ドウガネブイブイ事件(3)
トキに何かを相談するというのは、高校生になってからは初めてだ。
昔は、些細なことでも相談事を見つける度に、彼を自分の部屋に連れてきた。
けど、この歳になって、昔のようにトキを部屋に入れると言うのは……ちょっと抵抗がある。
できれば、自分の部屋じゃない場所で相談したかった。
でも、そのせいであさぎちゃんに相談する内容を聞かれるようなことは避けたい。
となると、安全な自分の部屋にトキを招く以外の選択肢を、あたしは思いつかなかった。
気恥ずかしさをぐっと我慢し、ドアノブに手を添える。
「……あんまり、部屋の中見ないでね」
ドアノブをひねる直前、あたしはトキにそう前置きをしてからドアを開いた。
あたしには見慣れた部屋だけど、トキにとっては多少変わっている所もあるんだろうなぁ。
あたしは、枕元のぬいぐるみや、勉強机のほのかとのプリクラへチラリと視線を投げる。
けど。
「相変わらず、浅緋の部屋は本でいっぱいだな……なんか安心した」
彼には、あたしの部屋は変わっていない部分の方が目に付きやすいようだった。
「見ないで、って言ったじゃん……」
つい不機嫌な声を漏らすと、トキは「わるい」と、簡単な謝罪を口にする。
あたしは部屋の隅から折りたたみ式の丸テーブルを引っ張り出し、部屋の真ん中に広げた。
「はい、ここ座って」
ポンポンと、絨毯を叩いてトキを誘導し、あたしは彼と向かい合う位置に正座する。
こうやって二人で座ってみると中学の頃に戻ったみたいな気分になりそうだ。
ただ、今のトキは学校の先生で、しかもスーツ姿だ。
その分、昔より相談者としては頼もしくなっていると思う。
まあそれは、夏――それも仕事終わりで既にスーツが着崩されていなかったらの話だけれど。
あたしは、ネクタイが緩み、首元が少し開かれたよれたスーツに、なんだかトキの変わらない部分を見つけた気がした。
けど、そんな考えが浮かんだのはほんの一瞬のことだ。
「それで、相談って?」
トキが、真面目な顔をしてあたしに訊ねる。
その途端に昔を懐かしむような余裕は吹き飛んでしまった。
どう言おうかと考えて逡巡し、口を濁しそうになる。
たまらず唇を、きゅっと噛んだ。
今、すごく情けない話をしようとしていると思う。
けど、あたしは――
「あたし、あさぎちゃんとあんまりうまくやれてない……」
――これ以上、虚勢を張るのをやめようと、そう思った。
だって、きっとあんまりに強がり張ってる方が、トキに心配かける。
そんなことをしてたら、余計に彼のこども扱いから抜け出せなくなるに違いないんだ。
あたしがポツリポツリと話し始めると、トキは静かに耳を傾けてくれた。
「今日ね、ほのかが家に遊びに来て、一緒に留守番してくれたけど、あたしなんかより全然すごいんだ」
あたしはトキから目線を外し、顔をうつむけて昼間のことを思い出しながら口を開いていく。
絨毯の模様を意味もなく見つめながら、彼の顔を見てこの話はできないと思った。
「ほのかはさ、あさぎちゃんとあっと言う間に仲良くなってさ」
あたしにとって、これは告白。自分の格好悪い所を晒すことだと思う。
「あたし、今まであさぎちゃんがあんなに笑ったとこ見たことなくって……」
だから、そんなあたしの話を聴く彼が、どんな顔をしているのか知りたくなかった。
目線をトキから逸らし続け、所在ない手を自分の膝に重ね、言葉を紡ぐ。
「ほのかは、あさぎちゃんと話しながら色んなこと引き出していくんだ。あさぎちゃんの好きなことをたくさん……あたしなんて、まだ虫が苦手ってくらいしか気付けなかった」
けど。
あたしが話している間、トキは一言も声を発さなかった。
相槌も何もなく、ただただ耳を傾けている? みたいだ。
本当に……話を聴いてくれているんだろうか?
