に立っているだけで、体が――取分け口や胃が祭りを楽しみたいと訴えてくる。


「ねえねえ、向坂さん! まずはご飯食べようよ!」


 お昼ご飯も食べずに課題に取り組んでいたあたし達は同じ気持ちみたいだ。


「じゃあ、まずは食べ物屋さんからまわろっか。トキもそれでいいでしょ?」

「おう! 今日は課題頑張ったご褒美だ。食べ物は俺が奢るぞ」


 太っ腹なトキの発言に、空腹のあたしとほのかはパチンっと手を合わせて喜ぶ。

 その後、お祭りの雰囲気と人混みに流されながら、一通りの食べ物屋さんをまわった。

 お祭りの定番だと言いながら、ほのかがあたしの口にたこ焼きを放り込む。

 あたしが定番だといった焼きそばをほのかに一口分食べられる。

 大きな綿菓子を三人で千切りながら食べれば、甘い砂糖が口に溶けていき喉の渇きに繋がる。

 冷たいラムネを買い、夏の暑さに堪えた体を涼ませるために頬に当てたり、飲み終われば中のビー玉を取り出そうと試みた。

 そうやって遅い昼食の時間を過ごせば、時刻は夕方になっていく。

 けれど、真夏の夕方と言えばまだ昼間のように明るい。

 今から、ようやくあたし達は遊べる屋台をまわろうと言う所だ。


「金魚すくいがしたいなぁ」


 遠目に沢山の金魚が泳ぐ青いプラスチックケースを見てほのかが言うと、あたし達は自然と金魚すくいの屋台に足を向けた。


「すいません。三人分お願いします」

「はいよっ。六百円ねっ」


 トキがお金を払うとガタイの良いおじさんから金魚をすくうポイを受け取る。

 けど、おじさんの見た目と比べて渡されたポイはなんとも貧弱そうで心もとなかった。


「よぉし!」


 あたしがまじまじとポイを見つめていると、その間にほのかは意気揚々としゃがんで小さいボールに水を入れ、金魚をすくう体勢に入っていく。


「青丹さん、気合入ってるね」


 隣にしゃがんで横顔に話し掛けると、彼女は金魚から視線を逸らさずに「まあね」と答えた。

 少しして、ほのかがポイを構えていた傍、水面近くに金魚が二匹泳ぎこんでくる。

 すると、彼女はすぅっと手早く、斜めに水を切るようにポイ入水させ、さっと手首を返した。

 あたしは、何が起こったのかと目をぱちくりさせる。

 その一連、一瞬の動作の過程で、薄い紙が張られたポイの上に二匹の金魚が見えた。

 現在、その二匹は狭いボールの中をふよふよと泳いでいる。


「おおっ、お嬢ちゃんやるねぇ」


 おじさんの野太い声がほのかを褒めると、彼女はポイを片手に嬉しそうに照れて笑った。


「青丹さん……金魚すくい得意なんだね」


 感嘆の声を上げるあたしに、青丹さんは「えへへ」と笑って返しながらまた小さな金魚を掬って答える。


「得意かどうかはわかんないけど。好きだよ。それに、お祭りってお金かかるイベントだけど、金魚すくいはポイさえ破れなきゃいつまででも遊んでられるからお得だよね」

「あっ――」

「……逆を言えば、すぐにポイを破っちゃう人には痛切な遊びだね」


 すぐ隣でさっそくポイに大穴を空け声を上げたトキを見て、あたしは金魚すくいの光と闇を同時に垣間見た。



 その後、なんだかんだあたしもすぐにポイを金魚に破られてしまった。

 ほのかが「大きいのは狙わずに水面に上がってきた一匹をさっとすくうのがポイントだよ」と、アドバイスをくれたのだが、最初に狙った小さい金魚が思いの外元気で、すくい上げた瞬間にビチビチと薄い紙の上をまな板にでもあげられたかのように暴れてくれたからだ。

