2章中学生編 -青丹色-

4話 手紙を持つ手に力が入り、小さくクシュっと音が鳴った。

恋文とらいおん(1)

「なにこれ?」


 夏休みを間近に控え、中学の授業が半ドンになった今日。

 いつものように帰ろうと下履きの入った靴箱へ手を突っ込んだ瞬間、あたしは違和感に気付いた。

 カサッ……と、指先に軽い感触がある。

 それはすべすべしていて、つまんでみると薄い紙みたいだ。

 むしむしした靴箱の中にあったそれを取り出してやると、なんの変哲もない横長の封筒で、ひっくり返して表裏と見てみると片面にあたしの名前が書いてあった。

 『向坂 浅緋様』

 丁寧に「様」まで書かれてある。

 のり付けもされてないその封筒を開けてみると、中には青い涼しげな花が描かれた便箋が入っていた。


「向坂浅緋様。急なお手紙でごめんなさい……」


 文頭の字の集まりが声に出る。

 それに続く文面は心の中で読み上げながら目で追っていった。

 手紙自体は大した文量でもなく、あたしはすらすらと読み進めていく。

 ただ――


『好きです』


 ――文面の中に、そんな文字群を見つけて面喰ってしまった。


「なっ――」


 驚きが声となって口から漏れ出す。手紙を持つ手に力が入り、小さくクシュっと音が鳴った。

 読み終わった手紙を一回、二回とたたんでカバンに突っ込む。

 その後、封筒の存在を思い出してそれも同じ様にカバンに突っ込んだ。

 あたしは、生まれて初めてラブレターをもらった。





 夏の暑さは、あたしから考える力というものを奪っている気がする。

 あたしは、夏の日差しに無防備に肌を焼かれながら、中学から自転車を押して帰宅した。

 自転車に乗って、風を全身に浴びながら帰ってくればさぞ涼しかっただろう。

 けど、手に取ってしまった手紙のせいで、あたしは悶々と自転車を押し車にして、考え事をしながら帰る破目になった。

 今はただ、ゆっくりと状況を整理したかったんだ。


「ただいまー」


 自転車をガレージに置き、カバンを肩に背負い直して家の戸を開く。


「おかえりー」


 すると、家の奥からトキの声が返ってきた。

 一瞬、なんで? と、頭に疑問が浮かぶ。

 今日、トキは大学があっていない筈じゃ? と。

 ふと視線を落とすと玄関下に、トキの外靴が並んで置かれているのが見えた。

 それが引き金になるように、今日トキは大学が休みなんだということを思い出す。

 加えて、今朝トキが「今日は大学休みだし、浅緋も学校昼までなら好きなもの作ってやるよ」と言っていたことも思い出した。

 学校に行く前に、あれだけはっきり会話を交わしておいて、頭から抜け落ちるなんて。

 自分が今、ぼんやりしている何よりの証拠だと確信するようで、ちょっとショックだった。

 あたしは、靴を脱ぐこともおっくうになり、カバンを肩から滑らせて玄関に落下させる。

 どさりっと音がなると、そのまま体の向きを変え、自分も玄関の段差に座り込んだ。


「はあ……」


 口から、大きなため息が出る。

 手紙をもらったことに――初めてのことに動揺しているのかもしれない。

 けど、それだけの理由で体まで重く感じるんだろうか?

 なんだか今は、体を動かすこともしたくない気分だった。


「浅緋、遅かったな……大丈夫か?」


 そうして玄関でたたずんでいると、家の奥からトキが様子を見に来らしい。

 チラリと彼に目を遣ってみれば、薄い青色をしたエプロンを身に着け、心配そうにあたしを見ていた。

 家事でもしていたのか、エプロンに水が飛んだような濡れた跡がある。


「どうした? 今日は早く帰るって言ってたのに……」

「……たぶん、歩いて帰ってきたせい」

「歩いて? そりゃ、疲れただろう」


 トキのその言葉が耳に入って、なんで体が重いのか、動かすことすら嫌なのかを理解した。

 そう言えば、あたしは歩いて帰って来たんだ。


「……はあぁ、疲れたぁ」


 顔をうつむけると、頬を伝って汗が床にぽつりと落ちる。


「喉乾いた、シャワー浴びたい……」


 体の疲労を自覚してしまうと、そんな欲求が口から溢れだした。

 汗をかいたせいで体に張り付くしシャツも気持ち悪い。

 今すぐに台所に走って冷えた麦茶を飲んで服を着たままシャワーを浴びたいような気分なのに、体をピクリとも動かしたくない。


「よし、ちょっと待ってろ」


 トキは、そんな置物同然のあたしに言葉を残すと、家の奥へと消えていった。

 言われなくたって、今は指先一つ動かすのだって大変なんだ。

頼まれたって動いてやるもんか!

