パレットなSummer Festival!(7)

「るりさん?」


『自分がどれくらい大切にされているのか、もっと自覚してもいい』


 意味がわからないまま、あたしは答えを教えてほしくなる。

 でも、るりさんは微笑んではぐらかした。


「ねぇ、浅緋ちゃん……今からナイショ話をしようか」

「内緒話、ですか?」

「そう……ナ、イ、ショ、バ、ナ、シ、だよ」


 人差し指を添えられて、悪戯っぽく形を変える唇に視線が吸い寄せられる。

 『ナイショ』という彼女が紡いだ言葉は蠱惑的で、つい好奇心をくすぐられた。

 でも、あたしはすぐには頷けない。

 すると、るりさんは呼び水のようにそっと言葉を注ぎ足した。


「今から話すのはトキ君が君にした人生最大のおせっかいについてだよ」

「トキの、おせっかい?」

「そう。とびきり特別で、たぶん君には絶対にナイショにしておきたい、彼なりのお姫様扱い」


 伏せられていた彼女の瞳が、あたしを向いて瞬く。


「聞きたい?」


 そう訊ねたるりさんの口調は『言わせてくれるね?』と言っているみたいだった。

 しかし……。


「良いんですか? ナイショなんでしょ?」


 トキがあたしには内緒にしていたこと……。

 それを勝手に聞くのだと思うと、少しだけ胸の中が重たくなった。

 でも――。


「そう、ナイショだ。だから今、この時、あたしからしか聴けないよ?」


 ――笑いながら彼女が軽やかにウィンクを決めると、重たさは溶けてなくなってしまう。


「るりさん、今とっても悪い顔してますよ」

「そうかい? でもきっと、この話は今の君には必要だと思ったから」


「今の、あたしに?」

「ああ。だから話してあげたいと思ったんだ。だって、君はもうこどもじゃイヤだろう? 特に、彼に関しては……」


 それはまるで、あたしのことを大人扱いするような笑い方。

 高校の制服に袖を通して三度目の夏をひた走るあたしを、るりさんは同窓生のように扱った。


 でも……真摯で、一見優しい彼女の対応はどこかとても意地悪だ。


 けれど。


「トキ君はさ、就職が一年遅れただろう?」


 身構えた途端に聞かされた話に、あたしはすぐ拍子抜けしてしまった。


「え? はい。だからあたしの入学とトキの就職が重なって一緒にお祝いをしましたけど……」


 今更、るりさんは何を訊くんだろう?

 彼女の真意を測れず、混乱したまま首を傾げる。


 すると、るりさんは「そっか」とこぼすと静かな口調で続け――。


「本当はね、彼、君のために就職を一年遅らせたんだ」


 ――直後、あたしは言葉を失った。


 ほんの一瞬、息ができなくなる。


 思考が急に鈍くなって、気付けば「でも――」と、口にしていた。


「――トキ、あたしに言ってました。県内で良いところが見つからなかったって、だから……」


「彼らしい……嘘はついてないよ。何故って、彼が採用をもらっていたのは県外……それも遠方の学校だったからだ」


「そんな……」


 頭をぶつけたみたいに、脳みそが揺さぶられている気がする。

 そんな中、脳裏に過った『なんで』という疑問を、あたしは必死になって飲み込んだ。


 これを口にしてしまえば、るりさんはきっと本気で怒る。

 だって、あたしはもう、その回答を最初にもらっているんだから……。


「……あたしのため、だったんですよね」

「ああ。迷惑だったかい? トキ君のおせっかいは」

「それはっ――」


 なんて返せばいいのか、わからなかった。

 ただただ、胸の奥が情けない気持ちでいっぱいになっていく。


 けど。


「……勉強を、見てもらいました」


 トキに謝りたい気持ちで心が塗りつぶされていくのに。


「ご飯も、毎日作ってくれました」


 どうして余計な気遣いで自分のことを後回しにしてしまったの! と、怒りたいのに。


「受験とか、他にもたくさんのことで、つらくなる度に傍にいてくれました」


 どうしようもなく、嬉しい想いが溢れてしまう。

 でも。


「……迷惑なんかじゃなかったです」


 そう、でも!


「でも、あたし……あたしはっ――」


 怒りたくても嬉しくて、嬉しいのにやっぱり情けなくて……。

 気持ちの整理がつかないまま、言葉が中途半端になってしまう。


 だけど。


「浅緋ちゃん……」


 るりさんはあたしに、落ち着いた声で自分では吐き出せなかった気持ちを継ぎ足してくれた。


「君は、怒っていいと思うよ。でもね、でも……中学三年生の君を、トキ君が助けてくれたと思うのなら、どうか彼を怒らないであげてほしい。だって、君を含めてあの時……大切な誰かのことを考えてなかった人なんていなかったんだ。だから、彼がそういう選択をして君が知らずに受け入れたことを後悔しないで。そうでなければ、きっと君達の関係は今とは全然違うものになっていただろうから」


「今とは、違う関係……」


 思わずこぼれてしまったつぶやきが、光景となって頭の中に浮かぶ。

 けれど、ずっと遠くにトキを見送ってかおるさんと二人で過ごす生活や、トキの助けなしには上手くいかなかった受験生活を――彼抜きで想像するのはなんだかとても難しくて……。


 結局空想は長く続かず、あたしは目元を拭って顔をあげた。

 すると、指先を涙で湿らせたあたしにるりさんがはにかむ。


「やっぱり、腹は立つかい?」


 親し気に訊ねてくる彼女の顔を見ていると、まるで悪い姉でもできたような気がして……。

 あたしは、るりさんからふいっと目線を逸らし虚空に聴かせるみたいにつぶやいた。


「わかりません。けど、怒りたいのに謝りたくて、情けないのに嬉しいと感じている自分もいて……なんだか、考えても考えても今の気持ちに答えは出せないんじゃいかって、ちょっとだけ、そう思いました」


 せめぎ合っていた想いは言葉にしてみると、少しだけ胸の内をスッキリさせる。


 けど。


「そうか……」


 沈んだ声がしてるりさんに向き直ると、いつの間にか彼女の目線はあたしを外れていて。


「るり、さん?」


 視界の内に捉えた彼女の横顔が、とても遠い人のように感じられた。


「君は、弱みを見せたがらないし、甘えるのもへたくそだけど……甘えられないわけじゃないんだね……」


 指先を重ね合わせるように伏せられたまつげが――うっすらと開かれた瞳が悲し気に揺れる。


「すまない。もしも、あたしが同じことをされたらと考えていた」


 るりさんは一度まぶたを閉じ、目配せをしてからあたしを見つめると――。


「でも、あたしの場合、嬉しくなっても最後には怒ってしまいそうだから。だから――色んな気持ちを混ぜたまま、曖昧なままで彼の好意を受け取れる君が、少しだけ……そう、少しだけ羨ましい、かな」


 ――彼女は、ただ笑ってみせた。


「るりさん……」


 この瞬間、例えどんな涙でも彼女の頬をつたうことはできなかったのだろう。


 でも、強がって見えたるりさんの乾いた笑顔は……。

 指先の軽い微熱が目元に少し触れてしまうだけで、薄い氷みたいに――簡単に、涙を溢れさせてしまう、そんな表情に思えた。

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