それが気になって、ついあたしはトキに目線を向けてしまった。
「ねえ、トキってばちゃんと聞いてる?」
「ああ。聞いてる」
彼は、じぃっとあたしの目を見て言い切った。
すぅっと耳から入ってくる落ち着いた声。あたしを見つめる瞳。
あたしは不意を突かれたような気がして、重ねていた手にきゅっと力が入る。
「だったら、何か言ってよ。せめて相槌くらいさ。これじゃあたし、独り言しゃべってるのと変わらないよ……」
またトキから目線を逸らして文句をこぼす。
すると、彼は「そうなんだけどさ」と、前置きして続けた。
「俺としては、今の話を聞く限り、あさひが落ち込む必要はないと思う」
考えをまとめるように頷きながら、そう言ってトキは手を組んで丸テーブルの上に乗せる。
さも何か考えているとでも言いたげな雰囲気を出す彼にあたしは、本当に話を聞いてくれていたの? と、言う疑問が沸いて出た。
「なんでそう思うのよ……」
「だって、浅緋はまだあさぎちゃんと会って一週間も経ってないだろ? だったら、まだお互いのことがよくわかってなくても別段おかしくもない。仲良くなるのはこれからでもいいよ」
言い含めるようなトキの言い方に、ほんの一瞬、そうかもと自分に甘くなりそうになる。
けど、ほのかは今日だけで、あさぎちゃんと仲良くなって見せたんだ。
「でも……ほのかは、会ってすぐあさぎちゃんと仲良くなっちゃったし」
重ねた手を開き、指と指を遊ばせながらあたしはこぼす。
その途端、真面目な顔を張り付けていたトキの表情が急に緩んだ。
そして――
「俺に言わせれば、浅緋が自分とほのかちゃんを、人と仲良くなることで比べるのは分が悪すぎるよ。なんせ、あの子は中学の時の浅緋とすぐに打ち解けられたんだから」
――なんとも楽しそうにそうのたまった。
再びトキにジトリと目線を合わせる。
今回は何も恥ずかしい感情は沸いてこず、むしろむかむかしていた。
「……どういう意味よ」
「自分が一番わかってる癖に」
愉快そうに歯を見せて笑うその姿が憎らしい。
けど、トキの言いたいことはわからないでもなかった。
ほのかは、経緯はどうあれ、中学で浮いていたあたしに声を掛けて友達になってくれた子だ。
明るくて、ちょっと強引で……でも、嫌になる強引さじゃない。
友達を作りやすいタイプの子だろう。
あさぎちゃんとの接し方を見るに、きっとこども受けもいいんだと思う。
なによりほのかは、見事あたしを友達にしてしまうような子なんだ。
こうやって考えると、なんだかだんだん自分とほのかを比べるのは不毛な気がしてきた。
ないものねだり……とでも言えばいいのだろうか?
例えば、茶碗蒸しがプリンに洋菓子のおいしさ対決を挑むようなものじゃないか、とそんな風に思えてくる。
頭の中で、茶碗蒸しとプリンをそれぞれ手に持って対峙するあたしとほのかを想像した。
我ながら、妙なものを想像してしまったと、複雑な気分になる。
けど、そこにはもう先程までの深く沈んだ気分はないような気がした。
心持、開き直りの心境だ。
顔を上げたまま、眉根を寄せるあたしを見て、トキは続けた。
「それに、俺は浅緋と普通にしゃべれるようになるまで一週間以上かかったぞ?」
「そっ、それ! 昔のことは言わないでよ! もうっ」
急に昔のことをほじくり返され、あたしは胸の奥が痒いような熱いようなでてんやわんやだ。
「あれは、昔のあたしが悪かったのっ」
あたしは、ボッと火がついたような勢いで過去の自分を責めた。
それこそ、あの頃はこどもだったんだ。今よりずっと人見知りだったし無愛想だった。
トキにも、手を煩わせるようなことをたくさんした記憶がある。
けど。
「いや、浅緋は悪くない。昔の浅緋も、今の浅緋も全然悪くない」
トキは、何も責めるようなことを言わなかった。
もう、何年も前の瞳と変わらず、あたしを安心させてくれる眼差しをくれる。
「ただ、人と打ち解けるのに少し時間が掛かるだけだ」
きっと、そのせいだ。
燃え上がったあたしの羞恥心は、マッチみたいにすぐ火が消えることになった。
「……じゃあ、いいよ。もう、そう言うことで」
あたしは、燃え尽きた火がブスブスと音をたてるみたいにぼやく。
その直後、いつまでも彼と目を合わせるのがいやで、ふいっと顔を逸らした。
そうでないと、また羞恥心に身を焦がすことになりかねない。
心の中で何度か自分に落ち着けと言い聞かせ、あたしはトキに向き直った。
「でも、そしたらあたしはあさぎちゃんとどうしたらいいのよ?」
自分がほのかみたいに上手くやれないのは、もう十分に自覚させられた。
人と打ち解けるのに時間が掛かるのも昔よりマシになった程度で継続中だと再認識できた。
けど、ならあたしがあさぎちゃんと仲良くなるには、具体的にどうしたらいいんだ?
何を、すればいいんだろう?
