ドウガネブイブイ事件(2)
週末になり、ほのかが家に遊びに来たのは昼食を済ませた頃だった。
インターホンに呼び出され、あたしは急いで靴を大まかに履いて戸を開ける。
ちゃんと履けてない靴で外に出てみれば、門の向こうには自転車にまたがるほのかが見えた。
「浅緋いぃっ、遊びに来たよぉ!」
「今開けに行くから待ってて!」
「わかったぁ!」
自転車から降りるほのかを視界に入れつつ、あたしはこけない程度に靴を履き直す。
その後、門の鍵を開けると、ほのかを家に招き入れた。
「こ、こんにちはっ」
あたしとほのかが玄関に入ると、小鳥のような声を目一杯張ってあさぎちゃんが出迎えた。
あたしは、この子がこんな風に初対面の人に挨拶ができたことに驚かされる。
鳩が豆鉄砲くらったようになるあたしと違って、ほのかは喜びをもってそれを受け入れた。
「はいっ、こんにちは。あなたがあさぎちゃん?」
はきはきとした声で答えるほのかに、あさぎちゃんはうんうんと元気よく首を縦に振る。
ほのかはクスッと笑うと、あたしにすり寄ってきて「可愛い子だね」とささやいた。
あたしが「まあね」と答えると、彼女は再びあさぎちゃんに向き直る。
あさぎちゃんはそんなあたし達二人のことをじぃっと目で追っていた。
「私、ほのかっていいます。青丹、ほのか。よろしくね」
にっこりと笑って自己紹介をするほのかを、あさぎちゃんはまだじいっと見つめている。
すると、ほのかは急に屈んで、あさぎちゃんと目線の高さを合わせた。
「あさぎちゃん? どうしたの? 私の顔、おもしろい?」
そう訊いた後で、ほのかはすぅっと息を吸って頬をぷぅっと膨らませて見せる。
あさぎちゃんは、口を閉じたまま声を出さずに笑いながら、首を横にふるふると振った後。
「ひまわり、みたい……」
そう、ポロッと、呟いた。
「ひまわり? あたしが?」
それを聞いたほのかは不思議そうに聞き返す。
「はいっ。言ってた通り……です」
あさぎちゃんは後ろ手に胸を張って、どこか嬉しそうにほのかに答えていく。
そんな様子を見ていたあたしは、恥ずかしさに顔が熱くなって蒸し上がるかと思った。
いくらほのかだからって――いや、ほのかにだからこそ、小さい女の子に友人を他己紹介する時、お花に例えただなんて知られたくない!
あたしは、ほのかに気付かれないよう、そっと、自分の口元に人差し指を立たせて添わせる。
そして「しぃーっ」と、薄い息を吐きながらあさぎちゃんに「内緒にして」と合図を送った。
けど、あさぎちゃんはあたしの合図に気付いてくれない。
あたしが見たこともないにこにこ笑顔を浮かべ、ほのかとのおしゃべりに夢中のようだった。
「あさぎちゃんは、ひまわり好きなの?」
「はいっ」
「そうなんだ、なんか嬉しいなぁ」
けど、ほのかのそんな質問で、話はうまい具合に逸れていく。
ほっと、一安心しながら、あたしはあさぎちゃんがひまわりが好きだと言ったことに思い巡らせた。
ひまわりが好きで……あたしがほのかをひまわりに例えたから、だから、あさぎちゃんは、ほのかと会いたいって思ったんだろうか?