 おかげで、あたしはその小さな一匹とポイを心中させる結果になってしまった。



「まあ、一匹でもすくえたから良かったじゃないか」


 あれから十分程経っただろうか。

 未だに金魚すくいを続けているほのかを隣で見ているだけだと他のお客さんの迷惑になると思い、あたしとトキは少し離れた場所でほのかの後姿を見守っていた。

 あたしは今、手に先程ポイと心中を決めて見せた小さな赤い金魚が泳ぐビニール袋をつまんでいる。そして、一匹の戦果もなかったトキはあたしを称えている所だった。


「でも、まさかあんなに元気だとは思わなかったなぁ」


 透明なビニールの中を泳ぎまわる金魚を目で追いながら、率直な感想をこぼす。


「こんなに小さいのに……暴れてくれちゃってさ。愛想のない金魚だね」


 ビニール袋を目線の高さまで上げて眺めてみた。

 すると、視界の端にトキが見えて、あたしを見て含み笑いしていることに気付く。


「どうしたの? トキ、やっぱり金魚すくいたかった? もう一回する?」

「いや、いい。そうじゃなくて……まあ、ちょっと思い出してさ」


 トキは「なんでもないよ」と言って、また目線をほのかの背中へと向ける。

 けど、それがはぐらかされているように思えて余計に気になってしまった。


「言ってよ。なんか、気になるじゃない。金魚が関係あること?」

「あー……まあ、そうだな。少しだけ。本当に少しだけな」


 金魚が関係ある? だなんて……冗談のつもりだったのに彼は静かに笑ってそれ以上表情を緩めない。


「言いにくいこと? あたしには、言えないこと?」


 金魚が関係する話だ。きっとこんなに頑なになってまで訊くような話でも無い筈だ。

 なのに、心のどこかでそう思ってるのに、トキがあたしに何か言い渋ることがある。

 それだけのことが、どうしょうもなくあたしをせつなくさせた。

 金魚の泳ぐビニールを提げる手がとても重たく感じる。

 浮かれた気分は、空気の抜ける風船みたいにしぼんでいった。

 けど。


「わかった言うよ。けど、あんまり怒ってくれるなよ?」


 そう前置きをして彼が口を開いただけで、あたしはうつむけた顔を上げるんだ。


「ちょっとさ、家に浅緋が来ることになった時のこと思い出したんだ」

「えっ?」


 思いの外自分の関わる話題だったことに、まずあたしは驚いて声を上げた。


「……それ、本当に金魚関係あるの?」


 同時に、そんな疑問が口を吐いて出る。

 小さくて愛想のない金魚が昔のあたしを連想でもさせたんだろうか?

 そんな予想を導き出すと、さっきまで抱いていたせつなさは簡単に消え失せた。

 代わりに、何を金魚と比べられなきゃいけないのかと、むかむかした感情が熱く滾ってくる。


「だ、だから少しだけだって。にらむなにらむな」


 にらむなと言われても、あたしの目付きはしばらく不機嫌なままだと思った。

 こう暑いんだ。にらみの効いた目付きの悪さに一役買う感情が簡単に冷めるとは思わない。

 あたしはふんっと視線を逸らす。でも、トキは……たぶん、だからこそ話を続けた。


「母さんが浅緋を家で預かるって聞いた時さ。あんまりに急で、しかも簡単に言うからさ、つい『金魚飼うんじゃねーんだぞ』って言ったんだ」


 その告白は、目線を合わせていなくてもあたしの胸にチクリと刺さった。

 もしかして……。


「トキは、あたしが来るの反対だったの?」


 そんな不安が、熱くなった感情に冷や水を浴びせる。

 急に、トキの方を見るのが怖くなった。

 その時、ぽんっと、頭に何かが乗っかったのを感じた。

 じんとした重みがあって、熱いくらいにあたたかい。

 見上げてみれば、彼があたしの頭に手のひらを乗せてるだけのことだった。


「反対な訳ないだろ。ただ、母さんが言い出したのが急すぎて驚いただけだ」


 今、この瞬間……トキにはあたしがどんな風に見えていたんだろう?

 トキの瞳に映るあたしは、小さすぎて顔が見えない。

 けど、彼の顔はよく見えた。

 額を流れる汗が、夏の日に焼かれた浅黒い肌が、あたしを不安にさせまいとする瞳が、よく見えた。 


「昔、母さんがさ。俺に内緒でおっきい水槽買って来たことがあったんだ。金魚飼うからって言って。それで、浅緋のこと話す時の顔が、その時とほとんど同じ顔して――浅緋?」


 あたしは、今この人にどれほど安心を感じているんだろう?


