恋文とらいおん(2)
髪を束ねていたヘアゴムを外して髪を解き、汗を吸って重くなった制服等を脱いでいく。
水気のある服は重い分投げやすい。
あたしは脱ぐたびに服を丸めて洗濯かごの中へ放っていった。
風呂場に入ると真っ先にシャワーノズルを手にして、蛇口のハンドルをひねる。
夏の気温に温められたのか、はじめは生暖かいお湯が出て、徐々にぬるく、次第に給湯される熱いお湯へと変わっていった。
ようやく頭からシャワーを浴びて気色悪い汗を流す。
体を打つシャワーの水圧と、激しい雨のような水音に頭が落ち着いていく気分だった。
そして、思い返す。
手紙を……ラブレターをもらってしまった。どうすればいいだろう。
「どうやって、断ろう……」
中学に上がってからもあたしの交友関係は上々とは言いづらかった。
こっちに転校してきた時、小学校の時に友人でも作っていれば持ち上がりで中学でも問題なく友人と学校生活を送れたかもしれない。
でも、父子家庭、しかも父親が単身赴任で親戚の家に居候という身分。
更に、あたし自身の人付き合いの下手さや周囲に理解され難い趣味も相まって小学生の時に友人が出来ず、トキに遊び相手になってもらう生活を送っていた。
そんな状態で中学に上がったもんだから、気付けば同じ小学校の子達に「向坂さんは変わってるから――」「人付き合いが苦手って言うか――」といった、気遣いのような悪意のあるような噂を流され、学年で孤立するような状態になっている。
むしろ、いじめの対象になっていないだけで、まずまずの学校生活と言えるのかもしれない。
そんな中で、男子と付き合うなんて、ありえなかった。
そもそも、相手の男子が誰なのかわからない。
手紙には、成瀬明と書いていた気がする。
「なるせ……あきら?」
声に出してみても、誰だか皆目見当がつかない。
そもそも、読み方は『あきら』であっているのかな。
というか、なんであたしが告白されたんだろうか?
話したこともない相手だと思う。しかも。夏休み突入前のこの時期に……。
「もしかしてイタズラ……――あ」
そんな風にぼんやりと考えていると、手のひらにうっかりシャンプーを注いで取っていた。
シャワーを浴びたら、直ぐ出るつもりだったのに……。
仕方がなく、手に付いたシャンプーを頭へと移し、わしわしと髪を洗い始める。
泡立っていくシャンプーのやわらかさを指先で感じながら、頭皮を指の腹で擦った。
男子にからかわれていると考えたら、なんだか妙に辻褄が合う気がする。
それに、少し癪ではあるけど、本気で好かれてない分、断るのに良心は痛まないと思った。
「ふう……」
少し、肩の荷が下りたような気がして、あたしはシャンプーの泡を流していく。
けど、もし……万が一、相手が本気だったらどうすればいいんだろう。
お湯が頭を打ち付けて泡を流していく中、そんな考えが頭を過った。
角の立たないように断ることはできるだろうか?
無理やり迫られたらどうしよう。
こういう時こそ、誰か相談できる人がいればいいのに。
そんな風に考えると、自然とトキの顔が頭に浮かんだ。
そして、ついさっきはずみで相談していた事実を思い出す。
でも、改まって彼にラブレターのことを真正面から相談するのは気が引けた。
「やっぱり、トキにはこんな相談……恥ずかしくってできな――あ」
羞恥心に注意力がそがれたのか。あたしは、タオルを手に取り、ボディソープを付けていた。
クシュクシュと泡立てた後、手のひらよりやや大きいくらいにタオルを丸めて体を擦る。
「かといって、かおるさんには相談しにくいなぁ」
仕事で忙しく、家に帰れば晩ご飯の用意もするかおるさんに負担はかけたくなかった。
それに、かおるさんはここ最近疲れて帰って来て家事をトキに丸投げすることもしばしばだ。
そんなかおるさんに、相談するのもやはり気が引けた。
「…………うーん」
体を洗い終わった所で、あたしはタオルを洗面器の中へ入れる。
再びシャワーノズルを手に取って、体の泡を流すため蛇口のハンドルをひねった。
体を温水が伝い、泡を巻き込みながら流れていく。
悶々と悩み続ける中、あたしは賭けてみることにした。
「よっし……二人に相談はしない。これはきっと、男子があたしをからかってるんだ」
自分の力で何とかできる。そう、心の中で言い聞かせた。
あたしはシャワーのお湯をキュッと止めると、どこか気分は晴れないまま、さっぱりとした体で風呂場を後にした。
そして――
◆
――翌日。
「向坂、さん。昨日その、読んでくれた?」
昨日に引き続いての半ドン授業が終わった日の高い放課後。
あたしは、成瀬君に教室に残っていてほしいと言われて、言われるままに二人きりだった。
クラスメイトはもうほとんど帰っていて、開け放たれた教室には夏の気候が充満している。
そんな中、目の前の成瀬君は夏の暑さのせいだと思うけど、どことなく顔が赤い。
きっと体調が悪いんだと思う、口調が時折しどろもどろだった。
「一応、読んだから、ここにいるんだけど……」
「そうだよね。ありがと……それで、返事なんだけど――」
来たっと、思った。
実は二人きりにしといて、外から男友達が聞き耳立ててるとかに違いないんだ。
『あなたとは付き合えない。からかわないで』
ここに来るまで、家から、そして授業中もなんども心の内で繰り返してきた言葉を口に出そうとした。けど。
「――俺、本気だから。向坂のことまだ知らないことだらけだけど。好きなんだ。できれば、夏休みも一緒にいてその……仲良くしたい。知りたいんだ、向坂のこと。友達からでもいい。俺と、付き合ってください」
真っ直ぐにあたしを見つめてそんなことを言った彼に『からかわないで』と、言えなかった。
こんなこと、言われたの初めてで、これが本気か嘘かなんてあたしには区別できない。
でも、熱く……すごく熱く感じて、触れたら焼けただれてしまいそうで怖かった。
「……ご、ごめん」
百回なんてとっくに越してた。
何度も何度も繰り返した筈の用意していた言葉は、一つも声にならなかった。
今にも消え入りそうなあたしの声が、ほんの少しだけ、かすれながら出ただけだ。
蚊の羽音よりも小さいんじゃないかと思うような声だ。
か細くて、言った自分が一番情けないような声だった。
なのに、そんな弱々しい声で発したはずなのに、彼は、お腹でも思い切り殴られたような苦々しい顔をしている。
こんな言葉で、人が傷つくなんて思いもしなかった。
「お、俺、本当に好きなんだ! 覚えてない? 工作の班で一緒になったろ? いつも全然楽しそうにしない向坂がなんか楽しそうにしててさ、それがすっげぇ気になって――」
「ごめん――」
力強く、飛び出した彼の言葉は、弱々しいあたしの言葉で簡単に遮られる。
「――好きって言われたからって……好きになれる、訳じゃないから」
なんで、そんな言葉が思い付いたんだろう。
でも、とても自分を褒められる気分じゃなかった。
あたしは、カバンをぎゅっと握りしめて、早足で教室を出た。
誰もいない廊下を小走りで駆けて、自転車置き場へ。
とにかく、早く家に帰りたかった。
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