「じゃあ、他には? あさぎちゃんはどんなことが好き? 私に教えて。で、今日はその好きなことたくさんやっちゃおう!」
「ほん――あっ、ほんとうですかっ?」
あさぎちゃんはサプライズでプレゼントでももらったような嬉しい驚きを口にする。
ほのかはそれを見て「本当本当」と言って続けた。
「今日はあさぎちゃんが主役だよ。ねっ、あさぎちゃんは何が好き?」
「えっと……本を、読んだりとか……歌を、歌ったりとか……あとは――」
ほのかが質問すると、あさぎちゃんは指折り数えて自分の好きをポツポツと挙げていく。
そんな二人を後ろから見ていて、あたしはただただほのかに感心するばっかりだった。
彼女は、まだ会って間もないあさぎちゃんから、どんどん色んなことを引き出していく。
あさぎちゃんと出会った瞬間、固まって沈黙し、ただただ見合っていたあたしとは大違いだ。
しばらくして、ほのかが「まずはみんなで読書をしよう」と言う提案をした。
その頃にはあさぎちゃんはすっかりほのかのペースに乗せられていたようだ。
彼女は可愛らしく「おぉー」と間延びした声でほのかに答えて拳を突き上げた。
あさぎちゃんはほのかにずいぶんと心を許していた風に見えた。
あたしは、打ち解けていく二人を見守りながら、例の童話の本を読み進めていく。
時折、あさぎちゃんの視線を感じることもあったが、結局打ち解けることはできなかった。
◆
今週の週末は、ほのかがあたしの友達でいてくれて良かったと心底思う日だった。
けど、同時に、自分が情けなくってしょうがなくなる日でもあったみたいだ。
夏は日が高いとは言え、夜遅くなれば辺りが暗くなるのは変わらない。
蝉の合唱が止み、エンマコオロギの羽を震わせる涼しげな音が聞こえ始めた時刻。
とっぷりと日が暮れてから、トキが帰ってきた。
「ただいまぁ」
玄関の戸が開かれた途端に、彼の俯いた口から疲労の蓄積された声が床を這うように響く。
「お、おかえり」
その声に答えると、トキはもう一度あたしだけに向けて「ただいま」と、答えた。
「母さん、もう帰ってるのか?」
「うん。夕飯ももうすぐできると思うよ?」
「浅緋は?」
靴を脱ぎながら質問するトキに「この子の様子見に来た」と、答えてカブトムシの虫かごを指さす。彼は「そっか」と頷くと靴を脱いで立ち上がった。
そして、あたしの顔を覗き込み――
「どうした?」
――急に、短く訊ねた。
「なっ、なにが?」
「なんだか、しょげてるように見える」
「えっ? あっ――」
つい、声が漏れ出し、思わず言葉に詰まる。
トキは、あたしの機微によく気付く。
いや、あたしが隠せていると思っているだけで、全然隠せていないだけなのかもしれない。
それでも、彼があたしの変化に気付いてくれることに少しほっとする。
そして、未だに彼のこども扱いから抜け出せていないことを、同時に悔しくも思うんだ。
「――……そんなこと、ないよ?」
結果、そんな安易な強がりが口をついて出る。
後ろ手にそんなことを訊ねるように言うあたしは、我ながら説得力がない。
「本当に元気なら、きっとそうは言わないな」
案の定、トキには見破る手間も掛からないほど、簡単に見透かされることになった。
ついさっきまで披露困憊という顔をしていたくせに。
今の彼は、仮面でも被ったみたいに平静な優しい顔つきをしている。
「ほら、相談してみな?」
落ち着いた口調は、あたしの不安を手繰り寄せるようだった。
きっと、こんな声の出し方も、大人になって教師生活の中で身に付けたんだろう。
トキはこんな顔、二、三年前なら絶対できなかった筈だ。
そう思った瞬間、あたしの中のこども扱いされる不満感が、少し形を変えた気がした。
先に大人になっていくトキに、置いて行かれるようなせつなさとでも言えばいいだろうか。
悔しさや不満が、彼に追いつけないんじゃないか、と言う不安とせつなさに変わったんだ。
あたしは、この人に弱味を見せたくないと思ってる。
淡い好意を感じながら、この人の目に、こどもとしか映れないのは嫌だった。
でも、時折、どうしようもなく年上の彼に、寄り掛かってしまいたい。
そんな風にも思ってしまう自分がいて。
「あのさ、少し相談……いい?」
気付けば、あたしは手繰られた不安を吐き出すように、声を出していた。
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