「トキは、あたしが来ること本当に嫌じゃなかった?」


 思い出すのは三年前のことだ。

 今だって、そんなに素直じゃない。

 なら、あの頃のあたしは尚更ひどい。

 それこそ小さくて愛想のない、はねっかえりな金魚と変わらない。

 ううん、口がきける分、金魚よりたちが悪かっただろう。

 そんなあたしは、トキにとってどうだった?

 不安に思いつつも、あたしはつい訊いていたんだ。

 だって――


「嫌な訳ないだろ。浅緋が来てくれたこと、今だって嬉しいくらいだ」


 ――自分でも不思議なほど確信できる。

 彼が、あたしを嫌ってくれてたり、離れていくなんてないんだって。

 トキは、ゆっくりとあたしの頭を撫ではじめ、言葉を紡ぐ。


「金魚見てたら、浅緋が来る前のこと思い出してさ。そしたら、浅緋が家に来た時のことも思い出して……きっと、あの頃も夏だったせいだな。もう、三年も経つんだなぁって」


 ここが、どういう場所だったかも忘れてしまいそうだ。


「浅緋が来て、誰かと一緒にご飯を食べる時間が増えて。誰かのためにご飯を作る時間も増えてさ。それが忙しくって、でも楽しくって……あっという間だったよ」


 夏の暑さが、三年前と変わらない。

 トキと再会した頃と、変わらない。

 でも、あたし達には変化があった。

 トキが、あたしを見つめて、ゆっくりと語りかける。


「俺、浅緋が家に来てくれて良かった」


 今、あたしの顔は、彼にどんな風に見えているだろう?

 もし、顔が赤くなってたら……。


「浅緋と会えて、良かったよ」


 彼には、夏の気候にのぼせたのだと、そう勘違いしてほしい。


「あ、あたし――」


 次の瞬間、あたしは声に出かけた言葉を飲み込んだ。


「向坂さん! お兄さん! 聞いて聞いて! 自己新記録です! 初めての百匹越え! 全部持ち帰れないから十匹ずつ二袋に入れてもらっちゃいまし――」


 両手に金魚をたくさん泳がすビニール袋を提げたほのかの手をぐいっと引っ張って、あたしは早歩きで駆け出した。


「あたし! ほのかと飲み物買ってくる! トキは待ってて!」


 ついさっき、自分は何を口走ろうとしたっ?


「こ、向坂さんっ?」


 急に手を引かれたほのかは一時バランスを崩すが、直ぐにあたしに歩調を合わせて歩き出す。


「いこ! ほのか!」

「な、なんかあったの? ねぇ、向坂さ――」 

「な、なんにもないってばっ」


 今の自分がどんな顔をしてるのかわからない。

 ただ、もし何か変に見えるならきっと暑さにのぼせたせいだ。

 誰に対しての言い訳か、心の中につぶやいた言葉は音もなく消えていく。

 そんなあたしの苦し紛れな言い訳を、ほのかは「そっか」と言って受け入れてくれた。

 いつの間にか引っ張っていた筈のほのかに並ばれ、気付けば彼女に引っ張られ歩いくようになる。


「ちょ――ほのかっ?」


 先に先にと歩を進めていくほのかは、何故か楽しそうに見えた。

 良いことでもあったのかな? そう言えば、さっき自己新記録がどうとか言ってた気がする。


「ねぇ浅緋は何、飲みたいっ? そうだ! もう一回ラムネ買っちゃおうよ!」


 彼女の問いが耳に届き、あたしは何が飲みたいかと考える。

 その最中、一度だけチラリと後ろを振り返った。

 トキが、あたしを目で追っているのが見える。


「あたしは……と、とりあえず冷たいものが飲みたい」


 熱い体を冷ませるなら、今はなんでもいい気分だ。

 もし、この熱さが夏の気候にのぼせたのでないというなら。

 もしかして、これは、これが……あたしの、初恋になるんだろうか?



 胸中に浮かんだ疑問に答えてくれる人がいる筈もない。

 ただ、あたしの耳にはバクバクと鳴る鼓動の音が、やけに大きく聞こえた。

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