「……どうしたらって。浅緋はあさぎちゃんとどうしたいんだよ?」
あたしは質問返しをされたことに一瞬ムッとする。
けど、その質問への返答がすぐに頭に浮かび、それを声にだした。
「あたしは、ほのかみたいに、あさぎちゃんと仲良くなりたい……んだと思う」
これは、あたしの中では理想だと思う。
けど、それを聞いたトキは、不思議そうな顔をする。
「……浅緋は、ほのかちゃんみたいになりたいのか?」
そんな彼の言葉に、あたしは大きく首を傾けることになった。
「う、うぅん……? いや、ほのかみたいになりたい訳じゃ。あたしにはマネできないし諦めたんだけど……あさぎちゃんと仲良くなれる自分になりたいって言うか……あ、でも、そうしたらほのかみたいになるのが一番の近道なの、かな?」
しどろもどろと、あたしが発した言葉は、服のボタンを掛け違えたみたいに意味が噛み合わなくなっていく。
すると、頭がこんがらがって少々混乱気味のあたしを余所に、トキは腕を組みし始めた。
「じゃあ、浅緋なりにあさぎちゃんと仲良くなりたいってことだな」
そして、彼は一人で先に納得して頷く。
あたしは、それにつられるように「そう、なのかな」と、頷いた。
「とりあえず、あさぎちゃんと仲良くなりたいなら、今のままでも大丈夫だと思うけどな」
組んでいた手をほどき、トキは嬉しそうに言う。
その表情には、何か含みがあるように感じてならなかった。
「なんでそんな風に言えるのよ」
「それは、内緒だ」
そう言う彼は、なんだか一人だけもう問題が解決したような顔をしている。
あたし自身は問題解決どころか、まだ打開策に乗り出してすらいないのに。
「なによ。いい歳した大人が……きもちわるいよ?」
つい悪態をつくあたしに、トキは「きもちわるいはひどいな」と、乾いた笑いを返して――
「大丈夫。浅緋は自分で思っている以上に優しい子だし、なんとかなるよ」
――優しい声で、無責任に告げた。
「……なんでそんなこと言えるのよ」
「浅緋、さっき自分で言ったろ? あさぎちゃんが、虫が苦手なのを気付いたって。人の苦手なものに気付ける人って、俺は十分優しい人だと思うからさ」
それっぽい理由を具体的にあげられ、真っ向から否定もできず、あたしはただただ胸の奥がくすぐったくなっていく。
「たまたま……虫持ってる時にあさぎちゃんに固まられて気付いちゃっただけだよ」
「じゃあ、運が良かったんだな」
「本当に運がいいなら、虫持ってるタイミングで出会ってないよ」
そう言うと、トキは「確かに」と言ってまた笑った。
他人事だと思って。胸中にそんな言葉が浮かび、あたしは薄いため息を漏らす。
彼は、あたしに大丈夫だと簡単に言うけれど、あたしはどこかまだ不安に思っていた。
自分一人で、本当にあさぎちゃんと打ち解けられるイメージが湧かない。
……トキも、あたしと一緒に住むとことになって、こんな気持ちになったりしただろうか?
「ねぇ……トキはさ、あたしに昔、何かしてたことってある?」
「昔? 何かしてたこと?」
トキはおうむ返しをするように呟いてから、視線を宙に漂わせた。
その反応が、質問の意味をきちんと理解されていないように感じて、あたしはもう少し詳しく訊き直す。
「ほら、小学生時分のあたしと、その……打ち解けるために意識してたこととか。そうだ! 小学校で生徒の子と打ち解けるために意識してることとか!」
すると、彼は「うぅん」と、うなってあごを擦りながら「あるにはあるけど」と、答えた。
あたしはその言葉を聞き逃さず、心持、猫みたいにピンッと耳を立ててトキに詰め寄る。
「それそれ! なになに? 教えてよっ」
「挨拶」
……短く言いこぼされた単語に、あたしは「え?」と、疑問の声を漏らした。
「だから、挨拶だよ。挨拶。一番簡単なコミュニケーションだろ?」
これを聞いたあたしは、なんだ挨拶か……と、落胆した気持ちを隠せない。
「他にはないの?」
短く言い捨てると、トキはやれやれと肩をすくめた。
そして、トキはなんだかそういう反応が返って来ることも予想していた、と言わんばかりに「他にもあると言えばあるけど」と言ってから続けて口を開く。
「浅緋、あさぎちゃんのことを、よくみてやってくれ」
大切なことだとでも言うように、落ち着いた声色で告げた彼に、あたしはまた首を傾げた。
「よく、みる? 観察するってこと?」
トキの言葉の意味を、自分なりに解釈して口にしたのだが、彼の意図とは少し違うらしい。
「まあ、それでもいいんだけど……ちょっとニュアンスが違うかな」
彼は、当たらずとも遠からずと言いたいのか、少し口惜しそうに眉を寄せた。
「難しいよ……」
半ば降参の意味合いを込めて、あたしはそうこぼす。
すると、トキは表情を緩めて、また無責任に言って見せるのだ。
「大丈夫。きっと、上手くいくさ」
一体どこからそんな自信が来るのか。他人事だと思って……と、心の中で呟く。
でも、気休めにすぎないその言葉で、悪態が思い浮かぶ程度にあたしは前向きになっていた。
落ち込み沈んだ気分もだいぶ紛れている。
今は、トキが言ったあさぎちゃんを『よくみる』という言葉の意味に思いを巡らせていた。
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