 彼に聞こえないからと、心の内でそんなことを叫びながら、あたしは両ひざに額を乗せて突っ伏した。

 視界が狭くなって、あたしの目には床しか映らない。

 ぽつり、ぽつりと体から滴り落ちていく汗をぼうっと眺めながら、屋外から聞こえるセミの声を聞いた。

 あのセミの声は……なんて名前のセミだったろう。

 そんなことをぼんやりと考え始め、あたしはセミの声に意識を向け、耳をすました。

 しかし。


「ほら、浅緋」


 集中し始めた途端、トキの声が聞こえて集中が途切れる。

 余計なことを……再会した頃からいつもそうだ。

 そう思い視界を上げてみれば、透明なガラスコップに溢れそうなくらい注がれた麦茶を手に、トキがあたしに笑いかけていた。

 カランっという涼しげな音を鳴らしながら、コップの中の氷が躍る。

 一目見れば、それが冷たくヒンヤリとして喉に心地良いだろうとわかった。


「いただきます!」


 合掌もせず、コップを手に取り、急いで口元に運ぶ。

 すると、氷で冷えたガラスが手のひらから熱を奪っていくのがわかった。

 透明なガラスが唇に触れ、そこから冷たい麦茶が口の中に入っていく瞬間――あたしは、宝石にでもキスをしているような気持ちになる。

 この世に、今これ以上の贅沢があるんだろうか。

 喉を鳴らして麦茶を飲み干すと、思わず「ほうっ」と、快い吐息が出た。

 死んだことなんてないあたしだけど、この瞬間ばかりは、生き返った! と、思わざるを得ない。


「……殺人的だね」


 潤った口でそんな言葉を漏らすと、あたしはようやく人心地つけた気がした。


「夏の冷えた麦茶の有難味がわかるだろ?」


 そう言ってにっこりと笑うトキの顔は、まるで麦茶の言葉を代弁してるようで満足げだ。


「うん。麦茶には感謝しないとね」


 そんな彼の顔を見ていると、人の気も知らないで、と思えてしまって、あたしはぼそりと憎まれ口をこぼした。

 ほんの少し、自分の中に余裕ができたような気がする。冷えた麦茶のおかげだろうか?


「ねぇ、トキ?」


 クールになった頭は、一瞬だけ羞恥心を忘れてしまったのか――


「好きじゃない人に告白されたら、どうする?」


 ――そんなことを、ふと口から滑らせた。

 訊かれた彼はというと、戸惑ったように眉を寄せながらもとつとつと答えていく。


「そりゃ……嬉しいとは、思うけど……付き合えないんじゃないかな」

「でも、その人は、トキのことが好きなんだよ?」


 あたしの質問は、トキの答えに自分の答えを見出そうとしているみたいだ。


「それは、そうだけど……好きって言われたからって、自分も相手を好きになれる訳じゃないと、思うから。そんな、気持ちのまま相手と付き合うって俺はできないな」


 トキの言葉に、あたしは安心する。

 でも、何故か同時にチクリと胸が痛んだようにも思えてしまった。


「でも、なんで急にそんなこと?」

「ううん。なんでもない。学校で流行ってる本の話」


 平然と嘘を吐くと、彼は信用してくれたのか、それ以上はこの話に突っ込むことはなかった。

 そして、あたし達の会話はいつもの日常に戻っていく。


「そうだ。浅緋、風呂洗ってあるけどお湯沸かすか?」


 調子の変わらない声で訊ねるトキにあたしは首を横に振った。


「ううん。シャワーだけでいいや」

「わかった」


 そう言うと、トキの腕があたしの手の中にある空のコップを掴んで回収し。


「後、バスタオルはもう洗面所にいてあるけど着替えは――」


 続いて彼の口から、言い放たれ始めた声に、あたしの羞恥心は復活した!


「ば、ばかっ! 着替えくらい自分で用意するから!」


 トキの言葉を遮るためにあたしは声を大にする!

 人差し指を靴のかかとに滑り込ませて交互に靴を脱ぎ、立ち上がって自分の部屋を目指した。

 全くもう! もう十四歳にもなるのに、トキからあたしへのこども扱いが抜けていかない。

 再会した年齢が小学五年……十一歳だったせいなのかな?

 一緒に住むようになってもう三年にもなるのに、トキからはたまに小学生に接するような態度が出てきた。

 どうしてそんなにもこども扱いが抜けないのだろう。

 そんな疑問が浮かび、目線が下がる。

 すると、起伏の少ない、すとんと細い自分の体の線が視界に入った。

 ……もしかしたら、彼のこども扱いは何も再会の時期だけが問題じゃないのかもしれない。


「ほらっ! 自分で着替え取りに行くし! トキも用事に戻んなよ!」


 自室のドアに手を掛けながらトキに叫んだ。



 手早く着替えを洋服ダンスから出すとあたしは部屋を出る。

 すると、ドアの前に学校のカバンが置かれていた。

 そうか、玄関に置きっぱなしだったのをトキが部屋の前に置いたんだろう。

 軽く屈んで指を伸ばし、あたしはカバンを手に取った。

 一旦部屋に戻って、カバンを勉強机の傍に雑に放る。

 その時、中に手紙が入っていることを思い出して、ほんの少し申し訳ない気分になった。

 ほんの少しだ。

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