オムライスとケチャップ(4)
疲れた頭を体に載せて、あたしはのそのそと歩いた。
体を引きずって歩く自分は、さながらナメクジの心持ちだ。
そうしてあたしは、真宋さんを見送るために玄関にたどり着いたのだった。
あたしは、玄関の窓から外の景色を覗いてみたが、真っ暗で何も見えない。
そして、暗く何も見えないからこそ、どれ程夜が更けたのかと言うことがわかった。
けど、日の沈んだ遅い時間帯でもこの季節は簡単に涼しくなったりしない。
冷房の効いた部屋を一歩出てしまえば、ぬるくなった夏の夜を素肌で感じた。
そんな中、あたしは玄関で靴を履く二人を見ている。
そう、二人を見ていた。
肩に手提げかばんを引っ掻ける真宋さんは靴を履き終えたばかりだ。
彼女はつま先でコツコツと床を小突き、靴を慣らしていた。
トキは玄関戸の前で、真宋さんの様子を見守りながら、彼女を待っている。
あたしは『今日も送っていくんだ』と、真宋さんを待つ彼に視線を送りながら思った。
真宋さんの家庭教師は毎度毎度夜遅くまで続くことが多い。
その度、暗い夜道を彼女一人に歩かせる訳にはいかないと、トキは毎回真宋さんを駅まで送っていた。
駅までは、ゆっくりと歩けば片道二十分程度だろうか。
終電に迫るほどの遅い時間でもないし、この二人なら道中それなりに話も盛り上がるだろう。
たかだか二十分……その間、二人が何を話すのかだなんて、あたしには知る由もない。
靴を慣らし終えた真宋さんがトキへと振り向くと、彼はそれを無言で了承し、戸に指を掛けてあたしに告げた。
「じゃあ、すぐ帰ってくるから」
『すぐ』と言っても、急いだり走ったりはしないんでしょ。
そんな文句を口にするつもりにもなれず、あたしはただ「うん」とだけ返事をした。
すると、続いて真宋さんがあたしに向けて口を開く。
「浅緋ちゃん、次に来るのは明後日だ。それまで、しっかり課題を片付けておくんだぞ?」
帰り際にそう念押しされ、あたしは思わず顔が引きつった。
つい先程出されたばかりの大量の課題が脳裏を過る。
あれは、今すぐにでも取り掛からないと、明日の夜にでも地獄を見るかもしれない量だった。
けど、せめて一時間くらいは頭を休めてからにしよう。
そう脳内で段取りをつけるあたしに、トキが再び声をかけた。
「浅緋、帰りコンビニ寄れるけど、何かほしいものあるか?」
その言葉に、あたしはぴんっと反応する。
「うーん」と首をかしげながら『ほしいもの』に思いを巡らせ――
「アイス」
――あたしは、ぬるく体にまとわりつく夜の暑さから逃れたい、疲れた自分に甘いものを補給させたいと思い、そう口にした。
それに、夜とは言え、夏にアイスを買うのだ。
アイスが溶けないようにと、彼も急いで帰ってきてくれるんじゃないかとも考えていた。
あと……――
「あ、ほしいのは苺のやつとバニラのやつで、カップ容器のアイスね。それ以外はやだ。それと、チョコの味は買わなくていいから。まだ冷凍庫に入ってたと思うし。それと、スプーンはもらってこなくてもいいからね」
――こうして、多少ややこしくお願いをしていれば、真宋さんと話している間にも、そっちにばかり夢中にならないかもしれない……。
なんてことも考えながら、彼が帰って来てあたしがアイスを食べ終わるまでは休憩にしようと決めた。
トキは、そんなあたしに「わかった」と告げ、戸を開く。
「じゃあ、行ってくる」
「じゃあ、また明後日」
そして、二人は外に出ていった。
戸が閉まると、玄関戸越しに二人のくぐもった声――その会話が聞こえてくる。
けど、どんな話をしているのかまではわからなかった。
いっそ、真宋さんの見送りに自分もついて行ってしまおうかとも考えた。
けど、そうできなかったのは二人の仲の良さを知っているからだ。
あの二人は仲が良い……思わず勘ぐってしまうくらいに。
トキと真宋さん……二人が隣り合って歩くそこに――あたしは、割って入ってしまえと思いはするけど、どうしても実行する踏ん切りをつけられなかった。
それは、その都度、前々から危惧していた考えが脳裏を過るからだ。
二人が、あたしの知らない内に恋仲になっていたとしたら、と考えてしまうからだった。
もしこれが本当だったら、あたしはとんだお邪魔虫だ。
勝手にトキと仲が良い真宋さんに嫉妬して、しかも彼に想いも知られない間に失恋したことになる。
考え出してしまえば、これは嫌になるくらい現実味を帯びた妄想だった。
そんなことばかり考えていると、次第に脳内は妄想に支配されていく。
気付けば、あたしは悶々とした想いを胸中に溢れさせ、この晴れない気持ちをどうしても振り切りたくなっていた。
そして――
「よしっ」
――あたしは思い切った。
休憩すると決めていた考えを投げ捨て、疲れた頭と体に鞭を打った。
何かに集中してしまえばと考え、玄関を後にし即座に自室の勉強机へと向かう。
けど、あたしの決意とは裏腹に疲れた脳と体は勉強することを拒絶した。
どうしても集中できず、英文どころか日本語の問題文すら頭に入ってこない。
数学に関しては、ただ数字が乱雑に並んでいるようにしか見えなかった。
なのに、そんな頭でも悶々とした気持ちには素直なようで、気を抜くと二人が今どうしているだろうかと考えてしまう。
そんな状態では勉強がはかどる筈もない。
当然、晴れない気持ちが晴れることも、その気持ちを振り切ることもできなかった。
「うああぁーっ! もうっ――」
負け犬の遠吠えとでも言えばいいんだろうか……あたしは思わず声を上げて、シャーペンを投げ出し体を脱力させる。
その後、頭を抱えて机に向かい、沈むように突っ伏した。
結局、トキが帰って来てあたしが冷たいアイスを口にするまでの間、課題はちっとも手に着かなかった。
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